第百六話 信仰と商売Ⅱ
「さあ、通いの使用人は帰らせてしまったが、どうぞくつろいでくれ」
サフィエは自ら杯に麦酒を注ぎ、3人に振る舞った。
木の複雑な木目を存分に活かした丸テーブルに、左右対称の幾何学模様が刺繍された赤い絨毯、天井から吊り下がる球形のランプには宝石が散る。質実剛健を美徳とするローラン本国とは違い、この地域の内装はとにかくきらびやかだ。
アキは変性魔法を解き、レーネたちと共に革張りのソファに腰を下ろす。それを確認すると、彼女はサリオンを一等豪奢な椅子に座らせた。
「さて、本題に入る前に、まずは私、サフィエ・アル・ハーンの麗しき婿を紹介してやろう」
「ご厚意感謝いたします」
アキが頭を下げると、レーネとレジナルドも目を丸くしつつそれに従う。
「これはサリオン。私が50年前に東部で見初めた男だ。これは眼病を患い、療養所で暮らしていた。出逢ったのは院を抜け出して散歩をしていたときだったな」
「左様でございます、旦那様」
「この美しい顔、凛と伸びる背筋、盲の目、私は一目で心を奪われた。まるで偉大なる神レキの具現だとな!そして見目だけでなく、この者は心にもレキの聡明なる意志を宿していた。物覚えが良く、聞き上手で、弁舌も優れ─学はなかったが、初めから完璧なものを手に入れてもつまらないから丁度良い」
「良き男、良き婿となれるよう、旦那様には素晴らしきご指導を頂きました」
「わたしたちにはふたりの娘がいる。どちらも商家で修行を積む優秀な女だ。我ながら良き子種を手に入れたものだな」
うんざりした様子のアキとサリオン、正しい返答が分からずに彼の顔を伺うレジナルドを差し置いて、レーネは素直に話を聞いている。
「はい!サリオンさんはサフィエさんのどこが好きなんですか?」
「えっ」
ナジュ・ファリダの最中、婿に話を振ることはない。不意をつかれたサリオンは驚きの声を上げるが、サフィエはうっすら笑みを浮かべて彼の答えを待っている。
「良い質問だな、お嬢様。サリオン、どうなんだ?」
「……け、決断力がお有りなところでございましょうか。私を出会ったその場で強引に誘拐─おっと、連れ出してくださったところですとか、迅速に商機を見極め行動を躊躇わないところなど……すべてあげていると夜が明けてしまうほど、旦那様は素晴らしいお方でございますよ」
サリオンはさっさと話を締めにかかるが、それに気付かないレーネから「アステリの結婚式ってどんな感じなんですか?」「お子さんは何歳ですか」など次々と質問が飛ぶ。
結局お開きになったのは2時間以上経ってからのことで、アキは彼女たちの馴れ初めについて随分詳しくなってしまった。酔っ払いの愚痴とは違い、聞き流して適当に相槌を打つことが許されないのが、この風習の厄介なところである。
「すっごく楽しかったですサフィエさん!」
「ああ、私もだレーネ」
話好きの聞き上手であるレーネは、純粋に話を楽しんでいたようだ。サフィエの方も、そんな彼女の態度に好感を抱いたらしい。
「アキ、疲れているようだか大丈夫か?」
「レジーお前……ローラン語は苦手とか適当なこと言ってだんまり決め込んでたの許さないからな」
「すまん。どう返答したら良いものか分からなくてな……アステリの風習には明るくない」
話が終わったのを見計らったサリオンが、ソファから立つ。彼は探るように歩いてアキのもとに近付くと、「それで」と口を開いた。
「お前たちは一体なんの目的でここに来たんだ?そろそろ本題に入ろうじゃないか」
「なんだサリオン、私の話は前座か?」
「いえ、いえ!滅相もございません。ただ、商売というのは速さが命、そろそろこの者たちの事情も聞いておきたいと思いまして」
サリオンはレイチェルの密偵のひとり、そしてレスタの街に出入りする商人だ。アーザクの流通経路についても何か知っているかもしれない。アキは意を決して事の次第を彼らに説明した。自分とレーネの本当の素性も打ち明け、レジナルドはサイラスの奴隷という設定を通すことにする。
「サイラス?ああ、あの人誑しのイカれボンボンか」
「あー!あんまり聞き取れなかったけど、絶対悪口言いましたね!」
「うん?事実だろう」
「イかれてるって変ってことでしょ?旦那様はすっごく優しい人です!」
「人誑しというのも適切な表現ではない……父う……旦那様は旦那様の人徳を以って人の心を集めておられるのだ。訂正して頂きたい」
レーネとレジナルドの言葉に、サフィエは肩をすくめたあと、素直に謝罪をした。
彼女の言葉の真意は分からないが、アステリ人は皮肉屋が多いので、恐らくは単なる軽口だろう。サイラスを「善良な大人」と信じているアキは、何も疑うことなくそう判断した。
「しかし……アーザクねえ、わたしは聞いたことがないな。生憎、専門は毛織物商なものでね」
「ニコラが、あんたは奴隷取引にも手を出してるって言ってたけど?」
「そりゃあ、届けの出せない商売のひとつやふたつ、誰でもやっているさ。奴隷、毒薬、その他諸々」
サリオンは悪びれる様子もなく、両腕を広げてみせた。
「私達は情報こそ持っていないが、それを収集する手助けをすることはできる」
サフィエはサリオンのターバンを直してやりながら、ニヤリと不敵に微笑む。その切れ長の目には、商売人らしい狡猾さが宿っていた。
「手助け?」
「お前の村は随分と閉鎖的な場所なんだろう。迫害されていたお前や、余所者のガキが行っても情報が集まるとは思えない。しかし私はどうだ?アステリ人で、女で、婿を取れるほどの地位を持つ商人だ。第一印象は悪くないだろうし、村人たちも我々の訪問を無下にすることは出来まい」
「それで、あなたたちにどんな利益があるんですか?利益があるから、レイチェル様に協力していらっしゃるんでしょう?」
サリオンは以前、利益があるからレイチェルに協力しているのだと語った。
彼らは恐らく、魂の髄まで商人である。真の商人は義理や情では動かない。増してふたりは、眼病すら祝福と考えるほど熱心なレキの信者だ。かの神の信者は、感情的な行動を悪徳と捉える傾向が強い。
「ひとつは、セレのご令嬢に恩を売ること、そしてもうひとつの目的は、アーザクそのものだ。まだ世界中の商人の誰も、その忌まわしい魚には目をつけていないだろう。確実に毒殺と分かる遅効性の毒、利用の方法はいくらでも存在する」
「流石は旦那様。慧眼にございますね」
サリオンは高揚を堪えきれなかったのか、ぺろりと舌を出す。ざらついたその表面には、レキの象徴である秤が彫り込まれていた。それは引っ込む前に、サフィエの指に思い切り掴まれる。
「こら、品のない真似をするなと言っているだろう」
「い、いはい(痛い)れす……」
「アクィルスよ、今語ったことが我々の目的だ。どうだ、信用する気になったか?」
アキは暫くの躊躇いの後、やがて恐る恐る頷いた。彼女たちの協力は大きな力になるだろう。しかしそれは、故郷への道が近付いたことを示している。
─父さんに会ってしまう。あの村にたどり着いてしまう。
故郷が目と鼻の先に迫っても、アキは恐怖を捨てることができなかった。
「……うん?」
舌を押さえて悶えていたサリオンが、ふと顔を上げた。
「どうした、サリオン」
「いや、“確実に毒殺と分かる、遅効性の毒”……先程の旦那様の言い回しを、何処かで聞いた覚えがあるような……舌を引かれてふと思い出したのです」
「え、いつ聞いたんですか?」
レーネの問いに、サリオンは低く唸る。その仕草は少し昔のことを思い出すときのフロールフそっくりだ。
「……うーん」
「ねえ〜、もしかしてサリオンさんもおじいちゃんなんですか?」
「わたしはまだ85歳だ!思い出せないということは、取引相手との会話ではないな。旦那様とのやり取りでもない」
南方人の寿命は4〜500年ほどだ。多くの北方人よりは短命だが、それでも忘れっぽくなるには充分な年数である。
「舌を引かれて思い出したということは、そのときも同じ目にあったのではないか?」
フロールフの忘れっぽさに慣れているレジナルドがそう言うと、サフィエがサリオンの口に指を突っ込んで舌を引く。
「私がこうするのは、これを咎めるときだ。下品な振る舞いをしたとき、何となく気に食わなかったとき、他の女と話していたとき─」
「あっ」
サリオンが白濁した目を見開いた。
「そう、そう、女でございます。旦那様」
「お前、私以外の女と話すなとあれ程……」
「不可抗力!不可抗力でございます!半年ほど前、港で女に話しかけられたのです」
彼が言うところによれば、半年前、この街の港で船を待っていると、北方訛りのあるローラン語を話す女に話しかけられたのだという。彼女はサリオンがただの毛織物商でないことを知っており、「確実に毒殺と分かる」「おぞましいほどに苦しむ」「遅効性の毒」を求めた。
当然そのような毒は思い当たらず、そう返事をしようとしたところ、怒り狂ったサフィエが現れて、その女を海に叩き落したという。
「旦那様の目には、女がわたしを口説いているように見えたらしい」
「どんな女だったんですか?」
「わたしの目を見てみろ、わかるわけないだろ。旦那様はいかがですか?」
「お前はそのとき、女と話した内容をはぐらかしただろう。中身を知っていれば印象に残ったかもしれんが、正直記憶にない」
「舌を引っ張られて、どうやって事の次第を説明しろと仰るのですか……」
サリオンが痛みを思い出すように口元を擦る。
おぞましい苦しみを与える遅効性の毒、それはまさにアーザクの特徴だ。その女は毒物を探すうちに、やがてあの忌まわしい生き物に行き着いたのだろうか。
女の正体、アーザクについて、そして己自身のこと、全てはあの村に隠されている。
「……村に、行かなきゃな。絶対に……」
手の震えを強く握って誤魔化し、アキは深く息を吐いた。




