蟻の一穴?
私のやってみたいことについて。
まだ具体的な形を帯びていないそれを、意外にも暁さんは真剣に聴いてくれた。
基本的にはこの人は一線を引いているだけで、対人という部分に関しては相手が誰でも真摯さを持っていた。
「へぇ、色部さんが企画するのか」
この店では名刺には氏名を入れている。
源氏名の名前だけがひらがなで入っているような軽い名刺でなく、お客様と交換するに値する、指名をきちんと名乗る名刺だ。
だから、源氏名を名乗りたい子には苗字が与えられている。私や要さんの場合は本名の名刺を使っている。
名刺を渡したときから、線を引いていると強調するかのように、この人はひとりだけ私たちを苗字で呼んでくる。わざわざ。頑なに。
「ねえ、名前で呼んで欲しい!」
何もかも全部。すべて素直に行くことにしたから、この辺りもストレートに行く。
「おっ、誉、言うねぇ。うんうん、私も名前で呼んでよ! みんなアキちゃんて呼んでるんだしさぁ」
私たちの会話が聞こえたのか、要さんが口を挟んだ。
わたしは暁さんって呼んじゃってたけど、いい機会だ。アキちゃんって呼ばせてもらおう。
「まあ構わないけど。誉さんに要さん、で良いか?」
「かてーよ暁! さんも抜いてやれや」
「ふー、はいはい、誉、要。水割り作ってもらえる?」
「はーい、よろこんでー!」
要さんがさっとアキちゃんのグラスを取り、水滴を手慣れた所作で拭ってから流れるような手順で水割りをつくる。
アキちゃんも別に呼び方にこだわっていたわけではないようだ。ただ、なんとなく線を引いていただけ。
場の空気を重視したためか、意外と簡単に言うことを聞いてくれる。名前呼びになった影響か、前後の言葉も心なしかフランクになっている気がした。
「それでね、うん、企画するんです! がんばらなきゃー。アキちゃんて仕事でなんか企画とかも考えたりするんですよね? なんかないです?」
「漠然とし過ぎててなんとも……でも、まあ、協力したいなとは思うよ」
おお⁉︎
「知り合いに似たような子いてね。その子の場合は実の妹だったけど、妹のために結構でかいプロジェクト立ち上げて、俺ら含めてたくさんの人巻き込んで、しっかり成功を収めててさ。
あれは結構ぐっと来た……っていうと、単なる感動モノみたいだけど、巻き込まれてる側も当事者だから、当事者ならではの達成感や充実感も味わえて。それがはっきり言えば快感だったからってのもある」
そういうの、またやっても良いと思っているのだとか。