28. 逆恨まれる
領主の狂乱が治療された。
その件が噂として広まると、アゥトの町の人たちは才牙の助けを求めた。
そして意外なことに、才牙はその求めを受け入れた。
「人助けなんて、どういう風の吹き回し?」
ミフォンが、治療に同道させられている中で、才牙にそう尋ねた。
才牙は、本性を隠すため好青年然とした表情の猫を被った状態のまま、ミフォンにだけ聞こえる声を出す。
「性欲増加で我を忘れている患者は、姿がゴブリン化する前の段階だ。だから患者の程度具合を診れば、人間がゴブリン化する許容量の平均がとれる。姿形が既にゴブリン化している患者の場合は、封入缶で解除した後で経過観察することで、人間が魔物化した後の影響を確かめられる」
徹頭徹尾、才牙は自分の技術発展のために、人間を利用しようというスタンスだ。
ミフォンは呆れたと肩をすくめる。
「そういうことなら、私は要らないんじゃない?」
エッセンス絡みの話に関わりたくないという態度の、ミフォン。
しかし才牙は、首を横に振る。
「アテタからの推薦でな。男1人で向かうよりも、女性を連れ立っての方が患者を取り押さえるのに役立つだろうとな。そして患者の家族の信頼は、お前の神聖魔法使いという肩書で得られるとも」
「あー、なるほど」
ミフォンは神聖魔法使い。そして神聖魔法使いとは、人を癒す力を持つ魔法使いである。
この世界の人たちにとってみたら、科学なんて怪しげな学問で治療しようという才牙よりも、慣れ親しんだ神聖魔法使いのミフォンの方が、信頼度が高くなる。
これは才牙の腕前を信じる信じない以前の、この世界で長年に渡って培われた常識のようなものだ。
「つまるところ、ミフォンは何もしなくていい。ただ立っているだけで役割を果たしているからな。少しでも手助けしたいという気持ちがあるのなら、患者の家族と話でもしていろ」
「言い方! そうやって、ごく当たり前に見下すの、良くないと思うんだけど」
「仕方がないと諦めろ。俺の肉体は、全ての人間を超越するよう作られている。その自負があるからな」
才牙の肉体自体に誇りを抱いているという言葉に、ミフォンは言うだけ無駄かと呆れ顔しかできないようだった。
粗悪な性欲増加ポーションの悪影響で、性欲が暴走していたり、ゴブリン化してしまった患者たち。
それを才牙は次々と治していく。
なにせ処置自体は、性欲暴走の患者には性欲を吸収する封入缶を押し当てるだけ、ゴブリン化している患者には別途ゴブリン化のエッセンスを吸収する封入缶を当てるという、とても簡単なもの。
もっとも、この封入缶を作るには才牙の並外れた頭脳と科学と錬金術の知識の融合が必要不可欠。誰も同じように治療できるというものではないのが実情だ。
しかし簡単に処置が終わる光景から、患者の家族や関係者に推し量れとは無理な話だ。
だから『才牙の治療はすぐ終わる』という評判が、町の中を駆け巡ることになった。
その評判により、性欲暴走やゴブリン化の患者がいる家族は、才牙の治療を快く受け入れることになった。
治療で町の中を巡り始めて何日かが経過すると、治療した患者の家族や関係者から喜びの声が齎されるようにもなった。
「あの人は下半身事情が欠点だったけど、いまじゃ女に見向きもしなくなって、よく働くようになった」
「来客した女性とのトラブルがあったが、治療後はそうした面も改善された」
「娼館通いをしなくなって、金が貯まるようになった」
そう手放しで喜んでくれる人がいる一方で、当の患者本人から相談を受けることもあった。
「性欲が全くなくなって、妻との夜の営みに支障が……」
「性欲を返してくれ。こんな真面目に働いているのは、俺じゃない!」
そういう患者には、才牙が性欲増加ポーションを渡した。
もちろん、性欲暴走したりゴブリン化したりしない、ちゃんと精製されたポーションをだ。
渡す際に、キチンと釘をさすことも忘れない。
「俺や俺が認可した人以外から、このポーションは買うな。また治療が必要になるぞ」
再治療の言葉に、性欲を戻したがっていた元患者たちは、二度と他には手を出さないと誓った。
こうして才牙が次々と患者を治療していくと、面白く思わない人間もでてくる。
それは患者を治せなかった薬師や治癒師や医者たちであり、性欲増加ポーションの作成を請け負っていた錬金術師たちだ。
医療関係者は患者を治せなかったことで、ヤブ認定されて信用が失墜してしまった。
錬金術師たちは、自分たちが作った性欲増加ポーションの所為で人々が暴走しているのだと知られ、仕事内容を知る人たちから白い目で見られるようになった。
必死に治そうとした医療関係者には気の毒な話ではあるが、それ以外の者に関しては自業自得という面が強い話ではある。
しかし、得てして自分の仕事を軽くみつつも人の目が気になる輩という存在は、責任の所在を自分以外に求めがちだ。環境が、器具が、仕事内容が悪いと、責任転嫁する。
今回の場合だと、その責任を転嫁する先が、才牙に向かうことになった。
彼らの言い分はこうだ。
『このポーションのレシピは、才牙がくれたもの。ならポーションの瑕疵は、才牙が担うべき』
ちゃんとレシピ通りに作ったのならまだしも、勝手に手間を惜しんでレシピを変えた錬金術師の場合は、失笑ものの言い訳だ。
その錬金術師の言い訳を、事情を知らない医療関係者がすんなりと聞き入れてしまった。
そうした人たちの逆恨みが、才牙に刃が向かうことに繋がった。
逆恨みする人たちが資金を出し合い、後ろ暗い仕事を請け負う者たちを雇ったのだ。
「ふむ、なるほどな。事情はよく分かった」
才牙が呟く先には、先ほど来た襲撃者数人の姿。彼ら彼女らは手足の何処かが折れた状態で、その内の1人が才牙に拷問を掛けられている。
才牙は秘密結社イデアリスで、人間を素体とした怪人の開発や改造を行う部署の責任者だった人物。医者以上に人体構造に詳しいため、生命の危機なく極大の痛みを与える方法などごまんと思い浮かぶ。
その考え付く拷問方を使用すれば、ちょこっと襲われやすい場所まで才牙が移動しただけで襲撃してくるような、頭の足りない襲撃者はペラペラと事情を語ってくれた。
「領主に、お前たちを雇った人物の名前か見た目を言え。そうすれば命だけは助けてやる」
「そ、それは……」
嫌がる襲撃者を見て、才牙は傍らにいる味方――シズゥに顔を向ける。シズゥの幼げな見た目の少女を連れていれば、襲撃者の油断を誘えると判断しての起用だった。
「1人、食べて良いぞ」
「やったです! 誰にしようかなです」
シズゥは口の端から涎を覗かせつつ、襲撃者たちの容姿を観察している。そして痩せぎすで年若い10代の青年に視線を固定すると、近寄った。
「それじゃあ、いただきますです!」
シズゥは、なにをされるか知らない襲撃者の青年に、歯を突き立てた。次の瞬間、シズゥの噛みついた口から赤黒い煌めきが発生した。
その煌めきが輝く度に、噛まれた青年の姿形が萎んでいく。
そしてものの10秒ほどで、萎んだ皮と服を残した姿に変わってしまった。
「けぷっ。まだまだいけるです」
シズゥは自身のお腹を撫でながら、次はどの人にしようかなと言いたげな視線を襲撃者たちに向ける。
いま目の前に起こったことが信じられないのか、才牙に捕まれている襲撃者は目を白黒させている。
しかし混乱だけしていられはしない。
才牙が拷問を再開したからだ。
「ぐうああああああ!」
「お前に残された選択肢は2つだけだ。俺の要求を飲み、領主にお前の悪事と雇った者の情報を全て話す。俺の要求を断り、ああして皮だけの姿になって死ぬ。どちらだ?」
才牙の冷たい響きがある言葉を聞き、拷問を受ける襲撃者は拒否すれば本当に殺されると理解したのだろう、痛みに呻きながら連続で首を上下に振った。
「理解してくれて助かる。では早速、領主の館まで歩いて行ってもらおう。シズゥ、頼まれてくれるか?」
「こいつらを領主の家まで連れて行くですね。やるです!」
「逃げようとしたなら、容赦しなくていい」
「わかったです! 逃げたら殺すです!」
才牙とシズゥの会話を聞いて、襲撃者たちは本当に観念したようで重く項垂れた。