33. 移動開始
才牙は目的のために、迷宮のある街へと向かうことにした。
そのためには、アゥトの町を支配した際に手に入れた錬金術師に徹底指導する必要があった。
再び粗悪品や模造品のポーションが出回らないようにするためと、ポーション販売で組織の資金を拡充するためだ。
「錬金術師たちの行動には常に目を光らせろ。傷を治すポーションは常に需要があるし、領主を含めた封入缶で性欲を取った人間は性欲増加のポーションがなければ夜の営みはできない。それらを上手く利用して稼げ」
「了解いたしました」
「では、この屋敷とアゥトの町のことは頼んだ」
「はい。お任せください」
ヌアハに後の取り仕切りを任せて、才牙はミフォンとアテタにシズゥを連れて行くことにした。
ミフォンとアテタは冒険者としての経験を持っていることから、シズゥは才牙に次ぐ戦闘力の持ち主だから、迷宮という怪しげな場所に連れて行くことにしたのだ。
才牙たちは屋敷から出発すると、町の外へと出る辻馬車を捕まえて乗り込んだ。
馬車は10人ほどが乗れるもので、才牙たち以外では冒険者らしい装備を付けた人達ばかり乗っていた。
才牙たちは、5人ずつ対面形式で座る形の座席だったので、片方の座席に集まる形で座ることにした。その際に、ミフォンが辻馬車に乗る作法を教えてくれた。
「魔物に襲われた際に対処できるよう、戦える人は降車しやすい場所に座るのがルールだから」
「そうなると、ミフォンが一番奥で次にアテタ。俺とシズゥが出入口側ということになるな」
そう考え付いた通りに座ると、すぐに馬車が動き出した。才牙たちを含めて、馬車の中には既に9人乗っている。だから御者は余りの1人を待つことなく、次の町へ出発することを選んだようだ。
しばらく馬車が道を走る車輪の音を響かせていると、対面に座った冒険者らしき人たちの1人が才牙に声をかけてきた。
「おい。武器を持ってねえ様子だが、本当に戦えるのか?」
先ほどの才牙とミフォンの会話にあった、馬車の出入口に座るのは戦える人だという部分を聞いていたのだろう。冒険者らしき男性が、そう揶揄してきた。
才牙は興味なさそうな目で、対面に座る30代の面相を持つ男性を見やり、鼻で笑った。
「ふっ。武器を持ってなくとも、お前には勝てるだろうな」
「ああぁ?! んだとぉ!」
怒声で恫喝しようと腰を浮かせようとして、その男性は行動を途中で止めた。
なぜなら、才牙が自身の腕を残像を残す速さで振り、指を腰を浮かせかけている男の眼球の直前で止めたからだ。
「俺は体術に多少の心得があるんだ。ゴブリンやオーク程度なら、蹴り一発で殺せるぐらいのな。さてお前は、一対一でオークに勝てる実力があるのか?」
少し動かせば眼球の潤みに触れられそうな位置に指を置かれながら言われて、難癖を付けようとしていた男は席に座り直す。
「わ、悪かった。た、戦るんなら問題はねえよ」
少し声を震わせながらの弁明を受けて、才牙は手を下ろす。しかし目は対面の男を捉え続け、妙な気配があればすぐに殴れるよう備える。
そんな戦いになりそうな雰囲気を悟ったのか、御者が手綱を操りながら声をかけてきた。
「お客さんたち。馬車の中で暴れるようなら降りてもらうからな。馬車を壊そうもんなら弁償もさせる!」
御者からの警告を受けて、才牙は対面の男に興味を失った素振りで態度を通常の物へ変えた。
対面に座る男は、戦いになりそうな雰囲気が霧散したことに安堵した様子だった。しかし、同じ並びに座る仲間たちたから小声で詰められた。
「この馬鹿。変に喧嘩を売るんじゃないっての」
「いや、だってよ。魔物がでたとき、一緒に戦うだろう人のことを知っておく必要があるだろ」
「それにしてもやり方ってもんがあるだろって」
冒険者らしき人たちが小声で言い争っていると、急に馬車が止まった。すわ降ろされるのかと、彼らは口を噤む。
しかしその危惧は杞憂で、単純に辻馬車に乗り込もうとする客を見つけたので、御者は馬車を止めたのだった。
新たな客は2人。20歳に入ろうかという男女だ。
その2人は馬車の中を見て、座席が1つ分しか空いていないことに気付いて、困った顔になる。
才牙は男女の姿を見て、戦えそうにない体つきだと悟ると、隣に座るシズゥを両手で持ち上げて自身の膝に座らせた。
「ミフォン、アテタ。こちらに詰めろ」
「はいはい。席を空けないとだしね」
「どうぞ、お2人さん。馬車の奥に」
アテタに促されて、新たな客の2人が感謝の表情を浮かべながら馬車に乗り込んだ。
こうして満杯となった馬車は、新たな客を乗せる必要がなくなったため、ここから町を出るまで止まらずに走り続けた。
町から一歩外に出れば、動物や魔物が現れるようになるのが、才牙がいまいる世界の常識だ。
しかし人の集落と集落とを繋ぐ街道では、動物や魔物と出くわす確率は低い。
なぜなら道は――この土がむき出しになっている部分は、良く人間が通る場所であることを、動物も魔物たちも知っている。そして人間たちは、動物や魔物を狩る存在であることも知っている。
だから動物も魔物も命惜しさから、街道に出てくることは滅多にないのだ。
ただし、例外はいくつかある。
そういった知識を持っていない子供や、縄張りを追われて街道まで来てしまった存在や、人間よりも強いと自負している魔物とかだ。
そして馬車という、五月蠅い音を立てて存在をアピールしながら動く存在を狙うのは、得てして人間よりも強いと考えている魔物だったりする。
才牙の乗った馬車もまた、そういった魔物に襲われることになった。
「ぎぎっ、ぎぎぃあ!」「ぎぶぎ!」「ぎゃががう!」
馬車の前に立ちふさがるように現れたのは、3匹のゴブリン。手には先のとがった石を握って武器としている。
「どうやら原初的な打製石器を作れる知能はあるらしいが……」
魔物が現れたと馬車を飛び出したものの、大して脅威ではないゴブリンの姿に、才牙は戦う気をなくしていた。
とはいえ、ゴブリンを処理しないと馬車は動けないので、殺す必要はある。
「シズゥ、やれ」
端的な才牙の命令に、シズゥはすぐさまに反応。持ち前の身軽な身体を生かした速さでゴブリンたちに近寄ると、1匹の顔面に拳を叩き込んだ。
「1匹目です!」
少女然とした小さな手がゴブリンの顔面を破壊してめり込む。
もちろん、そんな荒っぽい殴り方をしたら、成長途中の小さな手が耐えられるはずがない。
ゴブリンの顔面の骨を砕いた引き換えに、シズゥの手も骨折してしまう。
本来なら大怪我のだろうが、シズゥには再建のエッセンスが体に宿っている。
折れた手に赤黒い煌めきが走ると、すぐに元通りになった。
そうして手が治る間に、シズゥはもう1匹のゴブリンの膝を横から蹴りつけていた。
蹴りで膝が折れて、ゴブリンはその場に転ぶように倒れた。
「ぎぎゃあああ、ぎぎぎああああ!」
折れた足を抱えて泣き叫ぶ、ゴブリン。
地面に転がる無防備な頭部を、シズゥは思いっきり蹴り上げた。顎と首の骨が折れる音がして、悲鳴が消えた。
次々と死んだ仲間を見て、最後の1匹が手の石を放り出して逃げようとする。
そこにシズゥが跳びかかった。
「逃がさないです!」
シズゥはゴブリンに後ろから頭部を抱き寄せると、腕と体の力を使って思いっきり捻った。頸椎が砕ける音がして、ゴブリンの頭が上下反対になった。
首の骨が砕けて死んだゴブリンを、シズゥはすぐに手放す。その腕に赤黒い煌めきが走っているのを見るに、首を折る際に筋肉の限界近い力を発揮していたようだ。
こうして、すっかりとゴブリンを無力化し終えたところで、才牙に突っかかってきた冒険者風の男性が馬車から降りてきた。
「おいおい、あっという間だな。それに本当に素手で倒してやがるし」
呆れたと言いたげな言葉を呟きながら、男性は腰から剣を抜く。
そしてゴブリンたちの心臓へ、一刺しずつ止めを放っていく。既に死んでいるため、刺したところで反応は乏しかった。
男性は処置が終わると、ゴブリンたちの右耳を切り離し、シズゥへと差し出す。
「討伐証明に必要だからな。今回は嬢ちゃんが全部倒したからな、総取りでいいぞ」
シズゥが右耳3つを受け取ると、男性はゴブリンの死体を街道の外へと放り投げてから、やれやれといった感じで馬車に戻っていった。
その姿を見送った後で、シズゥは才牙に顔を向ける。
「この耳、必要です?」
「冒険者組合に持って行けば、多少の金にはなるからな。布か何かに包んで持っておけばいいんじゃないか」
才牙とシズゥが馬車に戻ると、アテタがゴブリンの耳を入れるための革袋を用意して待っていた。
シズゥがその袋の中に耳を入れる姿を、最後に馬車に乗ってきた男女の乗客が見て驚いた顔になっていた。