1.勇者クリフ
魔王イルカンダルが復活して、三年が経つ。
イルカンダルはかつてなし得なかった魔族による世界蹂躙をなすべく、魔獣を世界中にのさばらせ、配下の魔王軍を各国へ進軍させた。
すでにいくつもの国が滅ぼされ、大陸の半分以上が魔王国領という状態に陥った。
多くの人々が明日をも知れぬ日々を過ごす中、世界に一筋の光明が差した。
五千年前に魔王を消滅寸前まで追い詰め、ついに封印に成功させた勇者。
その勇者を選び、導いたとされる選定の聖剣が、再び一人の勇者を選出した。
その男の名はクリフォード・シュライガー。
勇者クリフは自らの運命を受け入れ、先代の勇者と同様に魔族や魔獣を討伐しつつ、魔王討伐にふさわしき優秀な人材を集めていた。
勇者によって集められた精鋭は、いつの間にか人々に《勇者パーティ》と呼ばれ、日夜魔王の討伐を目指し、戦いに投じるのだった。
ーーー
宿屋《酔いどれの朝》の一階にある食堂。
その一角のテーブルで私は勇者クリフと酒を飲んでいた。
私たちは魔獣が多く生息すると噂のあった《迷いの森》の調査を終え、近くにあったこの街で物資調達も兼ねて数日過ごすことになった。
勇者パーティのメンバー全員と反省会を兼ねた夕食を終え、自分の部屋で備品の整理をしていたところ、クリフに二人で飲まないかと誘われたのだ。
「どうした? お前から誘うとはお前らしくないな」
「今日はいつも頑張ってくれている副リーダーさんを労おうと思ってね」
「尚更お前らしくない」
「ひどいなあ。僕だって勇者として、パーティのリーダーとしての自覚はあるんだ。リーダーたる者、メンバーを労うのは一種の義務だろ?」
「リーダーとして自覚し始めたのはいい兆候だ。ただ労うのであれば、他のメンバーを優先するといい。私は後方支援でしかないのだから、前線で戦うシャルやアウロから……」
「彼女たちは後日改めてね。まずは幼なじみである君からが良かったんだ、クラウス」
私、クラウス・スライ・ハイライツがクリフと出会ったのは十年以上も前だ。
フラインツ帝国の地方貴族の三男として生まれた私は、領内のリンドウ村の農家の息子であったクリフと身分を超え友人同様の関係だった。いわゆる幼なじみというものだ。
しかし、私がシュータリス魔導国にある魔導学院に入学するとクリフと相対することはなくなった。
そして再会したのは二年前。
フラインツ帝国学院の教授を務めていた私の前にクリフが姿を現した。
十数年ぶりに出会った彼は田舎で走り回っていた悪ガキの風体が消え、すっかり勇者様となっていた。
彼は私を勇者パーティの副リーダー兼参謀として勧誘したのだ。
学院の教授という立場もあり、当初は辞退したが、クリフの熱意と周囲の後押しによって遂には承諾、今のポジションに至ったのだった。
「君には本当に感謝している。この二年間、パーティに大きな損害を出さずに戦えたのは君の冷静な判断のおかげだ」
「いや、メンバー全員が各々の役割を果たしてこそ勝利できたんだ」
「その謙遜するの、昔と変わらないね」
これは決して謙遜でもなんでもない。純粋な本音だ。
勇者パーティメンバー一人ひとりが優秀な人材。誰一人欠けていても今までの死線をくぐり抜けることはできなかっただろう。
むしろ私こそ、貢献度が低いのではないかと心配するほどだ。
「確かにみんな人並み外れた才能を持っている。彼女たちを選んだ身としては誇らしく思うよ」
唯一魔王を殺せる可能性がある人類最強の勇者様がそれを言うのか?
「でもね、どれだけの才能を持とうとそれはあくまで個別の力、ただ集まっただけでは烏合の衆に過ぎない。
本来まとめるのはリーダーの役目なんだけど、どうも僕には不向きでね。つい前線に立ってしまう。
クラウスがまとめてくれたから勇者パーティは魔王軍と互角に戦える大きな戦力になり得たんだ。
君の功績は比類ないものだよ。勇者でリーダーである僕が保証する」
クリフは優しく微笑みながら、そう口にした。
彼は決して嘘をつかない。いや、今の勇者には嘘をつくことができない。
つまり今の言葉は偽りのないクリフの本音だ。
その言葉は自信を失いかけていた私にとって救いの言葉だった。
「まったく。私を持ち上げても仕方あるまい。パーティ全体の士気を上げてたいのであれば、やはり私以外のメンバーにその言葉をかけるべきだったな」
私はフンッと鼻を鳴らし、ジョッキに残っていた僅かなエールを飲み干した。
残念ながら、私は嘘のつけない勇者ではなく、ただの偏屈な人間。
照れくさくて素直に喜びの感情を言葉にすることができず、捻くれた回答をしてしまう。
クリフは「本当にそういうところは変わらないね」と肩をすくめて、ジョッキに口をつける。
このような言い方しかできない私を幼なじみであるクリフは理解している。
きっと私の心の内を汲み取っているだろう。
私の心を見透かされているというのは気味の悪いものを感じる一方で、素直に言葉に表現することのできない私にとってこれほど楽なことはない。
なんとも複雑だ。
「さて、今日は参謀殿とパーティの今後について徹底的に話し合おうじゃないか」
「酒を酌み交わしながらする話ではないだろう。
私はここで失礼するよ」
「おや、もう酔ってしまったのかい? たかがエール一杯だけで音を上げるだなんて。君がそこまで下戸だとは思わなかったよ」
「そんな訳ないだろ。用がある、それだけだ」
「それは幼馴染との親睦を深めるよりも重要なことかな?」
「メンバー全員から個別に相談したいことがあると打診があってな。この後、その対応する約束をしている」
「それは大事な用事だ。悩みや不安を抱えていては戦闘に支障をきたすからね。
存分に彼女たちの力になってあげてよ」
「もとよりそのつもりだ。お前も酒はほどほどにしておけよ」
「お気遣いどうも。では、より夢を」
背中越しに手を振るクリフを尻目に、私は自分に充てがわれた部屋に戻っていった。