祷さんとの会話
私が何故姫田さんに会いたかったのか。
その説明はついつい熱の入ったものとなってしまった。
あ。熱くなり過ぎたかも。そっと姫田さんを窺い見る。
私の一生懸命話す様子を、姫田さんはにこにこと聴いていた。よかった、引かれてはなさそうだ。
「私も上杉さんに倣って誉ちゃん、て呼ばせてもらうね。だから私のことは祷で良いし、そうなると上杉さんは要さんで、かわもっちゃんはかわもっちゃんのままでいい気がするけど、せっかくだから名前呼びで行こ? 芙柚佳で良いよね?」
川本さん、もとい芙柚佳さんは、「え? あ、うん」と、あ行しか話せなくなったみたいになっていた。
姫田さんーー祷さんのすごさを垣間見た気がした。
物言いを文章で見れば有無を言わせぬ強引さというか、勢いを感じるだろうか。
人を動かす、思い通りに進める、推進させるためには必要な要素だろう。
あるいは、論理的な説明や魅力的な提案で、納得や理解を得るのも良い。
祷さんの場合、そのどちらの要素も持ちながらも、根本はにそのどちらでもない、「祷さんの言うとおりにした方がなんか良い気がする」と思わせる雰囲気作りだ。
ある種のカリスマ性のような効果があるのか、疑問も抵抗もなく、すんなり祷さんが提案した形式で場は自然な形で形成されていく。
「改めて、誉ちゃん、動画見てくれて、褒めてくれてありがとう。ちゃんと観てもらって嬉しいな。私よりも先輩のスルド奏者にそう言ってもらえてちょっとほっとしたよー。方向感あってるかなって、探り探りやってたから」
始めて早々で、あれだけ叩ける祷さんの力量もさることながら、その演出や見せ方は、俯瞰で奏者である自身を見ることができ、視聴者が何を観たいか、どうすれば観てもらえるか、何を見せたくてどう観てもらいたいか、そういった点が論理的に組み込まれ、それを撮影や編集の技術で実践できているからだと思う。
会話はまずは直近でキャッチーなブラジルの体験談となった。
祷さんはトークも上手い。
さすが地球の裏側だけあって、そもそも刺激的で驚くべき出来事が多いのだが、それをより魅力的に、興奮を伴って聴かせてくれる祷さんの話に、私たちは引き込まれた。
「へぇぇぇぇ......ブラジルのこと自体、イメージしかなくて実のところを実はあまり理解してないことは理解はしていたけど」
「やっぱり日本とは全然違うんですねぇ......」
要さんと私はしきりに感心していた。芙柚佳さんは「え、祷そんなことになってたの?」と、同級生の知られざる話に只々唖然としていた。