第九話 邂逅する青Ⅱ
宿を脱走したゲメッルスは、食堂が多く立ち並ぶ通りを歩いていた。
「それで、今日の奥様とレイチェルの喧嘩の原因は何だ?オレのカンじゃあ、またスヴィンの話だと思うんだが」
「御名答。母上がスヴィンを連れてこさせなかったみたい」
スヴィンというのは、レイチェルの護衛を務める奴隷の名だ。見事な体躯と剣の腕、そして忠実さを持つ北方人だ。その容姿は帝都において「この世で最も醜い」と称され、母ヴァネッサには蛇蝎の如く嫌われている。
「つまり、レイチェルはまたアレをやる気か?“スヴィンがいないせいでわたくしは危険な目に遭いましたわ〜!”作戦」
無理矢理出した甲高い声は、蛙の鳴き声より耳障りだった。この物真似を本人に聞かれたら、ルーカスの身体は火に包まれるだろう。
「やっぱりそうなのかなあ」
「オレたち、もう百回はそれを阻止してるよな?そろそろ陛下から、治安維持貢献の褒章を与えられるべきだ」
「その前に監督不行き届きのお説教が待ってるよ。あーあ、今度は皿洗いかな」
彼らを知らない人間の目からは、その姿は貴族の子息が南方人の従者を連れて街を歩いているように見えるだろう。しかし今日のレスタの街において、ふたり連れ立って歩くローラン系と南方系の青年といえば、その答えはひとつしかない。
「ルーカス様だ!」
窓から身を乗り出した幼い少年が叫んだ。
「よお坊主、俺に見とれて落ちるなよ!」
それを皮切りに、人々は次々と彼らに向かって手を振り、歓声を上げ始めた。
「あ、あそこかな。窓から見えた店」
徐々に周囲に集まってくる住民たちの間をすり抜けエドガーが指した先には、一軒の大衆食堂と、その周りに溢れ返る群衆の姿があった。
人々は口々に「ゲメッルス様は?」「ここに来ると思ったのに」などと騒ぎ立てている。
「うわー、君のせいで騒ぎになってるよ」
「お前もゲメッルスだろうが」
「改名申請って通るかな。迷惑を被ってるっていう正当な理由があるんだけど」
「どういう意味だオイ」
「……それは置いといて、どうする?」
「そりゃあ勿論騒ぎまくる。愛しのお兄様はここだって示してやるのさ。アイツなんやかんやで、いっつもオレらが来るの待ってるだろ」
「そこは可愛いよね」
「そこだけ、辛うじてな!全く、我儘姫さまの世話は大変だぜ」
スヴィンが貶められたとき、彼女は必ずわざと危険な目に遭うという些か行き過ぎた当てつけをする。しかしその多くは、彼女を探しに街に出た長兄やゲメッルスの近くで行われるのだ。
「よし!おーいお前らー!」
ルーカスは深く息を吸い、叫ぶように群衆に呼びかけた。一瞬の間のあと、喜色満面の笑みが次々に彼に向けられる。
「ゲメッルス様だ!」
「ルーカス様万歳! 」
「ゲメッルス様万歳!! 」
両手を広げて歩き出すと、波が引くように群衆は道を開ける。青い瞳を輝かせ、鮮やかなターバンと耳飾りを揺らし、彼はマンティの中に飛び込んだ。
「よお、邪魔するぜ」
「席ならもうないよ!」
給仕をしながら返事をするクレアは、背中に声をかけてきた若者の正体に気がついていなかった。
「おいクレア、ゲメッルス様だぞ!」
客の一人がその振る舞いを咎めようとするが、ルーカスは彼を大仰な仕草で宥めた。
「まあ待て騒ぐな騒ぐな。姐さん、忙しくさせちまったみてえで悪いな」
「ああ、ようやくご本人様の到着ですか。金を落としてくれりゃ、あたしらはなんの文句もありませんよ」
腰に手を当て、うんざりした様子で満席の店内を見回すクレアに、騒ぎの中心に立つ男は胸を張って応えてみせた。
「そりゃあいくらでも、浴びるどころかこの食堂が埋まるほど!よしお前ら並べ、オレの奢りだ!」
雄々しい歓声が上がり、店の中に熱気が満ちる。さっそくワインを注文したルーカスは、客が持つ杯に順番にそれを注いでやった。
貴族向けのワインの原料となった葡萄を、更に搾った上に水で薄めた質の悪いものだが、男たちは競うように杯を突き出す。待ち望んだルーカス・ゲメッルスに与えられたものならば、彼らは水でもジュースでも存分に酔っ払えるのだ。
「ルーカス様、何か詩でも歌ってくださいよ」
「はあ?何言ってんだお前、おい名前は?」
唸るように返され、軽口を叩いた者はゴクリと息を呑んだ。途端に静まり返る空気の中、彼は肩をすくめて「デン」と名乗る。
「デン!」
「は、はい……」
ルーカスは華やかな笑みと共に、彼を抱きしめた。
「良いこと言うじゃねえか。天才!よし、好きな飯頼め!」
「あ、厚切りの燻製肉がいいです!」
「そんなの売ってるわけないだろ、その辺の野っ原で獲ってきな!」
クレアが怒鳴り付けると、店内にどっと爆笑が広がる。
ルーカスは、いつの間にか誰かが用意した台の上に立ち、鞘に入れたままの剣を掲げた。
「よしよし、じゃあローランの至宝と名高いこのオレの詩を、特別に披露してやりたいところだが……あ~、ちょっとあの、アレだ、エドガー、頼むから何かいい感じの考えてくれ」
「僕もルーカスサマの詩が聞きたいなー」
完全にお祭り騒ぎに巻き込まれたエドガーは、店の端で無感動な声を上げた。
「盗作はだめですよ」
「ルーカス様、無理しなくていいんですよ」
「“帝都の白き百合”とか、有名どころでいいんで」
「どうせ下手なんだろーな」
「誰だ下手って言ったやつ!耳かっぽじって聴けよ!オレのローラン随一の美声をな!」
詩作の才について触れない理由は、推して知るべしである。
エドガーは隣に立つ漁師から勧められたワインを飲みながら、周囲に意識を集中させた。
都市国家時代より続く古い貴族は、いずれも魔力量が多い家系ばかりだ。そして青い瞳の血族─特にゲイルの子どもたちはその傾向が強かった。純粋な魔法の技量はルーカスに及ばないものの、エドガーは他者の魔力や魔法の残滓を探知する能力に秀でている。
そして、ふつふつと燃えるような魔力は、すぐに捉えることが出来た。
エドガーは、人々の視線がルーカスに集まっていることを確認して、店主たちの居住空間へと続くであろうドアを素早く開けた。そして僅かな隙間から身を滑りこませ、再び意識を集中させる。先程すぐ側で感じた、レイチェルの魔力へと─
「だから、何も知らねえよ。世界中探して同じ目のやつは居ないって確かめたのか?違うだろ」
「少なくともこの100年、我々以外にこの瞳を持つ者は確認されていません」
「じゃあ100年目にして見つかったんだな、おめでとうございまーす」
「はぐらかしていると、この建物に火を放ちますわよ」
妹と、見知らぬ少年の声が廊下の奥から響く。どうやら“騒動”が今まさに起ころうとしているようだと、エドガーは床板を蹴って走った。
「レイチェル、人に迷惑を……っ」
角を曲がった瞬間、見慣れた色をした二対の瞳の視線が刺さる。レイチェルと見覚えのない少年が、殆ど取っ組み合いのような姿勢になっていた。
「……その子誰?」
「エドガー兄様!この者、父上の隠し子ですわ!」
「だからちげーよ!父親も母親も居るわ!」
レイチェルを連れ戻す、謎の少年を正体を聞く、ルーカスと合流する……様々な選択がエドガーの頭を刹那の間に駆け巡っていく。しかし彼の頭の中で、何かの結論が導き出されることはなかった。
「とりあえず、ルーカス呼んで来ていい?面倒……じゃなかった、大変そうな話だから」
導き出す気がなかった、というのが正しいかもしれない。




