26. 代官貴族
色街の老婆に教えられた場所は、アゥトの町の中心地から少し逸れた、大通りに面した区画だった。
そこにあったのは、才牙が貰った屋敷よりも大きな家屋。
才牙は長い外壁にある巨大な金属製の門扉の前まで行くと、そこを守る衛兵が2人に近寄った。
「この屋敷の御仁を診るようにと言われてきたんだが、通して貰っても?」
才牙が語った理由を聞いて、衛兵たちは胡散臭そうに見る目を向けてきた。
「言われたって、誰にだ?」
「色街の老婆にだ」
才牙が老婆から渡された紙片を見せると、衛兵の1人が嫌そうな表情になる。
「ふんっ。お館様に変な薬を渡した詫びってわけか。そっちの2人は?」
「ミフォンは神聖魔法使い。アテタは元素魔法使いだ。役立つと思うが?」
「解呪と護衛用の人材ってわけか。少し待て。屋敷の中に連絡を入れる」
才牙と話していない方の衛兵が、金属の門扉の勝手口から壁の中に入っていった。
それから5分ほど経って、その衛兵が勝手口から出てきた。
「お会いになるそうだ。あらかじめ言っておくが、この屋敷の主は、この町の代官であり貴族だ。口の利き方には気を付けろ」
「ご忠告、どうも」
才牙は軽い礼を述べて、勝手口から屋敷の敷地の中へと入った。
一歩中に入ると、そこは別世界だった。
「ほう。なかなか立派な木が植えられているな」
アゥトの町周辺は平原のため、木らしい木がない土地柄。
才牙がこの世界で暮らし始めて、この屋敷に植えてあるものが、初めて見る樹木だ。
樹木は複数あり、外壁から少し離した位置に、外壁に沿って等間隔に植えられている。どの樹木も真っ直ぐに伸びていて、幾つかの木には食べられそうな木の実や果物が生っていた。
才牙がどんなものが生っているだろうかと観察するより前に、衛兵に背中を手で突かれた。
「こら、よそ見をするな。真っ直ぐに屋敷の方まで歩け」
衛兵に促されて、才牙は改めて屋敷の方へと視線を向ける。
視線の先に、横一直線に建てられた3階建ての屋敷。外壁で囲われた土地は才牙の屋敷の土地以上の面積があるのに、建物自体は才牙の屋敷よりも小さい様子。
屋敷が小さい理由は、やはりこの広い土地に植えられた樹木だろう。樹木を植える場所を確保するために、屋敷を小さめに作ったと見える。なにせ屋敷の屋根の向こう側にも、青々と茂る樹木の天辺が幾つか見え隠れしているぐらいなのだから。
木が好きなのか、それとも木に生る木の身や果物が好きなのか。
才牙はアゥトの町の代官だという貴族の嗜好について考えを巡らしつつ、屋敷の扉の前までやってきた。
扉の前には、地球の中世貴族風の衣装を身に着けた、総白髪で皺が深い老人が立っていた。
その老人が才牙の目を真っ直ぐに見ながら、口を開く。
「お初にお目にかかります。わたくし、当館で家令を務めさせていただいております者です。貴方様が、旦那様を診てくださる方でよろしいのですね?」
「ああ。色街の老婆に言われてな」
才牙のいつも通りのぞんざいな言葉遣いに、ミフォンと案内をしてくれていた衛兵が顔を青くする。
そんな2人の顔色の変化を知ってか知らずか、家令の老人は微笑みを見せる。
「あの方の紹介ということは、大まかな事情は御存じですね?」
「知っている。馬鹿な錬金術師の尻拭いをしろってな」
「治せますので?」
「診てみないことには、なんとも言えないな。十中八九、治せる自信はあるがな」
ここで一度言葉が途切れたが、家令と才牙は視線をぶつけ合わせ続ける。
そのまま数秒経過した後で、家令の方がスッと視線を外した。
「よろしいでしょう。では、旦那様のところへ案内します。案内はしますが、その」
家令は物が言い難そうな表情で、ミフォンとアテタを見やる。
当の2人は視線の意味が分からなかったようだが、才牙はすぐに感づいた。
「性欲の捌け口にされないかという心配か?」
「ええ。色街の責任者から何人もの娼婦を宛がってもらっていますが、ほぼ全てが腰砕けな状態でして」
「性欲を発散できていないから、女性は目を付けられやすいってことか。まあ、大丈夫だろう。俺がどうにかする」
才牙が安請け合いすると、家令は「そういうことなら」と屋敷の中へと案内してくれた。
広い屋敷の中には、使用人が多く働いていた。
使用人の彼ら彼女らは、家令を見つけると一礼してから仕事に戻っていく。
よく教育された動きに、才牙は感心する。できれば記憶を奪い取って、自分の屋敷で働く者の知識をアップデートしたいと思うほどに。
そんなことを考えながら歩いていると、才牙は使用人の変化に気付いた。
「こっちの方には、女性の使用人を働かせていないんだな」
先ほどまでは男女半々だったのに、歩く先にいるのは男性使用人ばかり。
家令は指摘を受けて、目を伏せる。
「性欲で我を失っている旦那様の毒牙にかからないよう、働く場所を移したのですよ」
「そういう事故が?」
「いえ。旦那様の狂態を目にした坊ちゃまが、そう指示なさったのです。間違いがあってはならないと」
その間違いとは、その旦那様が使用人に手を出すことなのか、それとも手を出した末に不義の子が出来ることなのか。
才牙は少し興味があったが、それを質問しないだけの分別は持ち合わせていた。
「さあ、ここが旦那様の部屋です。危険なのでベッド以外は取り払ってありますので、扉を開けた瞬間に物が飛んでくるということはありません」
家令が金色に光る鍵を懐から取り出すと、扉の鍵穴に差し込んだ。
開錠の音が鳴り、部屋の扉が開かれた。
その瞬間、才牙の鼻に嫌な臭いを嗅ぎ取った。後ろを歩いていたミフォンとアテタも同じ臭いを感じたようで、口元を手で覆っている。
才牙はこの臭いの元が何かを察知し、皮肉げに笑みを口元に浮かべる。
「随分とお盛んだな。部屋の換気をしていないのは、逃走防止か?」
「はい。2部屋を日毎に交互に使って綺麗さを保つよう努力してはいるのですが、1晩でこの有り様なのです」
才牙が開いた扉の奥を覗くと、ベッド周りに倒れる複数の女性の姿と、そのベッドの上で失神していると思わしき女性に腰を振り続けている50歳過ぎの男性の姿があった。
「人の形のままか。程度は軽いな」
才牙が症状の程度を口にすると、その声に反応した様子で、腰を振っていた男性の顔が才牙の方へと向いた。
目は血走っていて、口元には涎の泡があり、性欲を吐きだし続けたことで油分が抜けたカサついた肌色をしている。
そんな風体の男は、腰を振るのを止めると、ベッドの上に立ち上がる。その股間のブツは、相手をさせられていた女性から抜かれても、立ち上がったまままだった。
「お、おお、おおおお」
ベッドに立った男は、ガクガクと体を震わせながら、才牙の方へと視線を向け続ける。しかしその視線は、才牙から少し逸れている。
この視線の向きは、正気を失って才牙を認識できていないのではなく、才牙の後ろにいるミフォンとアテタという美女2人に視線を固定しているからだ。
「おお、女ーーー!!」
ベッドに立っていた男は、奇声をあげて部屋の外を目指して走り出す。目的はミフォンとアテタ。その途中にいる才牙には、目もくれない。
才牙は自分に接近しつつある男を見て、ふっと溜息を吐いた。
「男に色目を向けられたくはないが、さりとて無視されるのもな」
才牙は扉を開いて部屋の中に入ると、鼻に突く嫌な臭いに顔をしかめながら、寄ってきた男の肩を掴むとベッドへと投げ飛ばした。
「ミフォンとアテタ。部屋の中の女どもを引きずり出せ。処置の邪魔になる」
「わ、わかった。あの男性を、こっちに近づけさせないでよ」
「手早く外に運ぶわね」
ミフォンとアテタは、色々と体液塗れの女性を1人1人部屋の外へと連れ出していく。
その間、才牙は性欲丸出しの男を投げたり転ばしたりと、ミフォンとアテタの元へ行かせないよう立ち振舞ったのだった。