52. ドゥアニの誤算
才牙に報せが来るときより、少し前。
ドゥアニは自身の幸福と、手にある貨幣の重みに感じ入っていた。
ドゥアニは、迷宮で死んだ冒険者を親に持つ、貧民窟の片隅をねぐらにする路上孤児だ。
他の路上孤児と身を寄せ合って暮らし、迷宮に行く冒険者に荷物持ちとして同行して小金を得て糊口をしのぐ生活だった。
この生活をギリギリで支えていたのは、顔もおぼろげな親の教えだった。
『強い冒険者には愛想良くしておけば間違いない』
子供に教えるには、なんとも情けない教訓ではある。
しかし実践してみると、おの教えは確かなものだった。
ドゥアニが相手を立てるような物言いをすると、どんな冒険者であっても嫌な顔をしない。ときには気に入ったからと、荷物持ちに雇ってくれることもある。
一方で口の利き方を知らない孤児の場合は、冒険者から不評を買って邪見に扱われることが多い。そしてそういう孤児は、ちゃんと稼いでいる孤児たちからも、無駄飯ぐらいだからとつま弾きにされてしまう。その果ては、餓死か、ロクでもない組織に入るかになる。
ドゥアニは親の教えを守って順調に暮らしていたが、この生活は長くできないことに気付いていた。
今は子供だからと、冒険者たちも大目に見てくれている。
しかし体が大きくなればなるほど、荷物持ちなんてしていないで自分で魔物と戦えという風潮が強くなってくる。
ドゥアニ自身がその風潮に晒されるまで、あと1年ほどだと予感していた頃に、唐突な出会いがあった。
真っ白な外套を来た、目つきの鋭い男。その目は、ドゥアニたちの事を人間扱いしてなく、物扱いをしているものだった。
明らかにヤバイ雰囲気の男。それこそ貧民窟で荒くれ者を束ねる親分を見たときのような、危険な雰囲気が漂っていた。
ドゥアニも、この男に関わっただけで危険だと、一目で理解した。
しかし同時に、この男の周囲にいる女性たちにも目を向けていた。
魔法使い系だと思われる2人の女性たちは、ドゥアニたち孤児たちを気にかける様子があった。ドゥアニと同年代と思われる少女は、この男に懐いている様子だった。
この3人が信頼を寄せている男なのならと、ドゥアニは関係を持ってみることにした。
そして、それは大正解だった。
迷宮では危険なく荷物持ちが出来た上に、孤児の多くは渡された支度金で職人や商人の弟子となって再出発した。
ドゥアニも、その孤児たちと同じようにあ、職人や商人の道に行くこともできた。
しかし、荷物持ち以外に出来ることを知らない孤児がその道に行くことを嫌がったことが心配だったのと、そしてドゥアニ自身がまだ男――才牙と関係を続けるべきだと判断して、才牙パーティーの荷物持ちを続行することにした。
その判断が、また正答を引き当てることになった。
ドゥアニはここ最近の出来事を思い返し終わり、自分の喉に手を当てる。
ドゥアニは仕組みがさっぱりわからないものの、この喉に特殊な力が宿っている。
迷宮に現れるオーガですら、1吼えで吹っ飛ばすことができる、そんな力が。
ドゥアニの喉ほどに強力ではないが、孤児仲間の少女も身動きが軽くなるという力を得ている。爆速で走って逃げたり、高いところに1飛びで乗ったりと、逃げ隠れするのに重宝する力だ。
そんな凄い力を、才牙は何でもないかのような様子で、与えてくれた。
関係を続けていけば、もっと凄い力を手に入れることが出来るかもしれない。
そうドゥアニは期待している。
しかし、人生の禍福は糾える縄の如し。
才牙の出会いを幸福とするのなら、逆の不幸がやってくるのは道理だった。
「おい、チビども。羽振りがよさそうじゃねえか」
「少しばかり俺たちにも分けてくれや」
「その金が入った小袋を丸ごとでいいからよお!」
そう声をかけてきたのは、ボロボロの革鎧という見た目からして、明らかに冒険者崩れのチンピラが3人。
チンピラ3人は30歳越えの成人だ。体格で考えれば、ドゥアニたち孤児たちが勝てる道理がないように見える。
しかしドゥアニはチンピラたちを恐れない。見た目と雰囲気からして、迷宮のオーガよりも弱いと直感していたからだ。
ドゥアニは静かに口を開くと、喉に宿った力を使った。
人の耳には聞こえない声が圧となって放たれ、チンピラたちを後ろへと吹っ飛ばした。
その見えない攻撃に、チンピラたちは地面に転がりながら大慌てしだす。
「どぅあああああ!?」
「な、なんだ、なにが起きた!?」
「だ、誰かいやがるのか!?」
チンピラたちは、自分たちが攻撃したのがドゥアニだと気づかない様子だ。
その混乱している間に、ドゥアニは仲間の孤児たちを伴って逃げだした。
これは危険を回避するためではなく、チンピラを相手にするだけ時間がもったいないからだ。
「手元にお金があると、ああ言う奴らがくる。使えるだけ使ってしまおう」
ドゥアニの提案に、他の孤児たちは頷きを返す。
まずは食料。いま食べるもの、後で食べるもの、長期間食べられるものを買い込んだ。
次に服。古着屋で少し身幅より大きくて状態が良い物を選んで買った。
まだ金が余っているので、古道具屋で中古の革鎧を買った。紐で調節できるものだが、一番調節を短くしても孤児たちの身体には少し大きかった。
そうして大部分のお金を消費して、これで金狙いで狙われることはないだろうと、ドゥアニは考えていた。
その考えが間違えだったと気付いたのは、今まで使っていた塒に戻ろうとしたとき。
塒への道の途上に、新たなチンピラが10人ほど集まっていたのだ。そしてドゥアニたちを見つけるや否や、全員がゾロゾロと近づいてきた。
「よお、ガキども。随分と稼いでいるようじゃねえか」
その問いかけに、ドゥアニは警戒しながら言い返す。
「もうお金はないですよ。全部使っちゃいましたから」
まだ少し金は残っていたが、それを馬鹿正直に言う必要はない。
しかしドゥアニのその返答を予想していたかのように、声をかけてきたチンピラが再び口を開く。
「豪遊とは羨ましい限りだ。だが今回それだけ稼げたってことは、次も稼げるってことだよな?」
チンピラたちの狙いが次の稼ぎだと知って、ドゥアニの眉間に皺が寄る。いま金を持っていないことを示しても意味がないと悟って。
「……僕たちが稼ぐ金とあなたたちは、関係がないと思うんですが」
「へえ、そういうこと言っちゃうわけ?」
受け答えをしているチンピラが、無造作に近寄ってきて足を振り上げた。
ドゥアニは面食らいながらも、どうにかその蹴りを避けた。
「ああん? 避けてんじゃねえぞ!」
凄むチンピラの背後から、彼の仲間たちが囃し立てる声を上げる。
「あははは! ガキに避けられてヤンの! 情けねえ!!」
「おいおい、まともな蹴り1つ放てねえなんて、どんだけザコなんだよ!」
「バカ! 手加減してやったんだって―の!」
このやり取りを見て、ドゥアニは悟る。
チンピラたちは、ドゥアニたちを使って憂さ晴らしがしたいだけで、ついでに小金を巻き上げられたら良いと思っているのだと。
その理不尽な暴力に対し、前までのドゥアニなら金品を差し出して殴られないように努めるだけだった。
しかし今は、喉に宿った力がある。オーガを吹っ飛ばせる、あの力が。
ドゥアニは、再びチンピラが足を振り上げようとするのを見て、声と共に力を放った。
「近寄るな――」
ドゥアニの声によって、チンピラは見えない誰かに吹っ飛ばされたかのように空中を飛び、彼の仲間たちへと激突した。
「ば、お前! イチャモンつけるための演技にしても、限度ってもんがあんだろ!」
「ち、違えよ! あのガキに吹っ飛ばされたんだって!」
「はあぁ!? あのガキ、なにもしてなかっただろうが!」
仲間割れする姿を横目に、ドゥアニは仲間の孤児たちと共に逃げだした。
塒への途上で待ち構えられていたからには、塒の場所も把握されているに違いなかった。そしてドゥアニたちを狙うチンピラが、あいつらだけとは限らない。
その予想が当たっていた証拠に、ドゥアニたちが逃げる方向の先に、また別のチンピラたちの姿があった。
「おい、あいつらじゃねえか。噂のガキは」
「おっ、オレらを見て別の道に行ったぞ。ってことは、別のグループからも狙われて、逃げている最中ってことかもな」
「先越されてなるもんかよ!」
こうして、逃げるドゥアニたちと、それを追いかけるチンピラたちの構図が出来上がった。
次から次へと新規参入してくるチンピラたちの数に、ドゥアニは逃げきれないことを悟る。そして状況を打開するために、手段を講じる必要があると判断した。
「動いてくれるかは賭けだけど」
ドゥアニは、仲間の1人――軽身のエッセンスを宿した少女に、才牙に助けを求めて括るようにとお願いした。
少女は頷くと、すぐ近くの家屋の屋根上へと飛び上がった。そして才牙たちが泊まっている宿屋へと向けて、建物の屋根伝いに走り渡っていった。
「救援がくるまで持ちこたえないとだけど」
ドゥアニは、その救援がくることが期待できないと理解していた。
才牙はどんな相手でも常に物を見る目を向けている。興味の有り無しで、注目する強さの違いがあるだけだ。
そしてドゥアニの喉に宿った力は、才牙には取るに足りないものだということが迷宮行の態度から分かっている。
「迷宮行の戦力が減るからって理由で助けてくれるかも、微妙なんだよなぁ」
ドゥアニは才牙にではなく、シズゥやミフォンやアテタが助けに着てくれることを期待して、この状況を乗り越えることを腹に決めた。