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黎明は夜より出でて  作者: 伊勢谷照
序章【黎明の子】
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第一話 忌まわしき夜明けⅠ


 暗い雲が空を隈無く覆い隠し、重い雪が地に降り積もる夜。全ては始まった。

  白く染められた地面に赤が滲む。じわりじわりと、しかし止めどなく広がるそれの中心にはひとりの女がいた。血の気の無い四肢を投げ出し横たわる身体は息をする度激しく上下していて、まともに肺が機能していないことは素人目にも明らかであった。


「ようやく相応しい姿になったな。忌まわしい雌豚が」


 そして女を見下ろす男がひとり。彼はその雪よりも青白い顔に歪んだ笑みを浮かべた。

 凍てつく風が吹く。女の燃えるような色の髪が揺れる。風に押されてしまうほど力を失った腕が、傍らに落ちる布袋に伸びようとした。


「……あ、あ」

「なんだ、金でも入っているのか? 」


 男は伸びる腕を乱暴に蹴飛ばし、皮袋を掴み上げた。するとそれは予想外に重く、雪の上に置かれていたというのに微かに生暖かい。


「おぎゃぁあ、おぎゃああ」


 袋がもぞりと蠢き、耳を突くような泣き声が冷たい静寂を切り裂いた。

 男の薄い色をした瞳が揺らめき、低く喉が鳴ったあと、白い息が吐き出される。


「よくもやってくれたな。卑しい雌豚が……旦那様を、その一族を呪うつもりか? 」

「そ、の子は……」


 最早目の焦点を合わせることさえ困難な女は、それでも必死に首を動かし、蠢く袋へとその鮮やかな色の瞳を向けた。


「その子は、───」


  血塗られた唇が紡ぐのは、今まで話していた言葉とは、発音も文法も異なる言語。

 女の目が袋を、その中にいる者を見つめる。ぐらぐらと揺れるそれが何らかの感情を浮かび上がらせる前に、ひゅっと喉の奥から息が詰まるような音がした。それきり女は指ひとつ動かさず、何の声もあげなかった。


「なんだそれは? 詩でも読もうとしたのか?本も読めない卑賎な豚が」


 男は、かつて女であった肉の塊を見下ろしてせせら笑った。そして無遠慮に袋の中へと手を入れる。

 中身の生ぬるい湿っぽさに舌打ちをしながらそれを引き抜くと、思わず瞼を伏せてしまうほどの眩しさがその瞳を貫いた。

 しかしそれは刹那のことで、再び目を開くとそこには、服を掴まれ宙吊りとなったせいで酷く怯える赤子の姿があった。

 男は泣きわめく子供の頭に触れた。燃える赤毛は陽光を宿しているかのように暖かく、まだ頭蓋骨が塞がり切っていない柔らかな感触がありありと伝わってくる。

 少しでも力を込めれば、この生き物はあっという間に潰れてしまうだろう。


「ふん」


 男は鼻を鳴らし、女が肩に羽織っていたマントを、繊維が千切れるのも構わず引っ張って子供をくるんだ。

 すると耳に痛いほどの泣き声は止んで、女と同じ色をした目がぱちぱちと瞬く。

不慣れな手付きで子供を抱き直した彼は、地面の死体を見下ろした。

 赤毛も、派手な色合いの服も、細い四肢も、既に殆どが雪に埋もれている。朝になれば完全に覆い隠され、人々に踏みにじられ、雪かき道具を叩きつけられてようやく発見されることだろう。


 それはこの女に相応しい最期であると思えた。


 空を呑み込んだ雲が、遠くのほうで僅かに赤く染まっている。いつの間にか朝日が上り始めたようだ。男はハッとしたように子供の顔を見た。ふわりと落ちた雪が、黎明のような髪に触れた途端にじわりと溶けていく。


「……何が夜明けだ、忌々しい」


 曇天の朝は、夜のような闇に包まれてはいない。見えずとも太陽は必ず沈み、そして再び上る。その赤く燃える輝きが消えることはない。

雨が降り、雪が積もり、深い地下に閉じ込められようと、海の底に沈もうと、故郷を追われようと、恐ろしい絶望が襲いかかろうと。

 黎明は訪れ、朝日は世を照らす。



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