第百十三話 法なき獣Ⅱ
ラムフィスが叫んだ瞬間、窓から丸い何かが凄まじい速度で飛び込んできた。投石だと気が付いたアキは、床に伏せながらローラン語で叫ぶ。
「サリオン!10時の方向から投石!」
「相手は見えるか!?」
手探りで壁を探ってなんとか背中を預けたサリオンは、手に魔力を宿した。
彼の質問に答えるために窓の外へと視線を向けると、薄闇の中に数人の人影が立っているのが見て取れる。彼らは腕に何か棒状のものを握りしめていた。
「数は5以上、槍みたいの持ってるけど、暗いからよく見えない!」
刹那、今度は風と共にいくつもの石礫が襲いかかる。アキはラムフィスの肩を掴み、彼と共にテーブルの下へ転がり入った。
「父さん……じゃなかった─『父さん、こんなど田舎にも野盗が出るようになったのか?』
ローラン語からアステリ語に思考を切り替え問う。
『いや、そんな話は聞いてないな……』
言葉が終わる前に、外の闇から波のざわめきが聞こえ、潮風の匂いが色濃くなった。外にいる者が海水を利用した水魔法を行使しようとしているのだ。
「ああ、クソ。アクィルス、おまえ少し外に出てあいつらを引きつけられるか?」
「何するつもりだ?」
「ちょっとした目眩ましさ。ああ、お前と父親にはきかないから安心しろ。光が空に見えたら、わたしを引っ張って小屋から出るようラムフィスにも伝えるんだ」
アキは外の襲撃者たちには聞こえないよう、彼の言葉を父の耳元で繰り返す。
『アクィルス、待ってくれ、彼は何するつもりだ?』
『知らねえけど殺されるのはゴメンだからやる!父さんは隠れててくれ!』
刹那、海から鉄砲水が放たれる。アキは勢いよく走り出しながら、それを包み込むように炎を生成した。激しい水蒸気が周囲に満ち、敵の視界を奪う。
軌道が逸れてアキの頭上を抜けた鉄砲水が、小屋の壁に衝突する。轟音と共に小屋が揺れ、材木が激しく散らばった。次いで雨のように降り注ぐ海水を振り払いながら、彼は親指と人差し指で作った円を唇に押し当てた。
『当たったか?』
『待て、視界が─』
「人んち壊してんじゃねえよお前ら!」
円の中から吐いた息に炎を纏わせる。レイチェルほどの威力は出せなかったが、威嚇には充分だった。肌を炙られた男たちは転がるように後ずさる。目映い赤に照らされて露わになったその顔を見たアキは己の目を疑った。
「こいつら─」
そのとき、壁が半分吹き飛んだ小屋の中、サリオンの祈りが低く響く。
『神の理の顕現よ、世を律する法の父よ─罪を見る目を持たぬ者に、正義の灯火を与え給え』
淡い光が、ふっと空に現れた。蛍のような、火の粉のような優しく柔らかなそれはしかし、不思議と男たちを惹きつける。誰からともなく見上げた光はふわりふわりと落ちていき、そして─彼らの視界が一斉に闇に包まれた。
間抜けな沈黙から数拍置き、悲鳴が迸る。男たちは視力を失った目を抑え、顔を掻き毟り、状況を理解できないまま狂乱状態に陥っていく。
アキはぽかんとした表情でその光景を眺めていたが、小屋から出てきたサリオンの声で我に返った。
『アクィルス、あまり長くは保たない。とりあえず逃げるぞ』
『あ、あなたは一体何をしたんだ?』
『走りながら話す』
『父さん、こっち』
アキに促されながらも背後を振り返った彼は、えっと驚愕の声を上げる。
『どうした、ラムフィス』
『あの人たち、この村の住人です……全員そうだ!持ってるのは槍じゃなくて銛だと思う』
『サリーマのババ……村長が俺のことに気が付いたのかも。あの人目敏いから』
サリーマは、特にアキたち親子を嫌っていた。彼女がふたりを疎んでいたからこそ、村人たちもそれに同調していたのだ。
外界と交流のなかったョグレ村では、ローラン人は得体の知れない外敵であり、それと恋仲になったラムフィス、その血を引くアキは嫌悪の対象でしかなかった。そんな彼らが再びこの村の平和を乱そうとしている─そう捉えられたのかもしれない。
『で、サリオン。さっきのは?』
『“御業”だ』
『御業ってあの?神様が使う?』
酒神リケレが無限に酒を生み出せるように、知恵の神アーウラがこの世の万物の知識を得ることが出来るように、神々は人に与えられたものとは異なる特別な魔法を多く行使する。それを総称して「御業」と呼ぶのだ。
『ああ、ある時レキがわたしの前に現れ、この力を授けてくださった』
曰く、サリオンは眼病になった際にその治療を拒否した。病を祝福と捉え、真実を見定めるため自らの目を潰したレキ神の逸話に己も従おうと思ったのだ。
そうして日々感謝の祈りを捧げていたところ、レキ神が枕元に現れ、彼の信仰の熱心さを褒め称えた。そして彼に御業の一端を使うことを許したのだという。
『まあ法律上相手の方が確実に悪いと判断できるような状況にならないと使えないんだが、法の神の力だ、その点は仕方ない』
『レキってのは贔屓をしない神だと思ったけど』
『レキ神は案外柔軟な思考をお持ちだぞ、そうでなければ、法の条文に情状酌量なんて存在しないだろうさ』
けらけらと笑ったあと、彼は背後を顎で指す。
『効果が切れたな。早く合流しよう』
『あんたが遅いから合わせてんだよ』
『はあ?おまえも目を瞑って砂浜を走ってみろ』
『アクィルス、喧嘩はやめなさい。こんな状況で─』
サリオンの背を押してやるラムフィス。その姿を、視界を取り戻した壮年の男が睨みつける。彼は銛を握りしめ、風を纏わせ、深く息を吐いた。
『死ね!裏切り者が!』
ひゅん、と風によって勢いをつけられた銛が、さながら矢の如く迫る。猛然と近付く風切り音を耳にしたアキが振り返ったときには、その切っ先は父の頭に突き刺さらんとしていた。
『父さん!』
叫び、腕を伸ばす。しかし届かない。錆びた鉄が月明かりに照らされて鈍く光ったその時─
「つかまえた」
夜空から落ちた赤が翻り、その柄を掴んだ。
「レジー!」
「何やら外が騒がしかったのでな」
彼は外套を目深に被り直し、握りしめた銛をくるりと順手に構える。刹那、肌が裂けんばかりの風切り音が響き、彼の手から銛が放たれた。
踏ん張りの効かない砂浜の上、風よりもなお速く鋭く飛んだ一撃は、ひとりの肩口に突き刺さり、それだけでは止まらず、勢いのままその腕を容易く引き千切ってしまう。
「がぁァァァァ!??」
鮮血が砂に飛び散り、男は勢いで回転しながら倒れ伏した。
『カリル!』
襲われたばかりだというのに、ラムフィスは腕を失った若者に駆け寄ろうとする。それを手で制し、レジナルドは愛用の剣を残りの男たちに突き付けた。
「誰かアステリ語に訳してくれ。その者は間もなく失血で死ぬ。大人しく投降するならば、治療してやると」
普段の朗らかな様子とは別人のように、黄緑の眼光は刃物の如く爛々と光っている。初めて出会ったときから感じていたが、レジナルドの戦度胸は17歳の少年らしからぬものだった。
『私が伝えよう』
空き家からレジナルドを追いかけてきたらしいサフィエが、一歩前に出る。
『ョグレの民よ、どうやら我々の間には、少し誤解が生まれているらしい』
銛を構える男たちに向け、サフィエは堂々と両腕を広げる。
『初めに言ったとおり、我々は取引のためにこの地を訪れたのだ。決して海を汚し、浜辺を軍靴で踏み躙り、その身を奴隷として引き渡すためではない』
一步踏み出す。
『しかし、貴様らの主人が我々を敵と誤解し続け、貴様らに攻撃させ続けるのだとすれば、そこの哀れなガキの命はメタニアのもとに誘われるだろう』
サフィエは徐々に動きが鈍くなる若者を見下ろした。
『こちらには優秀な魔法の使い手がいる。千切れた腕など瞬きの間に治してしまう。お前たちは今すぐ武装解除し、この者を治療させ、主人のもとに報告へ向かうべきだ』
カリルという若者は、アキを見るたびに忌み子と罵る者たちのひとりだったが、腕を失い悶え苦しむ姿を見たいとは思わなかった。
『なあ、あんたら。早く武器を置いて、サリーマ様に伝えてくれ。俺たちはあんたたちにも、この村にも危害を加えるつもりなんてない!』
『……』
男たちは呆然とした様子で顔を見合わせる。首長の命令に従って動く彼らの表情は、ローランの奴隷のそれによく似ていた。
『な……』
やがて、髭を蓄えた壮年の男が口を開く。サリーマの屋敷の下働きだ。
『なら、なんで帰ってきた!』
『……っ』
『ラムフィス、お前!村に妙なモン連れて帰ってきただけじゃなく、今度は村の災いを外に持っていこうっていうのか!』
『ち、違う!』
『災いはもう外に逃げ出した。貴様らが後生大事に守っているのは空の金庫だ』
サフィエは更に一步進み出る。
『先月、執政官のひとり、ゲイル・セレが死んだ。死因は現在調査中だが、この沖に棲む毒魚、アーザクの毒が使われた可能性がある』
男たちは波のようにざわめく。その間にもカリルの動きは徐々に鈍くなっていった。
『分かるか、痴れ者どもよ。怒り狂ったローランの民がこれを知れば、貴様らはただでは済まないだろう。下手人の一味と見做され、押し寄せた暴徒によってここは破壊し尽くされるだろう。私達を追い返したところで、なんの時間稼ぎにもならないぞ』
サフィエが噛んで含めるように説明しても、彼らの足は動かない。皆恐ろしいのだ。統率を乱すことが、統率を乱したと見做されラムフィスのように迫害されることが。
張り詰めた沈黙を破ったのは、慌ただしい足音と、ひっくり返った悲鳴だった。
「わあっ!」
ようやくサフィエに追いついてきたらしいレーネが叫ぶ。
「なんか血だらけの人がいる!」




