第百八話 帰郷Ⅱ
サフィエの指が村の入り口を指す。近付く荷馬車の音に反応して、見覚えのある村民たちが次々と顔を覗かせた。
アキは深く外套を被り、その視線から逃れる。
『お初にお目にかかる、私の名はサフィエ・アル・ハーン、アル・ハーン商会の会長だ。こちらは我が婿のサリオン、こちらの3名は従者だ』
彼女はサリオンを荷馬車から降ろしてやると、見せつけるようにその細い腕を引いて側に寄せる。南方人は元々男女の身長差が少ない上、華奢な男が好まれるため、均整の取れた筋肉のついたサフィエのほうが堂々とした居住まいに見える。
『この村とある取引をするために参上した。至急、村長殿にお目通り願いたい』
上流階級的なアステリ語が紡がれる。サフィエが堂々と名乗ったのは正解だろう。この外界から隔絶された村で、内密な調査など出来ようもない。
『取引?』
『アル・ハーンって、島の方で活動している商家だろう』
『なんでそんな人がこの村に……』
ひそひそと、潮で荒れた顔を寄せ合って村人たちは話し合う。
『私はあまり気の長い方ではない。我が婿をいつまでも潮風に晒しておけと言うのか?』
サフィエが返答を急かすと、村人のひとりが一等大きな─といっても村内での話だ─屋敷に向かっていく。
ややあって、鯨の骨を加工した白い杖が、屋敷の入り口から顔を出す。見間違えるはずもない、村長の愛用品だ。次いで、片足を引きずった白髪交じりの女が現れた。その眼差しは鋭いが、背筋は記憶にあるよりも僅かに丸みを増していた。
「アキ、あの者が村長か?」
「ああ。サリーマ様だ」
「怖そうなおばあちゃんだね〜」
「体壊してからすっかり老け込んだな。まだ250歳そこらだと思うけど……」
3人がローラン語で囁きあう中、サフィエは大股でサリーマに歩み寄り、両手の指を組んで頭を2度さげる。
『これはこれは、お目通りが叶うとは光栄の極み。改めまして、私の名はサフィエ・アル・ハーン、商人の足跡未だ無き砂浜に、こうして足を踏み入れさせて頂いた次第です』
『まあ、商会の会長がわざわざおいでとは、この村にさような価値などあるとは思いませんが─』
『少なくとも、我々はそうは思っていない。なあサリオンよ』
『ええ、ええ!人はありふれたものの価値には気付かないものです。糞化石の産地である南方諸島の者たちが、奇跡の肥料と名高いあれを、長年に渡って、名前の通りただの鳥糞の塊だと思っていたように』
サリオンは歌を歌うように言葉を紡ぐ。どうやら口が回るという意味では、サフィエよりも彼に軍配が上がるらしい。
『この村には、あなた方の持つすべての麻を絹に、豚の干し肉を肝臓に、銅を黄金に変える、魔法使いの姫君が眠っておられる。我々はそれを呼び覚まし、交易路という花道を歩んで頂くために参ったのです』
『……我が婿の言葉は詩的に過ぎるきらいがあるが、嘘はついていない。どうか話だけでも聞いてはくださいませんか?』
サリーマは暫く躊躇ったあと、とりあえず話だけは聞く気になったらしい。他の村々と関わりのないこの地は、常に貧しさに喘いでいた。そこに水を注がれば、その味や中身など考える間もなく飲み下すかもしれない。
『では、人払いを』
村長の娘であり補佐であるカラという中年の女が、命を受けて村人たちに声をかける。彼らはヒソヒソと噂しながらも、自らの仕事に戻っていった。
『レーネ、そいつらと荷馬車の番をしていろ。ほっぽいて遊ぶなよ』
サフィエはレーネに向かって声をかける。彼女は意味を理解しないまでも、とりあえず頷いた。アステリ語を解するのはアキだけだが、女であるレーネを差し置いて彼に指示をするのは不自然が過ぎる。
サフィエとサリオンの姿が屋敷に消えても、周囲の家から、粘つくような視線がまとわりついてきた。
「アキ、サフィエ殿はなんと?」
「荷馬車の番をしろ、ほっぽいて遊ぶなって。多分うろついて情報を集めろってことじゃないか?貴重品は積んでないしな」
「馬は盗まれちゃうかもよ」
「じゃあ交代で戻ってくれば良い。ふたりずつ探索に出るんだ」
アキはそう言うと、深く息を吸い込んだ。
『なあ!久しぶりの海だぞ、サフィエ様はどうせすぐには戻ってこないし、俺遊んでくる!』
無邪気さを装い、走り出す。意図を理解したふたりは顔を見合わせ、レーネの方が後ろをついてきた。
「レジー様、交代でアキのお手伝いしましょう!」
「ああ、分かった」
日が高くなってきた頃合い、僅かな日陰に身を隠しながらレジーは頷く。彼が活動するにはもうしばらく時間がかかるだろう。
「で、どうするの?海潜る?」
「馬鹿言え。そうだな……」
海に視線を向けたアキはひゅっと息を呑む。
浜辺に、潮で色の抜けた薄茶の髪をなびかせ、小舟を引く姿勢の悪い男がいた。
先程の騒ぎについて話し合って漁に身が入らない者たちと少し離れて、我関せずといった様子で、網に絡まった海藻を解き始める。
赤褐色の肌を日光と海水のせいで一層赤黒くした彼は、不意に顔をあげて村の方を振り返った。
『……父さん』




