降りることを決めたとき
私にも、充分な実績と評価があった。
マレがその実力を発揮し始めるまでは、同世代以下では教室内で最も評価を受けていたのは私だった。
優勝していなかったとしても、コンテストではスカラシップ(留学資格や授業料免除、奨学金などの特典)が得られる。
そもそもバレエ団自体、トップダンサーのみが唯一人で成立させられるようなものではない。
公演の中の一場面に於ける群舞でも、二十人や三十人という規模の集団となる。
公演をひとつ作り上げるためには多数のダンサーが必要なのだ。
コンテストで最高評価を得たものだけで成り立つ世界ではない。
実際、優勝に届かなかった私の演技を、高く評価してくれた海外バレエ団所属の審査員もいた。留学のお誘いを受けたこともある。
コンテストの結果でも、留学資格のスカラは何度か獲得してもいた。
私の前には、マレ程色濃くはなくとも、途切れていない道が続いていたのだ。歩み続ければ、マレと交わした約束が果たせる可能性を残した道が。
その道を、私は自らの意思で降りた。
私は三月末の大きなコンテストに照準を絞っていた。
そのコンテストからは、毎年何人もの海外のバレエ学校への留学資格を得ている、バレエの世界に進む将来を見据えている者にとっては重要なコンテストのひとつだ。
その年度、最後になるであろうコンテスト。
それは、私の中学時代最後のコンテストでもある。
私には秘めた決意があった。
その頃はもう受験は終わっている。何の憂いもなく大会に臨める時期。
充分な努力と準備。
身体もヴァリエーションの練度も、過去最高の仕上がりだった。
年齢的に体力も技術も練習するほど上がっていくのだから、過去よりも良いのはそれはそうなのだが、バイオリズムというか身体のキレというか、コンテストのその日にピークが来るよう調整されたかのようだった。
気力も乗っている。
衣装も素敵だし、私の身体と、身体の動かし方に最適なつくりだった。
演目は得意なジゼル。
国内有数のコンテストには、相応の実力者が集まる。
そのコンテストで、過去最高に仕上がっている私は、同世代屈指の実力者たちの中にあって尚、勝ち切れる状態にあった。
これで、勝てないなら。
これを、最後にしよう。
その決意は決して悲壮なものなどではなく。
覚悟と充実を伴ういっそ爽やかとさえいえるものだった。
だから、彼女の想いを知っていながら、その道は残っていながら、自らの意思で閉ざした私は、痛みを抱えて生きていくべきなのだ。
だから、彼女が私の決意に対し、後ろ暗さなんて抱え続ける必要なんてなかったのだ。