第九十九話 少年の決意Ⅰ
ゲイルの棺は、輝く太陽に照らされ、嘆く人々に見送られながらレスタの街を後にした。
己も後を追わんばかりに泣き崩れるローラン人を、青や赤の肌を持つ奴隷たちが遠くから眺めている。父祖伝来の土地を占領され、奴隷に身をやつした者たちにとってゲイルは憎むべき敵のはずだが、敵意を以って彼の棺を睨む者は少ない。
「みんな、石でも投げるのかと思った」
褐色の長髪をなびかせ、屋根の上から葬列を見送るのは、サイラスの家内奴隷である少女レーネだ。彼女の一族は他に類を見ないほど弾圧されたはずだが、その口調はどこか他人事だ。
「お前は投げないのか?」
傍らで宙に足を投げ出すアキが問えば、彼女は肩をすくめた。
「うーん、ぜんぶわたしが生まれる前の話だから、あんまピンと来ないんだよね」
ローランの奴隷制は合理的だ。勤勉な者には解放や結婚、立身出世の道を分かりやすく示し、素行不良者や罪人には、鉱山や農地で一切の自由を与えずに使い潰す。かつては憎しみをもって反逆の機会を伺った者たちも、多くは主人の命令のままに働き、安穏とした日々を送ることだけを考えている。寛容な主に仕える奴隷以上に、平和で楽な生き方はないからだ。
「祖先の人は可哀想だし、お父さんたちが働かされすぎて死んじゃったのは悲しいけど、わたしは旦那様のところで一生のんびり働けたらそれで良いかな〜、アキもそうでしょ?」
ルイスとクレアのもとで過ごす一生は、とても幸福で平和だろう。全てを忘れてそうしてしまいたい。しかしアキは、心に溜まる澱を捨て去ることは出来なかった。
「お前だから言うけど、ゲイル様を殺した毒は、俺の故郷のものかもしれないんだ」
「えっ……もしかしてクラゲってやつ?触ると死んじゃう生き物!」
「そんな有名なもんじゃない。よその土地には多分いない、地元の人間だけが知ってるような魚の毒だ」
「それって、アキの知り合いのひとが殺したかもしれないってこと?」
レーネはきょろきょろとあたりを見回しながら、声を潜めた。
「分からない。あの村に行って調べるしか無いだろうな」
「じゃあ行こうよ!」
紫の瞳を輝かせ、彼女はアキの手を取る。一切の迷いもないその言葉に、彼はしばらくの間ポカンと呆けていた。
「……い、いや!無理に決まってるだろ。適当に船に乗ったから、海路も分からないし、ローランの地図には乗ってないし、闇雲に探してたら時間がかかり過ぎる」
「でも、行こうとしなかったらいつまでも着けないって。ほら!旦那様……には今相談できないから、みんなで考えようよ」
咄嗟に捏ねた理屈の壁を、レーネは呆気なく飛び越えてしまう。行こうとしなければ辿り着けない。彼女の言葉通りだ。しかしアキには、その一歩を踏み出す勇気が出せなかった。
「そ、そもそも……今の季節は潮流の影響で、シーラ州までの船は出せないだろ」
「じゃあ歩いて行こうよ!わたしも着いていくから」
「なんっ……」
「ゲイル様は、旦那様のお兄さんだもん。亡くなったって聞いたとき、すごく悲しそうだった……わたし力になりたいの。だって旦那様は、わたしが困ってるときにいつも助けてくれるから」
レーネの真っ直ぐさはレジナルドに似ている。しかし彼よりも揺るぎなく力強く思えた。帰る故郷を持たず、生まれながらに奴隷として育ち、過酷な環境で一族を失ったその境遇の中、彼女は清廉な道を外れることなく生きてきたのだろう─その魂の強さに、アキは押し潰されてしまいそうだった。
「わたし、とっても魔法が得意なんだよ。盗賊にあっても、嵐が来ても、わたしがきみを連れてってあげる」
「……無理だよ」
「無理じゃないよ。確かに、早く行くための方法は考えなきゃいけないけど、それはエリックさんたちに相談して考えよ!」
「無理だって言ってるだろ!」
ピタリとレーネの動きが止まるが、それは一瞬のことだった。
「わあっ、びっくりした!もう〜、内緒話なのに大きな声出したら駄目だよ」
「……」
「アキ?」
全く意に介していないレーネとは裏腹に、彼は激しく動揺する。アステリ人にとって、女性の話を遮り、あまつさえ声を荒げることは酷く不道徳で下品な振る舞いだった。
「ごめん、怒鳴って」
「今の怒鳴ってたの?全然迫力ないから気にしなくて良いよ!フローさんなんて、耳割れそうなくらい大きな声出すもん」
「そういう問題じゃないって……」
アキは膝を抱え、深いため息をつく。
「帰って、村の奴らに……違う、父さんに会いたくない」
「どうして?家出したの怒られるから?」
「……色々あるんだよ、複雑な事情ってやつが」
正確に言えば、会うのが怖いのだ。父が愛しているのは自分ではなく母の面影かもしれない。長年胸に蓄積し続けた不安の真実を知る決意ができないのだ。
父は自分を案じているだろうか、勝手な行動に怒りを表し、そして帰ってきたことを喜ぶだろうか。もし「気ままなところも母さんに似ている」といつも通りの言葉を聞いてしまったら─
アキは膝に額を押し付ける。あの村から外に出る者は殆ど居なかった。そんな場所の正確な位置を知るのは、ローランではアキ以外に存在しないかもしれない。暗殺の真実を知るために、村で証言を集めるべきだ。そして母の行方も、父の真意も、きっとあの地に行けば分かるだろう。
誓ったはずだ。運命からは逃げないと。立ち向かい、抗い、真実を知ると。
「俺は逃げない。逃げたくない……」
「でも、怖い?」
「……そうだよ」
アキは遂に言葉にして認めた。
普段は憎まれ口や軽口を叩きあうレーネだが、少し上方を向いて考えたあと、「あっ」と声を上げる。
「じゃあさ、レジー様にも話してみようよ」
「レジーに?」
「うん。あのね、レジー様も森の外に行きたいんだって。でも不安だって言ってた」
レーネは宙に投げ出していた足で屋根の上に立ち上がる。
「アキとレジー様は似てるから、ふたりで居ればすごいことも、大変なことも、怖くなくなるよ。きみはずる賢いし、レジー様は強いし、そこに、頼りになるお姉さんのわたしも居れば完璧だね」
そこでレーネは言葉を止めて、少し口を尖らせた。
「わたしの話し方って何かバカみたい。故郷の言葉も、ローランの言葉も、中途半端」
「……お前はバカなんかじゃないよ」
南方人や北方人が愚かだと言われる理由のひとつは間違いなく、母語では無い言葉で話すことを強いられる生活にあるだろう。
故郷では彼らはもっと雄弁で、自信をもって話すことが出来る。それが叶わないことは酷い屈辱だ。しかし飾り立て誤魔化す術を知らないからこそ、レーネの言葉は暗闇からアキを容易く引き上げた。
「……レジーはどうしてるんだ?」
「お屋敷にいるよ。本当はわたし、一緒に来ようとしたんだけど、断られちゃった。外に出たいけど、出たくないみたい」
「そうか」
父を信じたい。その心を思い出したのは、思えばレジナルドとの出会いがきっかけだった。彼はアキにとって初めての友人で、そして同じような出自と謎を背負う存在だ。
外に出たい。しかし出たくない。その気持ちは手に取るように分かった。だからこそ今ここで彼を放っておいてはいけないと感じた。
「レーネ」
「なあに?」
「お前の勇気、分けてくれるか?」
「きみ、素直に着いてきてって言ったほうが格好いいよ。きをえらう……てらう?と、バカっぽいから」
「うるせえ」
少々格好つけたことを見破られ、アキは顔を逸らす。
「レジー様も里帰りに誘うの?」
「お前が言ったんだろ。3人揃ったら完璧だって。レジーが居たら心強いし、それに俺たちは一応親戚なんだ、あいつのことも父さんはなにか知ってるかもしれない。今回の事件の犯人も、俺たちの秘密も、そこにあるとは限らないけど、でも……外に出なきゃ、何もわからないままなんだよ」
「うんうん、その意気だよ!」
レーネは跳ねるように立ち上がる。褐色の髪が潮風を受けて激しくなびいた。
「レーネはなんで、俺とレジーをそんなに気にかけるんだ?」
「……うーん、わたしは何も知らないからかな。いや、知れなかった?知ろうとしなかった?よくわからないけど……」
首を傾げながら話す彼女の紫の瞳を、アキは急かすことなく見上げる。
「わたし、伝統も、昔話も、全然興味なかったの。だってそんなことより、お仕事とか、その日のご飯のほうが大事だし、役に立つから。でもみんな死んじゃって、ひとりで旦那様に売られて、旦那様はわたしに、色んなお話をしてくれたんだ」
シルアの民は、この周辺を領土とした旧レスタ王国の少数民族だ。サイラスはレスタ史に対する造詣が深く、レーネに彼女の民族の歴史や文化、教え、生活、そういったものを物語のように話して聞かせたらしい。
「旦那様は、昔の人が残した日記でそれを知ったんだって。すごい面白かったよ。でも、そのときに思ったんだ。わたしが聞こうとしなかったから、おじいちゃんやお父さんたちが故郷で生きてた思い出は、もうこの世界から消えちゃったって……それってすごく悲しいよね」
「……」
「だから、ふたりには知ってほしいよ。自分のことも、家族のことも。知ろうと思って、知ることが出来るうちに」
数多の思い出や物語が、星のように生まれては消えていったのだろう。そしてこれからもそうなのだろう。
ゲイルの死の真相も、父の真意も、何もかも。だからこそ進まなければならない。全てを知るために。




