マレ
スマホに届いていたメッセージ。
その送り主の少女を想った。
かつて、バレエに心血を注いでいた頃。
共に在った妹のような少女のことを。
私はバレエというものを、結局どれだけ追い求めていたのだろう。
きっかけは憶えてもいない。
ただ、親に連れられて行った教室に、いつの間にか通うことになっていた。その頃は母の友人の子たちも一緒だった。たしかマユちゃんとえっちゃん。正確な名前は多分知らない。
ふたりはいつの間にか居なくなっていた。
親が友人同士ということもあり、一緒に送迎してもらったり、帰りにどこか寄ったりと、それなりに仲は良かったと思うが、如何せん未就学児の交友関係だ。環境によるつながりがなくなれば関係性は自ずと途絶える。そのことに特に何の感慨も無かった。
同時に入会した子たちが気付いたら居なくなっていた頃から、同世代の中で頭が一つも二つも抜けた成績を出すようになった私に、まずは母が熱中し、やがて父も心血を注いでくれるようになっていった。
教室には日々新しい子たちが入ってくる。会話をする子もいれば、一度も話すことなく終わる子もいる。憶えている子も居るし、認識すらしてない子もいるだろう。
親の支援を、或いは熱中を、一身に受けバレエに取り組んでいった私は、一層バレエに没頭した。没頭をすればするほど、周囲は日に日に色を失った世界へとなっていった。
ある日、バーレッスンの隣が、ほんのり優しく灯るような温かさを伴う色で彩られていた。
まだ小さなその色は、その名前の通り、希望に満ちていて。
希。
きらきら輝く瞳は、好奇心と憧れに彩られていて、たくさん話しかけられた言葉以上にマレの想いを語っていた。
別世界の住人のように見えたお姫さまだか妖精さんだかが、目の前にいるのだ。興奮を抑えろというのが無理な話。
私のことをそのように語ってくれる少女にはっきり言って私も悪い気はしていなかった。
幼い後輩が明らかに自分を慕い、尊敬し、隙があればついてきて話しかけ、一緒に踊れば一生懸命私を真似ようとしている。可愛くないわけがない。
同じ夢を見た、同じ道行を往く、みっつ年下の女の子。
気がつけば、一緒にいることが多くなっていた。
私にも、資質という点で言えば相当なものは持っていたという自負はある。
同時期に始めた子たちを早々に彼方へと置き去りにし、前を進んでいる先輩たちすらあっという間に抜き去った。
親や教室、先生の期待に応えられる自信もあったし、そのことに喜びも見い出していた。
しかしマレは、モノが違っていた。
いつしか私の模倣の範疇には納まらなくなっていたマレ。
マレの資質は、私を軽く凌駕していた。
技能や身体的な素養にはそこまで大きな差は無かったかもしれない。得意不得意を見れば、私の方が優れている要素もあった。
静謐さや美しさ、流麗さは私の演舞を評する際によく用いられる属性だった。
私を模倣していたマレにも、それを表現する技能は備わっていた。そのうえで、マレの演舞は「その芯で静かに熱を放つ塊」の要素が顕れていて、観るものを惹き込み、評価するものをも熱くさせた。
その熱は、強く激しい演目とも相性が良く、解放された熱は躍動感という表現を通り越し、ダンスにて現わされる「歓喜」も「怒り」も「悲しみ」も、すべての感情が「鬼気迫る」段階まで引き上げられていた。
私では、私の演舞では、表現しきれなかった部分だった。
溶鋼は静かに熱を放つ。
熱く重く、しかして変幻自在の熱の塊は、自らと周囲を滾らせ、或いは火をつける。
だけどその溶鋼が冷めたとき。
靭くて硬い鋼になるのかもしれない。でも精製の仕方次第では、脆い仕上がりとなることもある。
マレがしなやかな靭さで在り続けるために、私は失えないピースだったのだろうか。
これが自意識過剰な自惚れだったのなら良いのに。もしそうならマレに思いっきり笑ってもらいたい。そうしたら、私も照れながら笑うのだ。
だけどそれは、詮無い妄想に過ぎない。