34. 宿屋とお願い
迷宮のある街までの馬車旅では、何度か魔物の襲撃があった。
しかしどの魔物も現れた端から、シズゥがあっさりと倒してしまった。
むしろシズゥにとっては、暇な馬車旅の中での娯楽だと感じているらしく、魔物が来ないかと楽しみにしているほどだった。
そんな魔物を待ち焦がれているシズゥの様子を、同乗している冒険者らしい人たちが苦笑いしていた。
ともあれ、多少の戦闘はあったものの、馬車旅は順調に続き、都合4日かけて目的地に到着して終わった。
「ふぅ。ゆっくり進むのも、それはそれで疲れるものだな」
才牙は元の世界で自動車のスピードに慣れていたため、馬車のゆっくりとした進み具合に辟易していた。
「自家用車を作ると楽なのだろうが、動力に適したエッセンスはなし。迷宮で良いエッセンスを発見できればだな」
才牙が伸びをして体を解していると、その隣でシズゥがその真似をしている。
その2人の様子を、ミフォンは呆れ顔で、アテタは微笑みで見ている。
そんな才牙一行に、馬車から降りてきた冒険者らしい面々が声をかけてきた。
「迷宮に行く気なら、冒険者組合で情報収集するといいぞ」
「迷宮に必要な最低限のものも買い揃えられる。ま、頑張りな」
彼らはぞろぞろと、冒険者組合の看板がある建物へと向かっていく。
その後ろ姿を見送ってから、才牙は自身の顎に手を当てて考える。
「早速迷宮に行くのも良いが、馬車旅の疲れを癒すために宿に泊まるのもありか」
移動中は馬車の座席に座っての就寝が多く、体に疲れが残っている。
そのため才牙は、横になって眠る必要性を感じていた。
幸いなことに、アゥトの町を表裏から支配しているため、資金には余裕がある。あくせくと迷宮まで稼ぎに行く必要はない。
「今日のところは宿屋に泊まるとしようか」
才牙がそう判断を下すと、ミフォンとアテタは安堵の顔になり、シズゥは不満げな表情になる。
「良かった。迷宮に繰り出すぞなんて言わなくて」
「旅の汚れを落として、身綺麗にしたいわね」
「ええー。魔物と戦うんじゃないんです~」
「今日は休みだ。宿を探すぞ。高くても良い宿をとるぞ」
才牙がミフォン達を連れて歩こうとすると、静止する声がかけられた。
その声の主は、馬車に後から乗ってきた、あの男女の客だった。
「あの、少し良いでしょうか」
「この街――タラムで良い宿をお探しなら、1つ心当たりがあるのですが、案内しましょうか?」
2人からの急な提案に、才牙は一瞬考える素振りを見せてから受け入れることにした。
「気に入らなかったら、宿を変えるからな」
「はい、それは大丈夫です。こっちです」
男性の方の案内で、才牙たちはタラムの街の中を通る主要道に沿って歩く。
少しして1つ横の道に移動すると、すぐに宿屋が見えてきた。
「こちらが、お勧めする宿です」
示された宿は、2階建ての横に長い外観をしていた。窓の数から推察するに、部屋数は20あるようだ。
この宿の外観について才牙が持つ知識から参照するなら、古い形式の背の低いアパートのような感じだった。
才牙は予想とは違った宿の外観に、少しだけ判断を迷った。
「……借りられる部屋の中を見て、泊まるか決めてもいいか?」
「そうできるはずです。ちょっと話を通してきます」
男性の方が宿に入り、そしてすぐに戻ってきた。
部屋を見て泊まるか決めていいとのことなので、才牙は早速確かめに入った。
宿の部屋は、1部屋にシングルのベッドが2つあるものと、1部屋に2段ベッドが3つ並んでいるものがあった。どちらも部屋貸しで料金は同じ。なので宿代の節約をしたいのなら2段ベッドの方になるだろう。
事実、2段ベッドの部屋は人気のようで、余りが1部屋しかなかった。
しかし才牙は資金に余裕がある。シングルベッド2つの方の部屋を2つ借りることは、何も問題はない。
宿の部屋も、ベッドのシーツや毛布が綺麗に洗われてあるし、清掃も綺麗に行われている。
才牙はアゥトの町で色街にある宿屋と関った経験があるため、これほどに清潔な宿屋はあまりないことを知っていた。
そのため才牙は、この宿屋に泊まることに決めた。
才牙が、才牙とシズゥ、ミフォンとアテタに分かれる形で、2部屋を借りることにした。
シングルベッドの方の部屋はあまり埋まらないらしく、それを2部屋も借りてくれるからと、宿屋の従業員の態度が目に見えてよくなった。
そして店員は、才牙たちを案内したあの男女に、小金を渡している。客の引き込み料に違いない。
才牙はそういう金の稼ぎ方もあるのかと納得して、借りた部屋に入ろうとする。
しかし再びあの男女から静止の声をかけられてしまう。
「あの、少しお願いがあるのですが……」
「お兄さんたち、迷宮に潜るんですよね?」
図々しいお願いの予感に、才牙はどうしたものかと考え、話を聞くだけはしてみようと判断した。
この男女が迷宮の話題をしてくれるのなら、労せずに迷宮の情報が手に入ると考えたのだ。
「それで、願いってのはなんだ?」
「迷宮で採れる鉱物や素材を、私どもに売っていただきたいのです」
「欲しい素材は、これです」
女性の方が1枚の紙を差し出してきた。
才牙は紙を受け取らないまま、紙面に書かれている文字を読み取る。
「いくつか知らない名前があるが、それでも関連性のない品々が並んでいるな。お前らは素材屋なのか?」
素材屋とは、雑貨屋やコンビニのように、様々な種類の品物を売る店のこと。それぞれの専門店に比べたら品物は割高だが、1店で多くの種類の買い物を済ませられることを生存戦略としている店でもある。
才牙に指摘されて、男女は照れ笑いする。
「アゥトの町の片隅で商いをしています」
「このタラムの街には、素材の買い付けにきたんです」
「どうして俺に素材集めの依頼をしたいんだ? 冒険者組合やら商店組合やらから買えばいいだろう?」
「少しでも安く商品を仕入れようと思うと、やっぱり冒険者さんたちと直接取引をしないとでして。それに珍しい素材となると、そもそも在庫があるかどうか怪しい部分がありまして」
「お兄さんとその子は強いから、いままで手に入れられなかった素材も売ってくれるって期待もあるんです」
この男女の事情を理解して、才牙はその事情を利用することにした。
「そういう話なら受けようじゃないか。ただし、このリストに書かれている物品が、迷宮のどこら辺で採れるのか、どう使うのものかの情報を教えてくれたらだ」
男女はそれで願いを聞いてくれるのならと、リストの物品についての詳細を教えた。
こうして才牙は、迷宮と素材の情報を手にした。
情報からすると、どれもアゥトの町にはなかったものばかりのようで、迷宮で新たなエッセンスを得られることが確実となったのだった。




