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黎明は夜より出でて  作者: 伊勢谷照
第10章【荒野の王国】

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第百四話 古き国


 時は葬儀の7日前に遡る。ゲイルの遺体の移送が粛々と行われている一方─大陸南西のとある地で、紫の瞳が天を仰ぐ。

 

「ねえ〜、ここどこぉ?」

「シーラ州」

「それさっきも聞いた!」


 荒野に伸びる街道の真ん中、行商から買った外套の下で大声をあげるのは、額に汗を滲ませたレーネだった。10日以上前、森から突然大海原に転移してしまったアキ、レジナルド、レーネの3人は、何とか辿り着いた陸地が、大陸南西に存在するシーラ州であることを知り、以来アキの故郷に向けて旅を続けている。

 再現性が確認されたことで、あの現象が単なる魔力の暴発でないことには薄々勘づいているが、今考えても結論は出ないだろう。


「アステリにも地名くらいあるでしょ」

「言っても分かんねえだろ」

「言ってみてよ」

「多分──の辺りだと思う。もうすぐ街がある……はず」

「聞き取れないなあ……発音」


 想像通りの反応をしたレーネは、後方を振り向いて水筒を取り出した。


「レジー様、大丈夫ですか?」

「……ああ」

「全然大丈夫じゃなさそうだな」


 レジナルドはふたりの数歩後ろを着いてくる。外套の下の顔は普段よりも青白く、殆ど汗をかいていない。

 レーネが水筒を差し出せば、彼は浴びるような勢いでそれを飲んだ。


「うう、熱い……」


 北方人は暑さに滅法弱い。その肌は凍てつく風を阻み、血は雪を溶かす熱を産む。彼らは氷の大地に順応した生き物であり、焼けるような日差しが照りつける荒野では酷く動きが鈍ってしまうのだ。


「血管を冷やすといいぞ」

「えっ、切って水入れるの?」

「切らねえよ。首とか脇とか、デカい血管が通ってるところを冷やすってこと!」

「はあ〜、なるほど。今度フロールフさんたちにも教えてあげよ」

「フローは湯浴みのたびにふらついているからな」 


 ヴィンテル人は、大陸北端の極寒の地に住まう民族だ。純血の彼らは、湯気の立つスープを飲むのにも悪戦苦闘するほど熱いものが苦手だという。


「一回宿場でお休みしたいですね。ねえアキ、アステリってどうしてこんな荒野ばっかりなの?」

「全部が全部そうじゃない。アステリは征服されたあと、5つの属州に分割されてさ、このあたり─シーラ州はその面積の殆どが島なんだ。島は交易で栄えてるけど、大陸の方は殆ど手付かずで人も少ないんだよ」

「へえ〜」


 と、なけなしの知識を披露したが、アキ自身が目にしたことがあるのは、故郷と近隣の街や村だけだ。この世界の多くの自由民、そして属州民は日々の生活を送るだけで精一杯、毎日の仕事や最低限の買い物、狩り、採集─それ以外の物事を知る機会なく死んでいく。

 アキも幼い頃は、あの村の中で生き、そして死ぬのだとばかり思っていた。


「ねえ、見て!あれなに!?」


 レーネが進路から少し逸れた荒野を指して、アキとレジナルドの腕を引く。その視線の先にあるものはかなり遠いが容易に捉えることができた。日干し煉瓦を積み上げた、大きな四角錐の構造物だ。その大きさはゆうに40パッスス─興奮気味なふたりの問いかけを宥めながら、アキは足を止めてそれを見つめた。


「“あの数多輝く星々の如き、王たちの末裔よ─”」


 エイレーネー女王を讃えるとき、人々はそう口にした。アステリ王国の3000年、その前進たる都市国家アステリオーンの2000年、彼女は5000年の王たちの末裔だった。

 アステリには古来の王たちが遺した遺構が各地に存在すると、話だけは聞いたことがある。


「あれは昔の王の墓だ。アステリには昔から、ああいう形の大きい墓を作って、そこに王とその縁者を埋葬したんだって。勿論全員が作れるわけじゃないし、俺の村の近くにあるモンはかなり小さいけどな」

「あんな大きいのがお墓?作るのにどれくらいかかるんだろう」

「年数は知らないけど、農閑期に仕事がもらえるから農民には有り難かった……みたいなことを年寄りは言ってた」 


 アキも時代が時代ならば、大勢のアステリの奴 隸や自由民と共に、煉瓦を作ったり、それを運んだり、積み上げたりしていたのだろう。


「明らかな権威の象徴に見えるが、次代の権力者に破壊されなかったのか?」


 暑さを忘れて墳墓に見入るレジナルドの問いに、アキは口ごもる。故郷において彼は徹頭徹尾ただの漁民だった。村の年寄りや父が語る昔話に何の関心もなく過ごしていた。

 しかしローランでの生活を経て、それはとても恥ずべきことだったと思う。死者は生者の記憶によって生かされる。語る者がいなければ、この国の5000年は砂に埋もれ、無かったことと同じになってしまう。


「……俺は、あまり歴史には詳しくない。知ろうとしなかったからな」

「そうか。なら帰ったあとで、父上にお伺いしてみよう。父上ならきっとお詳しいはずだ!!」


 レジナルドはアキの言葉を馬鹿にすることなくそう頷いた。彼も、レーネも、己に流れる血の歴史を、数多星々の如く存在するはずの先人たちの記憶を、何も知らない。


「あれ、ねえ、ラクダ!だっけ?」


 レーネは、今度は街道の先を指差す。そこを進んでくるのは、荷車を引いたラクダにまたがる、行商人とおぼしき人物だ。 

 ラクダは、ローランに住む者にとっては、殆ど目にする機会のない珍獣であった。


「レーネ、指差すな」


 ターバンを頭と口元に巻き付け、金糸を織り込んだ青のマントをはためかせ、手や指には宝石を散りばめた装飾品が光る。凛と伸びた背筋と切れ長の目は、鋭い刃のような印象を与えた。

 相手は女だと思ったアキは、肌の色を赤褐色に塗り替え、そのラクダに駆け寄った。


旦那様アーヤ、少しよろしいですか?道をお尋ねしたいのです』


 “アーヤ”は、アステリにおける女性への敬称だ。かつてこの国は女王がおさめ、家督は長女が婿をとって継承し、政府の高官も女ばかり。そもそもの人口が、女と男の比率に3倍ほどの開きがあるため、かの国の習慣と文化は殆どが女のために存在していた。


『……何者だ?』


 ターバンによって強調された切れ長の目が、アキを見下ろす。


『私はアクィルス、あちらにいらっしゃるお嬢様の従者でございます』

『……ローラン人の娘が、このような辺境に何用だ?』

『我が主は、己の見聞を広めるべく、遊学を志されたのです。しかし何かと物騒な世の中故、私とあちらの北方奴隷とで、旅先の案内と護衛を仰せつかっております』


 女の黒い目が品定めをするような動きで、彼の頭から爪先までを観察した。


『ふぅん、まあ良い。どこに行きたいんだ?』

『沿岸部の街に行きたいのです。お嬢様に南部の海をご覧になって頂きたくて……』 


 この近くの沿岸には、アルァディラという宿場があるはずだ。そこまで辿り着くことができれば、アキも村までの地理を把握できる。


『アルァディラ?奇遇だな、私もそこにいくところだ』

『本当ですか?』

『ああ。我が“カラヴ”と待ち合わせているんだ。案内してやろう』


 カラヴ─ローランでは婿と意訳されることの多いそれは、直訳すると「飼い犬」という単語になる。そして婿を取ることのできる女性は、半数以下の上流階級や成功者、幸運の持ち主だけだ。


『感謝いたします、慈悲深き旦那様アーヤ。貴方の婿カラヴは真に幸運なお方ですね』

『ああ、そうだな、その通りだ』


 女は機嫌良く返すと、ラクダの足を早めてレーネたちのもとに近付いた。


「やあ」


 布に覆われた口から紡がれたローラン語に、3人は目を丸くする。


紫水晶ルジュアナの姫君、アステリの旅は楽しんでいるかな」

「は、はい」


 この設定に関しては事前に擦り合わせていたので、レーネは疑問を呈することなく頷く。ちなみに相手の特徴を美麗な言葉で褒めるのもまた、アステリの文化の一つだ。


「長旅は疲れたろう、後ろに乗ると良い。一人くらいなら座れるぞ」


 女は荷馬車を顎で指すが、レーネは首を横に振った。


「いいえ、わたしは元気いっぱいなので!ええと、レジーさ……レジー!のほうが乗った方が良いと思うな!」

「いや、俺は大丈夫だ」

「暑くてフラフラ……だよ!ほら!」


 下手な演技のせいで滅茶苦茶な言葉遣いになりながらも、レーネはレジナルドを荷馬車へと引っ張ろうとする。


「北方人、主人の厚意は無駄にしないことだ。それに、男は甘え上手なくらいが丁度良いぞ」

「し、しかし……」


 レジナルドは暫く躊躇っていたが、レーネと女の説得に負け、遂に荷馬車の片隅に腰を下ろした。一方アキは、レジナルドの外套を覗き込もうとする女の視線を、さり気なく遮ることに必死であった。


「配下の者を気遣えるのは、一人前の女の証だ。無作法な余所者だと思ったが、常識は弁えているらしい」

「仲間や友達を大切にするのは、どこの国も同じだと思いますよ」

「ともだち、ね」


 女は口元の布を首まで押し下げた。赤褐色の肌、細い鼻と薄い唇があらわになる。小さなナイフのように洗練された、中性的な印象を与える顔立ちだった。


「申し遅れた、私の名はサフィエ。短い旅路だがよろしく頼むよ」


 サフィエと名乗った女に続き、レーネとレジナルドも名乗る。

 そうして、4人の束の間の旅路が始まった。アルァディラに着けば、故郷までは3日ほどの道のりだ。アキは形容しがたい焦燥が胸を焼くのを感じていた。


─やっと着く。着いてしまう。


 二度と帰らないと誓った、あの場所に。






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