次の舞台へ
熱気も、音も。人から発されたもののみで考えれば。設備の乏しさを考慮すればクラブやライブハウスに迫るものがある。
フロアの状況がこのあと失速することはまずあり得ないだろうから、イベントそのものはとりあえず成功と考えて良いだろう。このあと、トラブルや事故が無いように注意はするとして。
となれば、あとは個々のパフォーマンスの出来だ。
『confusão』は参加メンバーがそれぞれ、比較的不慣れなものにチャレンジする企画だ。
不慣れな分、かなり練習に時間を割いたつもりだが、やっぱり緊張する。
ダンスパートの演者の中では、バレリーナだった私が最もダンス適性が高い。
たどたどしさも演出のひとつではあるが、お客さんに観てもらい、お客さんに盛り上がってもらうことを考えれば、手を抜けるものではない、むしろ全力で練習し、その集大成を発表し、それでも現れる不慣れな部分が、「完璧な演技」とは異なる魅力を創出できる。
それでも、やる側が不出来を良しと甘えるわけにはいかない。ましてダンス経験者としては、不甲斐ない姿など見せられない。
(マレも観るんだから……!)
その気負いが、緊張を連れてきているのはわかっている。
問題ない。
緊張を強張りから、程よい緊張感に変えることなど、これまで何度でもやってきたことだ。
しかし、これから踊るのはサンバだ。
私が当時、バレエを踊る前にやっていたルーティーン。精神統一からの、没頭。
音楽やバリエーションが描く世界に身を浸透させる意識。
我が薄れ境界がぼやけ、舞台と私は一体化していた。
事実、私は踊っているとき、集中の極致にあり無であった。
何かを考えながら踊っていたことはほとんどなく、気が付いたら演技が終わっていたなんてこともある。
無我の境地に居た私が、音楽が終わって我に返るのだ。
それは、最高のパフォーマンスを発揮できる状態のひとつではあったと思う。
しかし、サンバ。
弾ける笑顔で。
興奮と歓喜の声を上げ。
感情と感動を身体で表現する。
自分を見ろ! と言わんばかりの主張をする。
それは、私がバレエではできなかったことだ。
そして、それがきっと、私のダンスの欠陥だった。
サンバは、私の弱点がもっとも問われる類のジャンルのダンスなのだ。
練習はかなりやった。
でも、これって練習でどうにかするものなの?
いや、できなかったものができるようになるには、練習でも何でもやってまずは意識から変えてかなくてはならない。
私は変わったか? と言われれば、この短期間でそう簡単にいくなら私はバレエを諦めなかっただろう。
だからといって。
どうあれ私はサンバの業界にいる。
打楽器奏者になったことを逃げたとも思っていない。
ならば、サンバの魅力でもあり神髄のひとつでもある「感情の発露」を、できなくて良いなんて論理はない。
ならば、これは良い機会でしかない。
準備はしたのなら。しっかり練習したのなら。あとはやるだけだ。
……よし、いくぞ……!
ダンス経験者の私は一応ダンスパートを取りまとめる立ち位置でもある。
私の気合いを、そのままみんなにも伝えよう。