私の取り組み
そんな生活を、先輩や職場の仲間や学校の友だちなんかと過ごしている今は、楽しかった。
決して悪い人生じゃない。後悔するような選択をした結果の果てに辿るようなものではなかった。
そのことを、少し寂しそうに、残念そうに、そして、少し安心したような顔で聴いていたマレ。
それに、今の生活にも彩がある。
「前ちょっと言ったことあったよね。打楽器やってるって。受験で一時やめてたんだけど、大学生活落ち着いてきたらまた始めようかなって」
「あー、ブラジルの楽器でしょ? ほまれちゃんならヴァイオリンとかフルートとか、あ、ピアノなんかも似合いそうだけどなー。ギターとか弦楽器も格好良さそうだし。でも、リズム楽器なんだね」
「うん、音楽の基礎はリズムじゃない?」
確かに、とマレ。
ダンスでも、音楽を聴き込み、どんな楽器が鳴っているかを把握するのが重要だ。
楽曲の奥の奥に微かなリズムが刻まれていることがある。その音をどこまで捉えて踊れるかが、ダンサーに問われる部分だ。
だから、完璧なダンサーのダンスはスポーツではなく音楽そのものなのだと思う。
「ドラムも格好良さそうだよ。民族楽器のことがわからないだけなんだけど、ほまれちゃんとブラジルの楽器って、なんかピンとこないんだよねぇ」
それはわかる。
おそらく世界各地、文化が存在しているすべての国に音楽があり、その音楽独自の楽器がある。
馴染みの薄い国の民族楽器の知識は、音楽家よりも民俗学者や考古学者の領域だろう。
バレエをやめた後。
私の行く末を心配したらしいマレから、事あるごとに連絡があった。
「これからどうするの?」
マレを安心させるという目的では無かったが、確かに喪失感を抱えていた私は何か取り組むべきものを見つけようとしていて、そこでサンバに出会い、スルドを始めることとなる。
そのことはすぐにマレに伝えていた。
ただ、サンバという言葉ではなく、ブラジルの太鼓を始めたという言い方で伝えていた。
サンバという言葉は多くの日本人にとって馴染みがあり、強い一定のイメージを抱かせる単語だ。
一方、その文化的背景を含め、サンバを音楽のジャンル、ダンスのジャンル、それぞれに於いて正しく認識している人はほとんどいないと思う。
取り組みたいことを見つけたのに、言葉ひとつで思惑と異なる印象を与え、誤解を解くための説明をするという工程を省きたかった。
単純にやりたいことを見つけた私を知ってもらって、安心してほしかった。
それと、一般的にはサンバはダンサーの印象の方が強い。
バレエから自ら手を引いた私が、その矢先に別ジャンルのダンスに関わっていると、小学校を卒業したばかりの子どもで、思春期に入った多感な時期のマレに思わせたくなかった。
私は私なりに、マレとの付き合いの中で、マレの激しさと強さの奥にある、本人も気づいていないであろう僅かな脆さがあることに気付いていたから。