【高みは遥か彼方なれど】
大きい都市なのに静かな夜は、勉強にも向いているけれど、考え事にも向いている。
想いを馳せ、手紙を書くなんてことにも。
束の間のひと時は、その名の通り終わってみれば一瞬だったけれど。
その短さに反比例するかのように、持ち切れないほどの恩恵をわたしは与えられたのだと思う。
おじいちゃんと一緒に働いたこと。
おばあちゃんからもらった言葉。
のぞみに気付かされたこともある。
のぞみに喜ばされたこともある。
のぞみに助けられたこともある。
掛け替えのない存在に、改めて沸き立つ膨大な量の感謝。その量と比例した多大なものを、わたしは得た。
そして。
子どもの頃にわたしを扶け、導き、支えてくれた、姉のように慕っていたほまれちゃん。
ほまれちゃんがいたから頑張れた。
初期衝動は、憧れたほまれちゃんに褒められたかったからだ。
そのモチベーションは多少長じてもわたしから抜けることは無かった。
「ほまれちゃん」
「ほまれちゃん!」
思い返すとやっぱりちょっと恥ずかしい。
ほまれちゃんを見かけたら駆け寄り、フリーの練習時は隣に陣取って真似をして、トイレひとつ行くのにもついてこようとする。
相当鬱陶しかったんじゃないだろうか。
無邪気に真似をしていたほまれちゃんの形、踊り方で。
コンテストで次々上位入賞を果たしていたわたしを見ていて。
ほまれちゃんはどう思っていたのだろう。
もちろん年齢によるカテゴリわけで、直接対決なんて場面は無かったけれど。
ほまれちゃんはいつも、その演舞のように湖の如き静謐さを湛えた表情と、心を持っていたように見えたけれど。
さざ波のひとつも立たなかったと言えるのだろうか。
わたしは、わたしのことばっかりだった。
ほまれちゃんはいつもわたしに寄り添ってくれていたのに、わたしはほまれちゃんに寄り添えたことなんてなかったのかもしれない。
ほまれちゃんがバレエの世界から身を引くと決めたとき。
わたしは自分の悲しみは何とか心の奥に押し込めて、ほまれちゃんの悔しさや悲しさに想いを馳せていたつもりだった。
でも、その根底には、「自分のせいでほまれちゃんが辞めてしまう」という後悔と罪悪感があった。
結局、自分のことばっかりだったのだ。
ほまれちゃんがいなくなった後、わたしは独りで頑張った。
独りで頑張っているという自分に、陶酔していたともいえる。
そもそもほとんどの人はある意味ひとりでやっているのだ。
もちろん、先生や両親などの支援者はいる。そしてそれは、わたしも同様なのだから。
独りで頑張って頑張って、それでもどうしようもなくなって。
そうして逃げたわたしは、また、ほまれちゃんに寄っかかろうとした。
さすがに、「わたしを残していったほまれちゃんの罪悪感をつつく」なんてつもりは一切なかったと断言できる。
そこまでわたしは計算に長けてはいない。
情けなくも、動物じみた情だけでほまれちゃんに癒しを求めたに過ぎない。わたしの動機はいつだって単純だったのだから。
でも、それとて、結局は「わたし目線」でのお話。
ほまれちゃんがどう捉えたのかは別の話だ。
いつもわたしを護ってくれていたほまれちゃん。
ほまれちゃんもまた、わたしとは幾許も変わりのない幼さで、シビアな世界で競技に挑む側の者だったのに。
他人のことにかまけている余裕なんてないことなど、その世界で心身を削っているわたしが一番よく理解している。
でも、ほまれちゃんは違った。
高まる緊張感の中、集中力を高めなくてはいけないのに。
わたしのこわばりを解きほぐし、時には衣装の不具合を気に掛け、直したりもしてくれていた。
先生たちからですら、「そんなことは私たちがやるのだから自分の準備と出番に集中して」と言われるほどに。