9.ブラック事務所からの逃亡
「失礼します……」
社長室の扉を自分で開けて中に入る。部屋には社長ともうひとり、ルイスがいた。
いつの間に帰ってきたんだろう。さっきは恋人の亡骸を見て泣き崩れていたけど。
目を見ると、別に赤くなってたりはしていない。
灯里は社長にも目を向けた。
太った中年の男。禿げかけている頭頂部が蛍光灯の光を反射している。頭皮が脂ぎってるってことだ。
所属タレントが稼いできたお金の上前をはねて、贅沢してる証拠。社長の仕事をサボって外に出て遊び回ることも多いらしい。
そのための金蔓のひとつが死んだと知らされた直後の社長はブルブルと震えていて。
「何か言い訳はあるか……」
凄みのある声を作って訊いてきた。まあ、そんなに怖くないんだけど。喉が脂肪で圧迫されて、蚊の鳴くようなか細い声を必死に張り上げているから、迫力なんかなかった。
それでも怒ってるのはわかるし、返事をしなきゃいけないんだけど。
言い訳って何を言えばいいんだろう。みっぴーが亡くなった理由かな。
「みっぴーさんが座ってたんです。あと、気配探知スキルじゃなかったから」
「馬鹿者!」
「ひぃっ!?」
「なんでお前が守ってやらなかったんだ!? ワープスキル持ちのお前なら、どこかに逃げるとかできたはずだ!」
「わ、ワープはそんなに便利なスキルじゃないです!」
「言い訳をするな!」
さっきは言い訳を聞こうとしてたのに。手のひら返しが早すぎる!
「レアスキル持ちだからと契約してやったんだ。お前ならインフルエンサーをダンジョンの好きな所に連れて行けて便利だと思って……」
「いやいや。だからそんな便利なスキルじゃないです! てか、移動手段扱いだったんですか!?」
「当たり前だ! お前程度のタレント志望なんて腐るほどいるわ! スキルがなければお前は、ただの使えない馬鹿だ!」
「そ、そんな……」
確かに、ここ以外の事務所のどこに応募しても全然手応え無かったんだけど。
「いいか! あの子はな! まだまだ稼げたんだ! バラエティ番組にドラマ出演の話まであったのに!」
「えー。あの人、ダンジョン内で有効なだけの魅了スキル持ちですよ。外のテレビの仕事なんて」
「黙れ!」
「ひゃいっ!?」
本当のことを言ったのに怒られた。理不尽だ!
とにかく社長はすごく怒ってる。誰か味方してくれる人はいないかな。秘書の冴子さんとか。
「あなたが代わりに死ねば良かったのに」
「えぇー……」
怒りに満ちた表情の冴子の口から出たのは、殺意すら籠もった言葉。
なんでこの人こんなに怒ってるの?
「まあまあ。社長、落ち着いてください。彼女を助けられなかったのは、俺にも責任がありますから」
ルイスが宥めるように声をかけた。この人は、まだ怒ってない。
相変わらず、こっちを見る目に下心があるとしか思えない。あと銀のネックレスや指輪が、重苦しいこの場に絶望的に似合ってない。
社長は怒りすぎて、それにも気づいてないようだ。けどルイスの言葉で少し落ち着きを取り戻したのも事実。
だけど。
「お前は、ルイスと組め」
「……はい?」
「ルイスと組んで、彼女の仇を取る配信をしろ。そうしたらバズるかもしれない」
「おお! それはいいですね! 残されたふたりが立ち上がる感動のドラマ。素晴らしい。灯里ちゃん、頑張ろうね」
ルイスは、満面の笑みでこっちを見てきた。いやいや、待って。変だよ。
「あの。みっぴーさんを殺したモンスターは、もう死にました」
「そんなことは知らん!」
えー。知らないの? もしかして、わたしの配信見てなかったとか?
「そんなもの、何かそれっぽいモンスターをでっち上げるとかすればいいだろ!」
「えー……」
無理だよ。だってモンスターが死んだ所、何万人も見てるんだし。今頃切り抜き動画がネットにアップされて、さらに大勢が見てるはずなのに。
「どうするんだ。それ以外に、お前をこの事務所で雇う意味はない。仕事を受けるか、クビになるか」
「灯里ちゃん、これはチャンスだよ。僕たちで、みっぴーを超える人気を作り出すんだ一緒に頑張ろう」
「あんたには無理よ」
みんな好き勝手に言ってくる。というか冴子は、なんでそんなに怒ってるのだろう。
ああ無理だ。これはやってられない。
「……です」
「なんだ? はっきり言え」
「嫌です! お断りします! こんな事務所こっちからやめてやるもん! ばーかばーか! デブ! あと! ばーか!」
返事を聞くのが怖かったから、すぐさま踵を返して部屋から出る。
「お姉ちゃん逃げるよ! こっち!」
葵は聞き耳を立てていたらしい。既に駆け出してエレベーターの方に向かっていた。さすがわたしの妹!
ルイスが追いかけてきたけどその眼前でドアが閉まり、エレベーターは一階に向かっていく。
エントランスに着いた途端に駆け出して、入り口にあったみっぴーの等身大パネルを蹴飛ばしてから駅まで走り、ちょうど来ていた電車に乗り込んだ。ここまでは追ってこないだろう。
「はー。走った走った。ダンジョンの中より運動した感じするね、お姉ちゃん」
「葵ー! ごめーん! お姉ちゃん駄目だった! あの仕事受けるとかどうしても無理だった!」
「ちょっ! お姉ちゃん車内ではお静かに!」
「うわぁぁぁぁん!」
「だから!」
電車の床に膝を付き、妹に抱きついて情けなく泣く姉を、葵はなんとか慰めようとしていた。