第百十二話 法なき獣Ⅰ
『おーい、青臭い舞台は終わったか?』
サリオンがひょこっとドアから顔を出す。無遠慮な態度に、アキは顔をしかめた。
『あんた、余韻って知ってるか?』
『親子喧嘩に余韻もクソもあるか。ほら、わたしを中に入れろ』
『勝手に入れ』
『いいのか?その辺のものをうっかり蹴飛ばしたりなぎ倒したりするぞ』
『うっっざ』
大袈裟に身振りをする腕を掴み、アキはサリオンを小屋の中に招く。入るなり『カビ臭い』と言った脛を軽く蹴って、彼は咳払いした。
先程まで抱きつつあった尊敬の念は跡形もなく消え去っている。
『父さん、改めてこの鬱陶しいやつはサリオン』
『だれがなんだって?』
『……サリオン。本当にありがとう。あなたがいなければ、私は恐ろしい過ちを犯したままだった』
『わたしへの礼の他に、この馬鹿息子に言ってやることがあるだろう』
サリオンが唇を吊り上げると、ラムフィスはしばらく困惑した表情を浮かべたあと、ハッと顔を上げた。
『あ、アクィルス、駄目だろう。恩人にそんな口を聞いては』
『フン、やればできるじゃないか』
『いいよ変に無理しなくて。あのさ父さん、もう余韻とかぶっ壊れたから積もる話は後にするとして、俺、色々聞きたいことがあるんだ』
アキは改めて、帝国においてゲイルの暗殺事件が発生していること、アーザクの毒が用いられた疑いがあること、サフィエたちと共にその事実関係を調査していることを説明した。
『どうしてアクィルスがそんなことを?』
『ああ〜、話すと長いんだけど、俺が世話になってるひとが断絶した大貴族だったり、青い瞳の令嬢と知り合ったり?まあ色々あって』
『青い、瞳……』
『父さんは母さんの出自って知ってるのか?』
『高名な貴族だと聞いてるよ。結婚を強いられて逃げてきて、偶然父さんが借りていた下宿に転がり込んで来たんだ』
ラムフィスは母の出自について詳しくは聞かされていないようだった。問い質す性格でもないので、母にとっては彼と過ごすことは居心地が良かったのかもしれない。
これは長い話になると、アキは再び話題をアーザクに戻した。
『それで、父さんはアーザクについて何を知ってる?浜では話せないことだったんだよな』
『……ああ、まあね。村の中では暮らせないし、漁場にも入れない。だからアーザクが棲む磯巾着が群生してる辺りでいつも網を下ろしてるから、多分父さんが一番あれを捕まえてるよ。あんまりにも嫌われてて、なんだか可哀想だから、アクィルスが小さい頃に飼ってたこともあるんだ』
衝撃の事実をさらりと口にしたラムフィスが言うことには、アーザクは全長10センチ程度の真っ青な魚で、磯巾着の中に隠れ棲み、またそれを餌としている。毒は主に内臓に集中しており、その理由は餌である磯巾着にあるという。
『壺の中で育てたアーザクを、ある日海鳥が食べたんだ。でもその鳥は死ななかった。昔母さんがそういう話をしてたのを思い出したよ。毒のある餌を食べることで身体に毒を蓄える生き物がいるって……あのアーザクは毒を食べてないから無害だったんだろうね』
『繁殖までしてたの?ヤバ』
『む、昔の話だよ。アクィルスが歩けるようになってからは、危ないから海に返したんだ。村には話し相手がいないし、父さんもどうかしてたんだ』
『なるほど、つまり野生のアーザク及びそれが捕食する磯巾着からのみ毒を得られるということか。養殖と毒の量産を両立させるのは難しそうだな』
『……あんた、まだ商売のこと考えてる?』
『わたしは商人だからな』
計算盤を弾く仕草をするサリオンの傍らで、アキは質問を続けた。
『そういえば、1年くらい前にここに女が来たんだろ?どんなひとか分かる?』
『……ああ、行商人だろう?確かに来たよ。父さんにも話しかけてきたから少し驚いたな』
曰く、女は「この辺りに美しい瑠璃色の魚がいると聞いた」「鱗を宝飾品に使いたい」と話したという。瑠璃色の魚といえばアーザクしか思い当たらなかったラムフィスは、「毒があるからやめておいた方が良い」と忠告したそうだ。彼女は暫くその魚について尋ねてきたが、やんわりとはぐらかしたらしい。
『女の人種は?』
『北方系に見えましたが……その割には身丈が小さかったですね。変性魔法は多分使っていないと思います』
『南方人の前で変性魔法の痕跡を隠すことはできないからな』
ローラン人や北方人は、肌や髪の色を自在に操る変性魔法について全くの無知だが、南方人は違う。彼らは生まれつき、それを操り感知する能力に秀でている。
『身丈が小さい北方女か。具体的には?』
『アクィルスとそう変わりませんよ』
『確かに北方人の割にはチビだな』
『悪口言われてる気がする……』
確かにアキの身長は南方人の平均には若干足りておらず、ふたりに挟まれるとその差がよく分かってしまう。眉を寄せて彼らから離れ、アキは自分のつむじを撫でた。
『小柄な男が好きな女は多いぞ。むしろわたしは少し高すぎると言われたこともある』
『好かれるために伸ばしたいわけじゃないんだ
よ』
『分かった分かった。とにかくその女は、一般人に毒のことを大っぴらに話すことを躊躇って、鱗がどうのと言い訳したのだろうな』
『……ええと、つまりあの女性が……その、こ、コンスラ?を殺害したと?』
『父さん、執政官』
女が実行犯である可能性は低いだろう。レイチェルの話を聞く限り、戦場となったティレーや総督府に外部の人間が出入りするのは困難だ。もし出来たとしても、女がひとり執政官の周囲でうろついていれば、必ず誰かの目に止まったはずだ。
『あ』
不意にラムフィスが顔を上げた。
『どうした?』
『その女性ですが……変だなと思ったことがあって、その、暑さが平気みたいでした。北方人といえばローランの暑さすら辛そうな人しか知らなかったので、珍しいなと』
『暑さに強い北方人っていないの?』
サリオンの方を見上げて腕を叩くと、彼は顎に手を当て考え込む仕草をする。
『体格や髪色同様に、ある程度の個人差はあるだろうが、微々たる差だ。あの青い肌は日光を浴びると爛れるし、寒冷地で体温を維持できるよう適応した結果、熱暑の中では体温が上がりすぎてしまう』
『でも、レジーはそこまでじゃないだろ』
『それは混血─ああ、なるほど』
皮肉げな笑いとともに、ひとつの単語が紡がれる。
『ホズ、と言うんだったか』
『それって……北方とローランの混血の人だっけ?』
ホズ・ヌル。「赤い人」を意味するその言葉は、征服以前にはローランと交わることのなかった北方において、混血への強い忌避感と共に生まれた言葉だという。アキの知り合いで言えばルイス、レジナルド─は北方の地では、征服者の血で血統を汚す忌まわしい存在と見做される。
『ホズは純血の北方人より小柄なことが多いし、暑さにも多少の耐性がある。ホズと仮定すれば色々と繋がる事実も多い』
『ひとりで納得するなよ』
『待て、待て、今話してやる。いいか、反逆が起きたティレー市はマーリス州の北にあるスチャーネ州との境界付近にある。そこに軍備を集中させる理由は理解できるか?』
『……反乱が起きやすいから?』
『その通り』
サリオンは軽く拍手をした。
『現スチャーネ州は、征服の際アーノルド帝よって蹂躙され尽くした。そして更地になったところをローラン人が開拓し直した関係で、ホズの数が一等多いんだ。あそこの原住民やそれに迫害されるホズほど、セレを恨んでる者はいないだろう。ローランと取引しているというだけで、わたしたち南方の商人すら襲われることがあるそうだぞ』
つまり彼は、そのスチャーネ州の原住民が此度の暗殺に関わっていると言いたいようだった。先程のアキたち親子に対する態度とは打って変わって、その口調は非常に冷淡である。
『あの地はむしろ征服を有難がるべきだと思うがな。文明と崇高な法がもたらされ、生活は豊かになったのだから』
『あんた北方人嫌いなの?』
『いや、いや、全く。北方人であろうとローラン人であろうと、人の子であることに変わらない。偉大なるレキの法を知る民ならばな。しかしスチャーネの連中はなんと、レキの法を知らないんだ。あそこは下手をすればここよりも閉鎖的で非文明的な土地だったからな。文化も信仰も周囲とは大きく異なる』
『えっ……』
この世の人間は等しく、レキによって風土や文化に則った法律が与えられている。それを持たない、かの神の名を知らない民がいるなど、アキには理解しがたかった。
『つまり、殺人も盗みも強姦も不倫も、レキの法で禁じられていることのすべてが、スチャーネではまかり通るということだろう。そんなものは人間ではない、理性なき獣だ』
サリオンのあまりにも差別的な物言いに、アキは素直に頷くことはできなかった。
『……うん?』
何かを言い返そうと口を開いたその時、サリオンの白濁した目がきょろりと動く。窓の外に赤い光が揺らめき、ラムフィスが叫んだ。
『伏せろ!』




