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黎明は夜より出でて  作者: 伊勢谷照
第二章【青い目の血族】
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第七話 一対の嵐



 レスタ随一の公営宿。些か絢爛に過ぎる調度品に囲まれた一室で、肩を並べる者が二人。 


「まずいことになったな、エドガー」


 金糸を贅沢に織り込んだターバンと翡翠の耳飾りが赤褐色の肌によく映える、舞台役者のように美しい青年ルーカス。


「史上最悪かもね、ルーカス」


 彼よりも少し背が高く、切り詰めた栗色の下で不安げに眉尻を下げる青年エドガー。


「一先ず、状況を整理しよう」

「きみって、寝坊しても必ず『落ち着こう』とか言ってワイン飲むよね」

「お祖父様も、戦の前には必ず一杯のワインをお飲みになったらしいぜ」

「それひいおじいさま」


 執政官ゲイル・ドルス・グラディウス・セレには、妻との間に8人、愛人の奴隷との間に1人の子が生まれた。現在は、夭折した者を除いて5名が存命している。ここにいるふたりもその一員だ。


 エドガー・ゲイル・ゲメッルス・セレ。

 ルーカス・ゲイル・ゲメッルス・セレ。


 エドガーはゲイルとその正妻ヴァネッサの三男、ルーカスは南方人の女奴隷が産んだ私生児である。

 通常、奴隷が産んだ子どももまた奴隷身分としての教育を受けるが、ルーカスの母を溺愛するゲイルは、彼女を堂々と愛人として囲い込み、ルーカスを嫡出子と変わらぬ待遇で育てることを決めてしまった。

 ローランにおいて男が愛人を囲うことは、品性に欠けた行為とされる。しかしそれすら黙認されるほどに、ゲイルの名声は国中に轟いているのだ。氏族の男児が多く夭折しているのも、ルーカスの認知を後押しした。健康な男児は、彼を含めても片手で数えるほどしかいないのである。


「とにかく!いいか、オレたちは兄上の命で、機嫌の悪い妹の世話を任された」

「そうだね」

「オレたちは精一杯、あの跳ねっ返りをお姫様みてえに扱ったはずだ」

「ルーカスはずっと喧嘩してたよ」

「兄妹ってのは時に喧嘩して絆を育むものだろ?」

「うーん、君は父上の息子としては認められてるけど、私生児だしね。家系図にも入ってないし、レイチェルは君を兄とは思ってないんじゃない?」

「真正面から刺すな」


 妹の名はレイチェルといった。公的には三女であるが、長女次女が夭折し四女が養子に出された為、その実質は溺愛される一人娘である。父ゲイルによって求めるものすべてを与えられた彼女は恐ろしく我が強く、そして滅法ずる賢い。

 つい先程のこと─サイコロ遊びで完膚なきまでにエドガーを叩きのめしたあと、レイチェルはふたりにワインを勧めてきた。

ローランのワインは水分補給のための飲み物としての面が強い。元々アルコール分が薄く、しかしドロドロとして甘ったるいので、水で薄めて常飲するのだ。

 エドガーはなんの躊躇いもなく、ルーカスは嫌な予感を覚えながらも、杯に満たされた赤紫を同時に飲み干した。更につまみにナッツを出されれば、ワインも食事もみるみる進んでしまう。

 半時間ほど経ったところで、ルーカスは妹が食事に一切手を付けていないことに気がついた。それを指摘すると、彼女は赤い唇を吊り上げてニンマリと笑い─


『当たり前でしょう、お前たちを眠らせるためのものなのですから』


 意識はそこで途切れ、目覚めたときには部屋はもぬけの殻と化していた。


「昔、その辺で引っ掛けた女によ、おんなじやり口で有り金取られたんだよなあ〜……」

「ルーカスって本当に馬鹿だよね」

「今日はお前も同罪だろうが!つうかなんだあのガキ、どこの世界に兄貴に眠り薬盛る妹がいるんだよ」

「下剤じゃないだけマシだったね……」


 その言葉が出てくるほどには、レイチェルという娘の性格は苛烈なものだった。とにかく自分の思い通りにならないことを嫌い、他人の行動を操作しようとするのだ。


「まあいい、過ぎたことは仕方ねえ。いいかエド、オレたちにはふたつの選択肢が残されてる!」


 サイコロと遊戯盤が残されたテーブルの上に立ち、ルーカスは両手を広げて朗々と語る。その姿はまさに一流の舞台役者のようだ。劇の脚本は「妹に家出されて困っている」というだけの薄っぺらいものだが。


「兄上にご報告して、皆で探す?」

「それが1つ目だな!でもそれをすると、兄上は確実にお困りになる。ただでさえ、父上の仕事を間近で学んでる最中でいっぱいいっぱいなんだ。成人の儀の時みてえに、心労でひっくり返っちまうぜ」

「たしかに。じゃあ2つ目は……」

「「ふたりでレイチェルを探し出す」」


 彼らの声はピッタリと重なり合った。どちらともなく悪戯っぽい笑みが弾ける。


「いいのかな、バレたらまた屋敷中を掃除させられるよ」

「そんなの慣れっこだろ?オレの床磨きの腕があれば、明日からでも陛下の家内奴隷として雇われるだろうさ」

「それでどうする?こんな広い街、闇雲には探せないよ」

「さっき言っただろうが。まず現状の把握だ。アイツが飛び出した理由を考えるんだよ。退屈が嫌になったなら、アイツはどこに行く?」


 ルーカスは、腰に差した片手剣を抜き、旅芸人のステッキのようにくるりと回す。

 エドガーは、どこまでも芝居がかった仕草の抜けない相棒に、気のない拍手を送った。


「図書館かな」

「刺激を求めるなら?」

「闘技場だね」

「奥様と喧嘩したときは?」

「……とにかく人が多いところに行って騒動を起こして、父上たちに迷惑をかける」


 流れるような動作で剣が鞘へと収まる。エドガーが額を押さえたのと、ルーカスが肩をすくめたのは全く同時だった。

 宿につくなり、妹は母と壮絶な口喧嘩を繰り広げて、揃って部屋に閉じこもっていたのである。


「……今のところ火事は起こしてないみたいだけど」


 エドガーは窓から身を乗り出して、レンガ作りの街並みをぐるりと見渡した。あちこちで煮炊きの煙が細く立ち昇っているが、そこに赤い炎は見えず、人々が混乱している様子もない。だからといって安心はできなかった。


「落ち着け相棒、今は飯時だ。人が増える場所には心当たりがある」


 ルーカスは机から飛び降りると、エドガーの肩に乱暴に腕を回し、連綿と広がる街の一角を指差した。よく目を凝らせば、ある建物の前に人だかりが出来ているのが見える。


「ほら見ろ、あの行列!食堂だ!」

「えっ、ちょっとルーカス!それ君がご飯行きたいだけじゃないの?」


 跳ねるような足取りで部屋を出た相棒に続いて、エドガーも足をもつれさせながら廊下を走り出す。すると、前方に並ぶ客室─そのうちのひとつのドアが開かれた。淡い茶髪をした、ふたりと同じ青い瞳の青年が顔を出す。


「騒々しいぞゲメッルス、一体何を……」

「兄上!ご機嫌麗しゅう!それでは!」

「ちょっと出かけてきます〜」

「は?レイチェルはどうし……おい、まさかお前たち、また何かしでかしたのか!?」

「エドガー、走れ!窓だ!」


 なんの予備動作もなく全力疾走したルーカスは、そのままの勢いで廊下の窓から宙に身を踊らせる。青い空が視界に飛び込んでようやく、彼はそこが4階であったことを思い出した。

 頬をえぐるように吹き付ける風は潮の香りを纏い、人が行き交う鮮やかな街はみるみるうちに眼前に迫ってくる。


「ははっ」


 何だか楽しい気分になって、彼は窓枠を掴んだまま尻込みしているエドガーに向けて両腕を広げた。


「早くしろ、エドガー!」

「もう!ちゃんと着地させてよ?」


 エドガーは目を閉じて、不格好な体勢で飛び降りた。次の瞬間、ルーカスは素早く掌に魔力を集中させ、周囲に吹き上げる風の方向を操作した。柔らかく渦を巻くそれは、ふたりの身体を受け止め、ゆっくりと地上に降ろす。


「ゲメッルス、待ちなさい!いや、待たなくてもいい!頼むから説明だけでもしてくれ!」


 兄の制止は怒りを通り越してもはや懇願に近かったが、ルーカスは満面の笑みで両腕を振ってみせる。


「すぐ戻りまーす」

「お、お土産も買ってきます……!」


 騒動を不必要に大きくしながら、ふたりは街の中へと走り出す。

 買い物をすれば野盗の襲撃に巻き込まれ、酒場に行けば賑わいの中心となって店の在庫を根こそぎ飲み干し、妹を探そうとすれば決死の脱出劇になる。

 ふたり揃うと決まって嵐を起こす彼らは、こう呼ばれる。


 ゲメッルス。その名は、古ローラン語で“双子”を意味した。



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