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黎明は夜より出でて  作者: 伊勢谷照
第9章【太陽の葬列】

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第百話 少年の決意Ⅱ


 翌日、レジナルドはひとり森を歩いていた。  

 木々に遮られた弱々しい木漏れ日を見上げる黄緑の瞳が不安げに揺れる。

 フロールフに「母の秘密は帝都にある」と告げられ、その真実をサイラスに問おうとした途端、伯父であるゲイルの訃報が飛び込んできたのだ。

 突然にセレ氏族の最年長となったサイラスは、当主代理として帝都に赴くことになり、親子で語らう暇も殆ど無く、役人に急かされるようにして出立してしまった。

 否、時間があったとしても、レジナルドは父と対話しなかっただろう。大変な事態の中、自分のことで彼を煩わせたくなかった。


「俺は」


 足を止める。木々の隙間から街道と葡萄園が覗く。外の世界に憧れ続けたというのに、レジナルドは結局、自分の意志でこの道の先に踏み出したことはない。

 サイラスがその存在を隠し、森に封じ込め、そしてフロールフが激しく憎むだけの理由が、自分の中に秘められているのではないか。レジナルドの心には不安が付き纏って離れなかった。


「……俺は何者なのですか、父上」


 虚空に語りかけても、答えは返ってこない。そのはずだった。


「あ、レジー!」

「レジー様〜」


 レジナルドは顔を上げる。木々の奥から2つの影が走ってきた。


「レーネ……それに、アキ?」

「よっ」


 久方ぶりに会うアキは、以前と変わらない様子で軽く手を振る。彼が来訪する理由が思い当たらず、レジナルドはレーネに視線を向けた。


「どうしてアキが?」

「わたしたちから、レジー様に大事なお話があるんです!ね、アキ!」

「分かったからちょっと落ち着け」


 何故か興奮気味に声を張り上げるレーネを、アキが宥めた。


「……レジー、ここにいたってことは、外に出る気だったのか?」

「いや……そうとも言えるし、そうでないとも言える」

「ほら、きみに似てるって言ったでしょ」


 褐色の髪を揺らし、彼女はアキとレジナルドの手首をそれぞれ掴んで振ってみせる。

 話についていけず、レジナルドはふたりの顔を交互に見つめた。


「い、一体何の話だ?」

「レジーは、外に出たいと思ってるのか?出なくちゃいけないとかそういうのじゃなくて、自分の気持ちで……だからここに立ってるのか?」

「……え、ええと……」


 レジナルドを正面から見つめるアキの瞳は、透き通るような青をしている。それは彼とともに見た、レスタの海と同じ色だった。どこまでもどこまでも広がり、繋がっていく世界への扉だった。

 あれを見た瞬間、レジナルドの世界は塗りかわり広がった。鬱蒼とした森しか知らなかった心が、光を受けた海のように輝いたのだ。


「俺は、外に出たい。外に出て、知らないことを知りたい。海も、空も、家族のことも、自分自身のことも……でも、それはとても罪深いことかもしれないんだ」

「俺も一緒だよ、そんなの」

「きみだって似たような理由で落ち込んでたじゃん」

「お前マジで黙れ」


 アキはレジーの手を掴んだ。手袋越しでも、違う色をした肌の下でも、やはり血の熱さは同じだ。


「レジー、外に出るぞ。俺たちは俺たちのことを知らなきゃいけない。お前もそう言ってただろ?」

「しかし……」

「レジー」


 再び名を呼ばれる。その声は揺るぎない芯をもって響く。初めて会ったときは、アキがレジナルドの真っ直ぐな心に圧倒された。しかし今は全く真逆だ。レジナルドは自分を見つめる青を見返すことができなかった。


「俺たちって、お前の言う通りこの世にいちゃいけない人間かもしれない。でも俺には……俺を家族だと思って、信じてくれる人がいる。お前にとってのサイラス様もそうだろ?」


 17年間、サイラスの愛を信じて生きてきた。しかし今は、己は父の唯一人の息子だと手放しに誇ることが躊躇われた。


「……俺は、父上と血が繋がっているという保証すら無いんだ。スノッリとも、アキとも……」


 アキは驚愕と共に目を開くが、すぐに頭を振った。


「だとしたら、サイラス様は絶対お前を大事に思ってる。血の繋がりも、思い入れもないガキをこんなデカくなるまで育てられる人間なんていないからな」

「……そう、だろうか」


 そのとき、レジナルドは背後から迫る気配を感じ振り返る。屋敷に続く踏み固められた小道の奥から、見慣れた長身の女性が歩いてくるのが見えた─ヒルデだ。


「ここに居ましたか、レジー様。ここ最近、ずっとここに来てますねぇ。でもこの先には行かないんですか?」


 ヒルデは腰に手を当て、その瞳は森の外に広がる葡萄園、街道、空へと動いていく。


「あたしは、レジー様がご存知になりたいことを……多分半分くらいは知ってます。でも話すことはできない。旦那様がそれを望んでるから。旦那様にとってのレジー様が、あたしやフローにとってはあの方なんですよ」


 その女性にしては大きな掌が、少し乱暴な調子でレジーの頭を撫でる。ぐわんぐわんと視界が揺れるほどの豪快な手付きは、幼い頃と少しも変わらなかった。


「そんでレジー様は、あたしにとっちゃ孫みたいなもんなんです」

「……ヒルデ」

「レジー様、旦那様─サイラス様はね、あなたが思ってるほど大層な人じゃないんですよ。口達者で生意気で我儘で、何とも思ってない子どもを育てられるような気概なんてありません。あの人は、あなたのことが大切なんです。それだけは分かって頂けると嬉しいなあ……な〜んてあたしが言えた義理じゃないだろうけど」


 彼女は肩をすくめると、背に負っていた革袋をレジナルドに差し出した。中を覗いてみると、そこには当座の着替えや路銀、水筒など旅に必要であろう道具が揃っている。


「この森は穏やかで、静かで……旦那様とレジー様とスノッリ様と、ここでずっと幸せに暮らしてほしいですよ。でもここは止まり木みたいな場所だとも思うんです。何があっても、どんなことがあっても、帰って来られる場所っていうか……少なくともあたしにとっちゃあそうです。つまり何が言いたいかっていうと」


 彼女は言葉を切ると、レジナルドを両腕で強く抱き締めた。昔は首を痛めるほど見上げていたはずの顔が、淡い色の瞳が、すぐそばにある。


「いってらっしゃい、レジー様。雛鳥はいつか飛び立つもんです。ずっと鳥を目で追ってらっしゃったでしょう。あの鳥みたいに、レジー様も外に出て良いんですよ」


 優しくも力強い声が、レジナルドの足に絡みついていた葛藤を取り去っていく。

 ヒルデは間違いなく、彼にとっての祖母であり母であり姉のような─暖かい存在だ。今までも、これからもずっと。


「貴方の疑問の答えは、旦那様がご存知です。追いかけて、さっさと教えろクソ親父!って頭叩いてやってください」

「……父上を叩くことなどしないが」


 レジナルドは生真面目に訂正して続けた。


「ヒルデ、もし俺が本当に……フローの言うように、どうしようもなく呪われた、この世にいてはいけない存在だとしたら」 

「今更ですよ。貴方のお父上は怪物って呼ばれてるんですから。似たもの親子ってことで話のネタにすりゃおしまい!」


 彼はそこで、ようやく微笑んだ。

 ヒルデはいつも通りだ。そしてこの森も静かで穏やかだ。きっとレジナルドが森の外に出て、何かを知っても、ここにある全ては変わらず在り続けるのだろう。そう、サイラスも─


「……ヒルデ、俺は森の外に出る。本当は、ずっとそうしたかったんだ」

「はい。お土産よろしくお願いしまーす」

「ふっ、酒で良いか?」

「ははは!じゃあ一緒に飲みますか!」


 ヒルデは次いで、レーネとアキの肩に手を置く。勢いが良すぎるせいで骨が軋むような圧を感じたが、何とかこらえた。


「レーネ!」

「は、はい!」

「家のことはあたしがやっとく。あんたは絶対レジー様を守ること!」

「分かりました!」

「えーと、アキ坊やだっけ?」

「坊やは余計だ」

「冗談だよ、アクィルス」


 彼女は殆ど話したことがないアキの本名をすんなりと発音し、掌を空に向けて両手を差し出した。アキは丸く目を開き、掌を地に向けてその手を握る。これはアステリにおける信頼を示す挨拶で、交渉事の締結にも用いられるものだ。


「よく知ってるな」

「年の功さ。南方人は世慣れしてるだろう、あんたもレジー様をよろしく頼むよ」

「俺だってこいつに助けられてるよ」

「へえ、我が家の坊っちゃんはいつの間にかそんなに頼もしくなったのか。なら尚更、引き止めるなんて出来やしないね」


 レジナルドは坊っちゃん呼びに少しだけ口を尖らせたあと、ヒルデに向き直った。


「では、行ってくる。フュスコンにも挨拶していきたいが……」


 買い出しに出ている料理人の名前を出せば、彼女はけらけらと笑う。


「あいつも南方人なんですよ、レジー様が10年後に帰ってきたって、あたしたちにとってはあっという間です」

「そこまではかからん。俺は父上とスノッリと共に、またこの森で暮らしたい。そのために行くのだから」

「分かってますよ。いってらっしゃい、あなたに神のご加護がありますように」


 湯浴みや散歩に行くときに何度もかけられたはずの言葉が、全く違う意味に聞こえた。

 レジナルドは隣に立つアキとレーネの顔を交互に見て、深く息を吸い、そして─森の外へ続く一歩を踏み出した。


「ねえ、そういえばアキって南方に行くんでしょ?レジー様は帝都だからどうする?」

「この季節は潮流の関係で海路はだめなんだ。だから一回帝都を経由して、宿場を伝ってシーラ州に向かう」

「つまりお互いに、とりあえずの目的地は帝都ということか?」

「そうなるな」

「あ!あのさあ、レジー様とアキが初めて会ったときって、魔力の暴発?で遠くに移動したんだよね。それを使えば、帝都の近くにひとっ飛びできるんじゃない?」


 歩く度に、木漏れ日は真っ直ぐな日差しとなってレジナルドの頬を照らす。

 一歩、一歩と進むたび、鼓動が痛いほどに高鳴る。手足が痺れ、口の中が乾く。恐怖と高揚がないまぜになって、身体の制御が上手くいかない。


「暴発って、そんな何回も起きるわけないだろ。再現性があったらそれはそういう魔法だ」

「ものは試しって言うじゃん」

「海の上にでも落ちたらどうするんだよ」

「じゃあこのまま帝都に行くの?わたしはちょっとだけお金持ってるけど」

「ルイスさんとクレアさんに挨拶したい。あのふたりにはちゃんと話して……帰ってくるって伝えないといけないから」 


 年相応の子どもらしさと、固い決意が混ざり合う会話。その中心で石のように背筋を伸ばし、ぎくしゃくと歩くレジナルドを、ヒルデは背後から微笑んで眺めている。


「も、森から出るぞ、アキ!レーネ!」

「準備は良いか?兄弟」

「あ、ああ……!」


 頷いたものの、レジナルドの足は一瞬止まってしまう。

 すると右腕をレーネが、左腕をアキが掴んだ。


「せーの!」


 誰からともなく放たれた掛け声に応じ、反射的に足を踏み出す。途端、森の入り口を覆っていた木を突き抜け、3人は前のめりに外へ出た。

 阻むもののない空の青が、ソコを悠然と飛ぶ鳥の姿が、黄緑の瞳に鮮やかに映る。


「出た……外に、出た。外に出たぞ!今度は自分の意志で!自分の足で!」

「やりましたねレジー様!」


 レーネはぴょんと跳ねてレジナルドに抱きつく。アキは背後から彼の頭を軽く叩いた。

 興奮する彼らは気付かなかった。アキの手はレジナルドの頭に、「直接」触れてしまっていたことに。


「あ」


 ヒルデが声を上げた。

 刹那、凄まじい風が下から吹き上げ、3人の身体を綿毛のように上空へ浮かびあげたような気がした。しかしそれは錯覚である。彼らは突然、なにもない中空へと放り出されたのだ。空の青が、海の青が、視界を一気に覆い尽くした。


「わぁぁぁぁぁっ!??」


 レーネがチュニックの裾を押さえながら叫ぶ。レジナルドが彼女と、くるくると風に弄ばれて回転するアキの腕を掴んで何とか引き寄せた。


「なになになになになに!?」

「か、風魔法か?アキ─」

「いや……違う。森が見えない……!海しかない!」


 アキの脳裏に彼自身の先程の発言がよぎる。「海の上にでも落ちたらどうするんだよ」と。あの現象が再び起きたのだ。


「再現性あるじゃん!!アキの嘘つき!」

「話は後!風起こすぞ!近くの陸地まで移動して─」


 遠い遠い彼方の海の上、三者三様の悲鳴が木霊したのは、ゲイルの遺体が帝都へ向かい始めて2日目のことだった。









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