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黎明は夜より出でて  作者: 伊勢谷照
第9章【太陽の葬列】

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第九十六話 望郷


 中立の監視者としての役目を終えたあとも、ルイスはレンブラントたちと何かを話し合うようだった。クレアと共にマンティへと帰宅したアキは、彼女に「風呂に行くよ」と促され、ひとり公衆浴場の男性用入り口の前へと立っていた。


「この時間に入ってもなあ……」


 時刻は17時過ぎ。労働者たちはとっくに入浴を終え、湯船は汚れきっているだろう。ここがアステリならば、皆で清い水を産み出し、古い水を下水に流してしまえるのだが、ローラン人に対し、そこまでの大掛かりな魔法は期待できない。

 入浴料として銅貨1枚を受付に渡し、すっかり人の気配が無くなった脱衣所で服を脱いでいると、唐突に背中をぺしんと叩かれる。


「っ!」


 思わず跳ねるように振り返ると、アキよりも頭半分ほど低い位置に、藍色混じりの髪とつむじが見えた。


「ニコラ?」

「よっ」


 既に服を脱ぎ終えているが、その髪や肌に水気は無い。彼もこれから入浴するところのようだ。


「マンティ、今日は閉まってたな。ルイスがいないからか?」

「それもあるけど、俺たちもさっきまで総督府に居たんだよ。クレアさんや俺を人質にとって、ルイスさんの証言を捻じ曲げないためってことで」

「サイラス様の考えそうなことだな」

「ニコラこそ、今日は忙しかったのか?」

「かなりな。まあ話は中で、どうせ人少ないだろうし」


 ニコラは相変わらず眠たげな目を浴場の方に向け、サンダル片手に歩き出した。入浴のあと熱浴室カルダリウムに入るつもりなのだろう。高温の蒸気浴を楽しむあの空間は、壁も床も熱くとても裸足ではいられない。

 普段は入浴だけで終わらせるアキもそれに倣い、自分のサンダルを掴んで後を追う。


「それで、結局レンブラントがやったの?」

「いや、まだ何とも」


 案の定、土埃やゴミが浮いている大浴槽を目指し、ふたりはタイルの上を歩く。


「でもアーザクの毒が原因じゃないかって話だった。俺も色々証言したよ」

「アーザク?何だそれ」

「やっぱりお前も知らないのか?鱗が真っ青の魚だよ。俺の地元の沖にいるんだ」


 アキは聴取された内容とアーザクの特徴を説明する。しかしニコラは首を傾げるばかりで、彼もまたアーザクについては知らないようだった。


「青い毒魚?島には居なかったな。毒のある海月ル・バルとか磯巾着ポシラならいくらでも知ってるけど」


 温暖な南方の海は豊かな生態系が広がっている。特に鮮やかな色合いの魚が多く、ローランの詩人はその群れを宝石や星々に例えて称賛してきた。しかし彼らはただ綺羅びやかなだけではない。くらげ、イソギンチャク、海藻類─触れただけで身体が焼け爛れるような悍ましい生き物も数多く発見されている。


「で、そのアーザクの毒の作用と、ゲイル様の症状が似てるってこと?」

「らしい」


 ふたりは縁を跨いで浴槽に浸かる。石炭と魔法によって熱された水が肌を刺激した。

 ゆらゆらと浮かぶ誰かの髪の毛を手で追いやりながら、ニコラは話を続ける。


「だとしたら、犯人は相当限定されるな。一応聞くけどアキやってない?」

「やってねえよ」

「それだったら簡単だったのに。こっちも面倒なことになっててさ」

「面倒?」

「レンブラントがゲイル様を殺したって噂が広まってるんだよ。普通、ティレーで死んだって言ったら戦死だと思うだろ?誰かが意図的に流してるんだよ」


 ニコラ曰く、昼過ぎから徐々にそういった話を耳にするようになり、空が赤く色づく頃には街の奴隷たちの間ですっかり広まったという。彼は今まで、その出処を探っていたそうだ。


「で、分かったのか?」

「ひとつの娼館に絞った。でもそこで手詰まり。南方人のガキは帰れってよ」


 ニコラは赤褐色の頬をぺちりと叩き、ため息をつく。


「娼館の元締めって大体南方系じゃないのか?お前ならうまいこと言って入れるだろ」

「あそこの元締めはローラン人だし、娼婦とか女衒ぜげんは北方人、だから大して儲かってないんだ」


 北方人は商売下手。それは旧アステリ領で常識として語られる事柄のひとつだった。ローラン征服以前は殆ど交流のなかった北方人と南方人は、互いについて曖昧な偏見程度の情報しか知らない場合が多い。


「じゃあフロールフにでも頼むのか?」

「んなこと頼んだらおれの身体が真っ二つになるよ。あいつ商売女嫌いなんだから。エリックに声かけてみたんだ、知ってる?サイラス様んところの名ばかり監督奴隷」

「言ってやるなよ」


 エリックは真面目な人物だが、その性格ゆえにフロールフの苛烈ぶりに振り回されている。彼はティレー市への行軍に同行し、現在はそのままレスタに滞在している筈だ。


「まあ、北方人の堅物だからあんま期待は出来ないけど─」

「ああ、ここにいたか」


 ぺたりとタイルの上を歩く足音が聞こえ、ふたりは入り口を振り返る。そこには、息を切らしたエリックが立っていた。幸い今の言葉は聞こえてなかったようで、ニコラは咳払いをして誤魔化した。


「探したぞ、ニコラ……アクィルスも居たのか」

「どうも」

「おれを探してるってことは、頼んだ仕事は終わったの?」

「ああ、すべきことは果たしたつもりだ」


 彼は一言断ってから、彼らのように浴槽へと入った。


「噂の出処は1人の娼婦……正確にはその客だった。レンブラントの従者カルロ、会ったことはないが、あまり優秀な人間ではないそうだな」

「カルロ?」


 アキはいまいちピンと来ずに首を傾げる。言われてみれば、レンブラントの隣には冴えない男が常に控えていたようにも思えた。


「あいつの親父が前総督の従者でさ、そのよしみで雇ってもらってんだ。馬鹿だしお喋りだし、大したことないやつだよ」


 ニコラは掌で包んだお湯を、矢のように前方へ飛ばして遊びつつそう言った。


「そいつが何で、主人に不利になるようなことを言いふらすんだ?」

「そりゃあ本人に聞いてみないとな。エリック、お疲れ」


 用は済んだとばかりにヒラヒラと手を振るニコラ。対してエリックは神妙な面持ちで彼に向き直った。


「良ければ、引き続き私にも協力させてほしい」

「なんで?」

「私は亡くなったその日にゲイル様とお会いしている。あのとき何かの陰謀が動き、それによってゲイル様が亡くなったならば、何も気がつけなかった私もその責任を負うべきだ」


 サイラスに命を救われ忠誠を誓った彼は、敬愛する主人の兄の死、そして自分自身に憤りを感じているようだった。


「我が主人のためにも、ゲイル様の死の真相を突き止め、罪人を白日の下に晒さなければならない─頼む、どうか協力させてくれ」


 両の拳を握りしめ、深々と頭を下げる彼に、ニコラは小さく鼻を鳴らした。


「忠義深い奴隷を持って幸せだね、サイラス様は」

「ニコラは違うってことか?」

「当たり前だろ」


 若干13歳にしてレイチェルの腹心として暗躍する彼はしかし、酷く冷めきった調子でそう言い切ってみせる。


「親に売られてローランに来たけど、ここで生きて死ぬなんてごめんなんだ。おれは絶対、溢れるくらいの金をためて故郷に帰る。そのためにレイチェル様に協力してるんだ。あの人は金払いが良いからな」

「売られたのに、故郷に帰りたいのか?」

「親と故郷は別物だ!」


 ニコラは珍しく声を張り上げた。


「ローランに来てから、島がおれにとっての理想郷になった。海も、風も、太陽も、あそこ以上に綺麗な場所はないと思ってる。おれは絶対に、こんなクソみたいな国から出て島に帰るよ。ふたりはそう思わないか?」


 沈黙していたエリックが、低い声でため息混じりに呟く。


「気持ちは分かる。私も、戻れるものなら戻りたいと願っている。しかしそれよりも、旦那様に忠義を尽くしたいと思う」

「じゃあ100年後にでも戻ればいい。それまで奉公したって、おれたちには時間がたっぷり残ってるだろ」


 ふたりの言葉には、異国に連れ去られ奴隷に身 をやつしてもなお忘れがたい望郷の念があった。何処か親しげな空気が流れた彼らに対し、アキは強い疎外感を覚える。それゆえ、彼は半ば強引に話を軌道修正した。


「……それで、カルロに話を聞くのか?聞くとしたらどこで?」

「奴は週に4度はあの娼館を訪れるという話だった。昨夜はあまり長く滞在できなかったようで、明日も来ると言い残して言ったそうだ」

「じゃあ今夜張るってことで。外で待つならおれとアキでいけるし、エリックは総督府で色々調べてくれよ。サイラス様にくっついて入れるだろ?」


 いつも通り淡々と采配するニコラには動揺を悟られていないようで、アキはほっとする。しかし同時に、彼の心のなかにはひとつの、漠然とした不安とも確信ともつかない思いが宿り始めていた。

 もしもゲイルの死が「アーザク」と関係があるのなら、調査の手はやがてアキの故郷にも伸びていくだろう。人口数十人程度のあの村は、周辺地図にすら載っていない辺鄙な場所にある。土地勘の無い者は辿り着けるかどうかすら怪しい。


─俺が案内します。


 そう言うべきだ、言わなければならない。しかしアキは、己がそう宣言する様を想像することはできなかった。







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