66. 迷宮行の終わり
才牙はエッセンスドライバーのスロットから封入缶を引き抜き、竜を模したヘルメットの戦闘服姿から普段の格好へと戻った。そして視線を、天井近くに浮遊する黒玉へ向けた。
『最終防衛機構、崩壊。再構築――否。敵対者を超越する個体の製造を――』
点滅発光しながら、黒玉は考え込むような声を出している。
その様子を見て、才牙は自身の顎に手を当てながら観察している。
「予想以外の事象に対し、再計算を行い始めるあたりは、元の世界のAIと似た思考ルーチンを持っていると考える方が無難か」
才牙は、興味は尽きないがと呟きつつ、シズゥを手招きして呼び寄せる。
「なにか用です?」
「ああ。俺がお前を放り投げるから、あの黒い玉に封入缶を押し付けてきてくれ」
「任せろです!」
才牙は真っ新な封入缶を渡すと、豪力の封入缶で自身の肉体にエッセンスを注入し、シズゥの身体を持ち上げる。
「行って、こい!」
才牙が力強く投げ放つと、シズゥの身体はすんなりと天井近くにある黒玉へ到達した。
シズゥは浮遊する黒玉に抱き着き、上空からの落下を停止させる。
「食らえ、です!」
シズゥが封入缶を黒玉に突き立てると、封入缶は黒玉にあるエッセンスを吸い込み始める。
『――異常、発生。イジョウ、ハッセイ。迷宮、ウンエイ、一時、テイシ』
エッセンスを吸われて、黒玉は不規則に点滅しながら、天井近くから徐々に地面へと降りてくる。
やがてシズゥの脚が地面に着いた頃、封入缶の黒玉のエッセンスの吸引は終わっていた。
シズゥは封入缶の吸引が終わったことを確認し、才牙の元へと戻ってきた。
「才牙さま。はい、です」
「よし。ご苦労」
才牙は封入缶を受け取ると、シズゥの頭を犬を褒めるときのような手つきで撫でた。するとシズゥはまんざらでもない顔で、才牙の手つきを堪能している。
その横で、地面に落ちてチカチカと光っていた黒玉が、一度大きく光ると、再び浮遊を開始した。
『再起動、完了。自己診断――不具合確認。存在力の減少を確認。回復を優先するため、迷宮の戦力を一時拡充し、到来者が訪れないように』
黒玉は2度発光点滅すると、浮遊していた高度を再び地面にまで落とした。そして再び、才牙に言葉をかけ始めた。
『敵対者に確認します。当機構の破壊を望んでいますか? 望んでいるのなら、再び守護者を作り出して抵抗します』
黒玉が警戒している口調で警告を放ってきたが、才牙は手をひらひらさせて否定した。
「俺の用件は終わった。お前の力を、こうして手に入れたからな」
才牙が封入缶を振ると、黒玉は思考を巡らすように間隔の長い点滅を数度繰り返した。
『では、速やかな退出を。望むのなら、迷宮の出口まで転移させることも可能です』
「転移? 瞬間移動ということか?」
『迷宮内に限り、可能です』
黒玉の意外な申し出に、才牙は強く興味を持った。
「元の世界ですら、瞬間移動は技術的に難問だった。空間と時間は、その仕組みを科学的に解き明かしているとは言い難く、故にそれを意のままに操ることが至難であり、それが次元エッセンスの暴走に繋がったのだと今時点では予想して――」
才牙の科学者としての一面が暴走しかけて、すぐに才牙は自分自身で自制した。
「――つまるところ、今後の発展に繋がる貴重な体験だ。その転移を頼むことは確定だが、仕組みを教えてもらうことはできるか?」
『仕組みを教えることは不可能です。もともと備わった機能ですので、他者にどう真似をしろと伝えることは難しいのです』
「そういうものか。仕方がない。体験するだけで、ひとまず満足するとしよう」
才牙が黒玉との話し合いを終わらせようとすると、ミフォンが口を挟んできた。
「ちょっと、才牙。ついさっきまで殺そうとしてきた相手のことを、信用するわけ? その転移だって、本当に出入口に出るか怪しいところでしょうに」
「そんな可能性は考慮済みだ。だが、転移という現象を体験するためには些末なことだ」
「魔物の群れの中に突っ込まれるかもしれないし、全員がバラバラに転移させられるかもしれないのに?!」
「そのなにが問題だ?」
才牙の目が本気だと伝えてきて、ミフォンは頭を抱えた。
「才牙にとっては、知的好奇心が重要で、仲間の安全は二の次ってわけだ」
「ミフォンの懸念が当たっていたとして、困るのは俺じゃないからな」
「……ああ、もう! じゃあ、隙にすればいいでしょ!」
ミフォンは怒った声を放つと、アテタとドゥアニたち少年少女に近づいて手を繋ぎ合って一塊になる。
どうやら、仮に黒玉が転移で全員をバラバラな場所に移そうとしても、ああしてくっ付いていれば、同じ場所にでると予想しての行動のようだ。
「ああして、どれだけの効果があるのやら」
そう才牙が感想を呟いていると、傍らにいたシズゥが手の平を開けて腕を伸ばしてきた。
才牙がどういう意図かと視線で尋ねると、シズゥがにっこりと笑う。
「才牙さま。手をつなぐです」
恐らくシズゥは、ミフォンがどうしてアテタたちと手を繋いでいるかは理解していない。それでも、あちら側が手を繋いでいるのだから、自分も誰かと手を繋ぎたいと考えて、才牙に手を伸ばしたのだろう。
才牙はそう予想して、一瞬どうするべきかを考えて、結局はシズゥと手を繋ぐことにした。
「おい、黒い玉。準備は済んだ。転移してくれ」
才牙が命令口調で告げると、黒い玉は地面に転がりながら激しく点滅を始めた。
『転移準備。移動先の座標を選定、座標固定。転移対象者、確認。転移、開始します』
黒玉の宣言が終わった直後、才牙たちの足元に光の円が広がった。魔法の紋様のない、ただ白一色の円だ。
「魔法とは違う仕組みのようだ。なるほど、元から備わった機能というのは嘘じゃないようだな」
才牙がそう言葉を呟いた直後、目に入る景色が一変した。
先ほどまで足元にあった光円は消えていて、白い立方体状の空間だった場所が洞窟然とした見た目になっている。
それになにより、才牙たちに驚きの目を向ける冒険者の顔が周囲にある。少し先に目を向ければ、迷宮の出入口が見える。
「どうやら、本当に転移されたようだな。まったく実感がないが」
才牙は貴重な体験をしたはずなのに、それをしっかりと実感できなくて、少しだけ心にもやもや感が残った。