8. 錬金術
才牙は町の広場にあるベンチに座り、購入したばかりの錬金術の冊子を読むことにした。
ほんの十数ページしかない冊子を、ちゃんと読んでいるのかと疑わしい速度で紙をめくっていき、3分も経たずに読破する。
その後で、才牙は自身の顎に手を当てて、思慮に耽る。
「意図的に情報を隠している痕跡があるな」
才牙は一度目の所感を終えると、2度目の読書に入る。
どんな情報がどういう風に抜き取られているかを考察しつつ、ページをめくったり戻したりを繰り返しながら、冊子を読み込んでいく。
2度目の読書が末尾まで達したところで、才牙は錬金術の大まかな把握を完了していた。
「では、実証といこう」
才牙は広場の水飲み場へと向かう。そして捨てられていた罅割れた素焼きのコップのうち、状態の良いものを1つ手に取り、その中へと水を入れた。
割れ目から水が滴るが、コップの半分ほどの量の水が中に残った。
その後、才牙はコップを片手に広場の隅へと向かい、拾った石で地面に模様を描き出していく。
それは冊子の中にあった、錬金術の魔法陣の1つ。
水を『簡易ポーション』という水薬に変じさせる錬金術だった。
才牙は陣の真ん中にコップをおき、そして陣の外周の一部に手を載せる。
その直後、魔法陣が光輝いた。
「ほう。魔法などない世界にいた俺にも、魔力というものはあるらしい」
才牙が興味深そうに呟いている間も発光が十秒ほど続いたが、その後はふっと痕跡も残さずに光がかき消え、才牙が描いた魔法陣も消失していた。
唯一残ったコップを、才牙は拾い上げる。そして視線を、ここまでの才牙の傍らで様子を見続けていた、ミフォンとアテタに向ける。
「お前たち、手荒れがあるな。これを掛けてみろ」
才牙が差し出すコップを、ミフォンは嫌そうに見る。
「素人が錬成したポーションなんて、怖くて使えない。変なものになっていたら、手が被れるかもしれないし」
「じゃあ、あたしが使うね。才牙様の初めての錬成物を試せるなんて、これ以上の幸いはないわ」
アテタがあっさりとコップを受け取ると、ミフォンが制止の声を上げるより先に、手にコップの中身をかけてしまっていた。
果たして才牙が作った簡易ポーションの効果はというと、見事にアテタの荒れていた手が回復してツルツルになった。
「わぁ。ちゃんとしたポーションだ」
「ふむっ、実験は成功だ。ということは、やはり魔法陣の図形を一部隠す方向で、冊子は情報隠しを行っているようだな」
「「情報隠し?」」
ミフォンとアテタが首を傾げながら言うと、才牙は新たな魔法陣を地面に書きながら説明する。
「これは、冊子にある水と土砂を分離する魔法陣を転写したものだ。しかしこの陣に手を置いても、魔法陣は発動しない。確かめてみろ」
才牙が魔法陣を描いている間に、アテタは水飲み場に向かい手のコップに水と土を入れて戻ってきた。
そしてそのコップを魔法陣の真ん中に置き、才牙がやっていた通りに魔法陣に手を置く。
しかし、先ほどとは違い、水と土が分離するどころか、魔法陣が光もしなかった。
「才牙様。あたし手を置くところを間違えたとか?」
「いいや、合っている。問題は、魔法陣にある文字の書き込み不足だ。言っておくが、俺が間違えたわけではなく、冊子にある魔法陣に描かれていないんだ」
試しにと、才牙が幾つかの錬金術の文字を追加記入した後でアテタが魔法陣に手を置くと、再び光が起こり、コップに入った水とコップの外に出た土が出来上がっていた。
「本当ね。でもどうして、冊子が間違っているたのかしら?」
「金儲けのための猿知恵だ。冊子の最初にある簡易ポーションの魔法陣だけは、本物を書いておく。冊子を手にした者が、自分は錬金術を使えるのだと理解するためにな。しかしそれ以降は上手くいかないよう、魔法陣に細工する。冊子の購入者がいくら頑張っても、簡易ポーション以外が作れない。そうなったら、お前ならどうする?」
「諦めるかな? もしくは冊子を買った店に行って、理由を聞くかも?」
「つまり理由を聞きにきたり、不良品だから返金しろとか文句を言う奴が、再び客が店にやってくるわけだ。その手間をかけるほど、その人物は錬金術に興味があるということになる」
才牙は言った内容の理解を深めるための時間を置くため、一度言葉を区切ってから続ける。
「文句を言いに来た客がきたら、店主は冊子は質が悪いもので映し間違いがあったかもしれないと、れっきとした錬金術の本を出してみせる。そして間違った冊子を売ったお詫びとして、冊子の代金分の錬金術の本を値引きすると言う。さて、錬金術に興味を持っている人間の行動は、どうなる?」
「安してくれるんだし、お金があるのなら、買うんじゃないかしら?」
「そうだな。店主が『冊子分の値引きをした』かわからない、『錬金術の魔法陣が全て本物とは限らない』錬金術の本が、これで売れることになる」
才牙が意地悪い口調で強調した部分を聞いて、ここまで会話をしていたアテタではなく、ミフォンが驚きの声を上げる。
「それは詐欺でしょう!」
「さて、どうかな。店主は錬金術の本を出しはしたが、錬金術の全てが描かれてあるとは言っていない。この冊子にしても、錬金術の初歩には良いと言ってはいたが、錬金術のことが正確に書いてあるとは言っていなかった」
「それでも!」
「待て。俺は、あの店主が詐欺を働いているとは考えていない。むしろ錬金術を扱う者が、店主にそうしろと唆しているのだと思っている」
才牙の意外な予想に、ミフォンは面食らったようだ。
「……錬金術師が?」
「そうだ。先ほどの水と土砂を分ける魔法陣。これを、こう変化させる」
才牙が再び魔法陣を描く。ミフォンもアテタも錬金術に明るくないため、先ほどの魔法陣と同じように見え、違いが全く分からなかった。
「連勤術の文字の『土砂』を『塩』に変えた。これで、この魔法陣でなにが出来る?」
「コップに水が残り土が外に出てたから、水と塩を分離できる――つまり海水から塩が取れるわけ!?」
「正解だ。では『水と土砂を分ける』に戻し、『水』を『塩』に変えるとどうなる?」
「土にある塩が出てくるってこと?」
「そう。塩害の地域で使用すれば、塩害のなくなった土地と大量の塩をどちらも入手できるというわけだ」
錬金術の可能性に、ミフォンもアテタも驚きの目を向ける。
「錬金術がそんなに有用な技術だなんて、今まで知らなかった」
「あたしもよ。錬金術なんてポーションを作る以外、意味がないとばかり」
「お前たちがそう思うのも無理はない。いやむしろ、錬金術師とやらは、錬金術と関りのない人たちに錬金術でなにが出来るかを知られないようにしているのだと考えられる」
「お金儲けのために?」
「金もそうだが権力もだ。つまり既得権益を保持し続けるために、錬金術の詳しい内容は伏せられているのだろうな」
才牙は足元の魔法陣を指す。
「土砂と塩を分離できる錬金術師が塩害の強い地域に赴けば、その地で下に置かれない対応をして貰えるだろう。なにせ畑から塩害がなくなれば、収穫量が増えるんだ。救世主扱いされてもおかしくない」
「水と塩を分離する場合なら、塩商人のお抱えになれるわけね。海水も魔法陣も、元手はタダ同然だし」
「ポーションだってそうだ。錬金術師がポーションを作らないと言えば、冒険者たちは困る。なら冒険者組合が、ポーションを作る錬金術師のご機嫌を取っているなんてこともあるかもしれない」
知らない間に、生活の深くに錬金術が入り込んでいることに、ミフォンとアテタが今更ながらに気付く。
2人の理解が及んだところで、才牙は話を元に戻す。
「錬金術の既得権益を守るために、錬金術師がやるべきことは、錬金術の世間への普及を阻止すること。そして言いなりになる手駒を入手することだ」
「錬金術の知識が広まれば、新しい錬金術師が権益に手を突っ込んでくるかもしれないから、そうならないようにする。でも、言いなりになる手駒って?」
「例えばだ。この冊子で簡易ポーションが作れるようになる。次に買う錬金術の本で普通のポーションが作れるようになる。さらに次の本で、良いポーションが作れるようになる。この繰り返しで、本を新しくするたびに作れるものが多くなると学んでいった人は、どんな錬金術師になるだろうな?」
「どうって……」
「俺はこう考える。その錬金術師は、新しい本を買わないと新しいことが出来ないし、そもそもやろうともしない存在になるとな」
才牙が例に出した錬金術師のような存在は、どの時代にもいる。
俗にいう『教わったことや言われた事しかできない』という人間だ。
しかし、この類の人間も役割がないわけではない。
「錬金術師を研究者だとするなら落第者だが、手下と考えると実に楽な存在だ。教えたことしかできないのだから、教えた部分の外へと踏み出さないため、管理がしやすい」
「えっとつまり、任せた仕事しかしないから、余計な権力を持たせないで済む。だから良い手駒ってことかな?」
「そういう手合いの存在を下働きに使い、その下働きたちの上前をはねて、上役は良い暮らしができる。まさに悪しき既得権益の図式だな」
才牙は鼻で笑うように言った後で、口元をニヤリと歪める。
「しかし、その錬金術師たちも、情報統制がお粗末な低能に過ぎん。この冊子1つで、有能なものなら錬金術を修められるんだからな」
「そうなの?」
「さっき見せた2種類の技法でも、簡易ポーションは水に回復する魔力を付与し、2種類のものを分離できるようになる。これを発展させれば、水に様々な効力を持たせることができ、物資質に魔力を込めることもでき、ありとあらゆる物質を『純化』させることが可能となる」
ここで才牙は言葉を区切ると、アテタを含めた4人の知識を吸い取った封入缶を取り出した。
「分離の魔法陣を使えば、この封入缶の中にある4人分の混ざった知識を、それぞれに分離することだって、可能だったかもしれないな」
才牙の言葉で、錬金術を使えば変性したアテタの知能を元に戻せるかもしれないと、ミフォンは気付いた。
そう気付くであろうと、才牙が予期した通りに。