第九十四話 悪しき毒薬Ⅱ
「わたくしが立会人?」
与えられた部屋に控えていたレイチェルは、来訪したリコカルドの言葉に首を傾げた。
「ええ、サイラス様はご自身が同席すると仰いました。しかし解剖というものは時間がかかります。帝都への長旅の前に、サイラス様には御身体を休めて頂きたいのです」
「お前の言う通りですわね。構いませんわ、わたくしが同席致します」
言うが早いか、彼女は黒衣の裾を翻して立ち上がる。父や夫の死後、女性は一年に渡って黒い服を纏い喪に服す。年頃の少女が髪飾りひとつつけられず、服を選ぶことも出来ないというのは哀れに思えたが、彼女の居住まいは堂々としていた。
「相手方の立会人は?」
「総督閣下の三男にあたる方です。名は確か─」
リコカルドが不意に振り返る。じっと廊下を見つめる視線の先を追うと、やがて足音もなく角から灰色のローブを纏う青年が姿を現す。
彼はふたりが待ち構えているとは思わなかったのか一瞬足を止めたが、すぐに姿勢を正して近付いてきた。
「失礼、貴女がレイチェル・セレ殿か?」
灰色のローブはメタニアの神官の証だ。目深に被った布を払うと、20歳前後と思わしき鋭い眼光をした顔が露わになる。琥珀色の瞳が、窓から差す光を受けて本物の琥珀のように見えた。
「私の名はアヴィオール・マーシアス・スキヌム・レンブラント。メタニア神にお仕えしている」
噂をすれば影、現れた青年こそがレンブラント総督の三男であった。琥珀という称号名は、その瞳の色に由来しているのだろう。
「此度はメタニアの神官、そして父上の息子という立場から解剖の立会人を任じられている」
「……初めまして、アヴィオール様。わたくしはレイチェル・ユリア・ヴァネッサ・セレ。同じく立会人として同席させて頂きます」
アヴィオールは眉ひとつ動かさず、小柄な少女を見下ろした。女子どもだと侮っているのか、何も考えていないのか、深い思慮を持っているのか。その仮面をつけたような無表情から感情を推し量ることは出来ない。
「おや、立会人が15歳の娘ではご不満ですか?」
「いいや。俺─私も19歳になったばかりだ。案外、若造同士の方が余計な勘繰りをせず上手く事が進むかもしれない」
ぼそぼそと低い声で話す様は、如何にもメタニアの神官といった雰囲気だ。ローランでは、彼の神の使徒は寡黙で陰気な者が多いと揶揄される。
「先程儀式が終わって、メタニア神のお許しを頂くことが出来た。そちらの準備が終わり次第、いつでも始められる」
「おや、随分と早く済んだのですね」
「メタニア神は厳格だが、理性的で寛大な御心をお持ちだ。此度の件についても、真実の解明という正統な理由があることをご理解頂けた」
感情的な神々が多い中、メタニアとレキはそれらを諫めることの多い存在だ。
彼らの信徒は厳しい規律を守り、清貧のもとに生きることを指針としている。その道から外れた者には重い罰が課されるが、感情のままに人生や命を弄ばれることはない。
「カルペンタリウスはもう到着したのですか?」
「ああ。だから貴女を迎えに来た」
黒髪の下から見える瞳は冷静そのもので、父親が容疑をかけられていることへの動揺や怒りは見られない。
彼は引き摺るほどの長さのローブを翻し、早足でふたりの先を歩く。暫く廊下を進んだところで、アヴィオールの足は止まった。
「こちらに」
招かれるままに扉の奥へ足を踏み入れる。一切の調度品が撤去された室内には、板が剥き出しの簡素な寝台だけが鎮座し、そこに布で覆われた何かが横たわっていた。
その正体に気付いたレイチェルは、一瞬止まりかけた足を叱咤して踏み出す。
「お久しぶりです、ご令嬢。総督閣下の命により参上いたしました」
彼女を迎えたのは数人の兵士と、ルイス・カルペンタリウスだった。彼はその大きな身体を真っ直ぐ伸ばし、優雅な一礼をする。
「久方ぶりですわね。今日は中立の立会人としての役目をしっかりと果たすように」
「心得ております」
「リコカルド、準備は終わっていますか?」
リコカルドは頷き、寝台の前に立った。彼は小さく息を吐いたあと、寝台を覆う白い布を剥がす。
数日ぶりに再会したゲイルは、死に化粧を施され眠っているだけのように見えた。
「……始める前に、情報を整理致しましょう」
リコカルドは力を失ったゲイルの腕を取る。
「亡くなった直後の旦那様の御身体には、死後硬直が見られませんでした。これはティレー市の医師、従軍医師たちも確認しています」
「死後硬直?」
アヴィオールが真っ先に口を挟む。レイチェルとルイスも医療に関しての知識は少なく、リコカルドが紡ぐ言葉は聞き慣れぬものだった。
「生き物の身体は、死後数時間経つと全身の筋肉が硬直し、そして再び弛緩します。しかし旦那さまの身体はそれが不完全でした。これは筋肉が融解・腐食することによって、硬直する機能を失っているということです。筋肉の融解や腐食というのは目視では分かりにくいですが、こうやって証明することが出来ます」
アヴィオールは腕を組み、「随分と高度な知識を身に付けているな」と呟いた。
「貴殿の出身を貶めるつもりはないが、高度な医療といえばかつて南方にあった大国で体系化されたものが殆どだ。北方では呪術や治癒魔法による医療が主流だと聞いた」
「治癒魔法は外傷にしか明確な効果を示しません。そしてわたしはそれを使うことが出来ない。わたしは多くの患者を治療するために、南方で医療を学びました。それは南方で医療の研究が最も栄えた500年ほど前のことです」
「……つまり、何かしらの理由で筋肉が損傷していることは確定しているのですね?」
ゆったりとした説明を遮るようにレイチェルが質問をすると、彼は静かに頷く。そしてゲイルの遺体に礼をしたあと、その手は輝くほどに研がれたナイフを掴んだ。
「そして、旦那様は尿量が少なく、またそれは暗い褐色をしていました。これは腎臓が損傷していることの証左です。今も─尿管に残っている尿は黒に近い」
「腎臓とは?」
ルイスは臆することなく切り開かれた内臓を観察しながら問いかける。
「腎臓は、腹の辺りにふたつ並んで存在する臓器です─これと、これのことですね。尿を作る器官だと言われています。そして尿は、余分な悪い体液を出すために作られるものです。恐らく旦那様は腎臓が損傷したことにより黒胆汁が体内に多く蓄積してしまったのでしょう。黒胆汁は酸味があって、多すぎると身体の内部を融解・腐食させてしまうのです」
次いでリコカルドは、ゲイルの下肢を指す。その膝から下は丸太のように膨れ上がっていた。
「そして、排出できない体液は下肢に溜まり、浮腫を生じさせます。旦那様の死因が腎臓の急激な損傷にあることは間違いありません」
その後も彼は防腐処理のために内臓を取り出しながら、その状態を観察していく。
「短時間で死に至る程の損傷が、自然発生的な要因で生じるとは考え難い。何かしらの外的な原因が存在すると考えられます」
「曖昧だな」
「胃の内容物の状態から見て、亡くなる前の5時間は食事をお取りではなかったようです。勿論お飲み物は何度か口にされていましたが─」
「父上が勧めたワインが原因という証明にはならないと。父上と密談をなさったのは、亡くなる10時間ほど前だったな」
「はい。遅効性の毒でこれほど激しい症状を示すものをわたしは存じません」
アヴィオールとリコカルドのやり取りは平行線だった。直接的な死因が分かり、毒殺の可能性が濃厚になったとはいえ、毒の正体も飲んだ時間もわからない。
レイチェルは苛立ちを感じつつふたりの間に口を挟もうとして、ふとルイスが何かを考え込んでいることに気が付いた。
「カルペンタリウス、何か意見があるなら発言なさい」
「……死に半日を要し、身体を徹底的に破壊する毒。どこかで聞いた覚えがあると思いまして」
「なんですって?」
部屋にいる者の視線が一斉にルイスに向く。永遠にも瞬きの間にも思える沈黙の後、彼は探るように口を開いた。
その脳裏に蘇るのは、魚を捌いていたときの些細なやり取りだ。
『そういえば、俺の故郷にすげー魚がいるんだよ』
『美味なのか?』
アキは慣れた手付きではらわたを取りながら、雑談のような調子で話していた。
『食うと死ぬんだ』
『フグか何かか?』
『いや、タイみたいな見た目で─正直美味いもの独占したい大人の嘘っぱちだと思ってたんだけど、村のガキが何人かで度胸試ししてさ。そしたらバタバタ死んだらしいよ』
『どんな症状が出るんだ?』
『食って半日か一日経ってから、全身が痛くなって、変な色の小便が出るとか、熱が出たりとか、とにかく色々起きて死ぬらしいよ。症状が出るまで間があるせいで、その毒が原因だって最初は分かりにくいんだってさ』
如何にも与太話を語るときの、曖昧で軽薄な語り口。日常の中の何気ない会話は、特に発展することなく幕を閉じた。
ルイスは戦慄した。アキが彼のそばに居ることによって、ゲイルの死の謎が解かれるかもしれない。
『お前は自らの息子を左腕に抱き、そしてその男児を右腕に抱くだろう』
彼はそれを偶然だとは思えなかった。16年の時を経て神より得た啓示が果たされたように、大いなる者の意志が、そこにあるのではないか─悪寒と共に感じた疑念を、ルイスは深く息を吐いて霧散させた。




