22. 肉の味
鱗猪からエッセンスを採るとは、鱗猪化、嗅覚強化、外殻、突撃が手に入った。
そしてエッセンスを採るために腑分けされた鱗猪は、才牙たちの食料となる。
「魔法とは、便利なものだな」
才牙が手放しで褒めた先は、皮を剥いだ鱗猪を魔法でこんがりと焼いてみせた、アテタがいる。
「ふふーん、凄いでしょ。細やかな魔法の制御がなきゃ、これほど見事に丸焼きにできないのよ」
「ああ、誇っていい。50キログラムはありそうな猪の肉を、1分足らずで食べごろの焼き加減にできるなぞ、俺がいた世界でも方法が限られる。ましてや、アウトドアでやってみせることは不可能に近い」
才牙は水で清めた解剖刀で、焼けた肉を切り分けていく。関節に沿って骨を断ち切ると、骨髄の中まで火が通っているのが見えて、更にアテタの妙技に感服した。
「錬金術を実行して分かった気になっていたが、やはりこの世界における魔法は研究材料に値する。魔法からエッセンスが取り出す方法を考えねば」
才牙は元の世界へ帰還するための新たな道筋を発見した気になり、上機嫌で焼けた肉を解体していく。
そうして食べごろな大きさまでカットし終えた肉を、一同で頬張っていく。
「ふむ。魔物の肉といっても、味は普通の豚や猪と変わらないのか」
才牙が残念だと感想を呟いていると、ミフォンとアテタが不思議そうに首を傾げているのが目に入った。
「どうした、2人とも」
「気のせいかもしれないけど、この鱗猪は獲りたての割に美味しくないって感じなんだよね」
「そうね。以前に食べた個体は、1口食べたら感動するほどの味だったわ。この猪は、狩ってから何日も置いたような、気の抜けた味ね」
2人の見解を聞いて、才牙は自分の知識とは違うことに疑問を抱いた。
基本的に肉というものは、絞めてすぐはあまり美味しくない。時間を置いて肉が自身の消化酵素で自己消化を行うのを待ち、タンパク質が分解されてアミノ酸となり、肉の中のアミノ酸の含有率が高くなって人間の舌は美味いと感じる。
このアミノ酸を作らせる時間を、熟成という。
しかし、その熟成を経ていない肉の方が、ミフォンとアテタは美味しかったという。だがこの丸焼きは、獲ったばかりなのに、その味になっていないとも言っている。
才牙は理由を確かめなければならないと、シズゥに顔を向けた。
「シズゥ。もう一匹、鱗猪を狩って持ってこい」
「ええー……。このアバラの部分の肉は、持って行って良いです?」
「ああいいぞ。。なんなら、いまから狩る1匹は、俺たちが少しだけ味見した後は、全てお前のものにしていい」
「そういうことなら、狩ってくるです!」
シズゥが食い意地を発揮して狩りに行こうと腰を上げたところで、才牙は呼び止める。
「待て。これを持って行け」
投げ渡したのは、強襲のエッセンスが入った封入缶だった。
「それを使えば、1撃で鱗猪を倒せるはずだ」
「わかったです。すぐ行って、すぐ狩って、すぐ戻ってくるです!」
シズゥはアバラ骨とその周りにある肉を右手に、封入缶を左手に持ち、全速力で鱗猪を狩りに向かった。
そして才牙たちが十二分に鱗猪の丸焼きを堪能し、それでも半分以上残っている丸焼きをどうするべきか思案しているところに、シズゥが戻ってきた。
「狩ってきたです! 大きなやついたですよ!」
シズゥが狩ってきたのは、先ほど丸焼きにした個体より2回りは大きな鱗猪。
恐らく、全部食べていいのなら大きい方が良いと、シズゥがあえて大物を狙ったのだろう。
才牙は命令通りに鱗猪を狩ってきたシズゥを、獲物をもってきた猟犬を褒めるように、丁寧に撫で繰り回した。
「よしよし、良い子だ。この鱗猪を焼いている間、焼けてある方を遠慮なく食べて待っていてくれ」
シズゥは半分以上残っている鱗猪の丸焼きを見て、目を輝かせる。
「これ、食べていいです? 全部です?」
「ああいいぞ。遠慮なく食べろ」
「やったー! 食べるですよ!」
シズゥは大口をあけると、丸焼き自体に噛みつき、顎と首の力でもって焼けた肉を噛みちぎる。
二次性徴も未だのような見た目に似つかわしくない、荒々しい食べ方。
しかしシズゥ自身は、思う存分に丸焼きを食べられることが嬉しいようで、幸福を感じている顔で肉を咀嚼している。
シズゥが夢中で食べている間に、才牙は狩ってきたばかりの鱗猪の内臓を取り出すと、アテタに丸焼きにしてもらった。
新たに出来た丸焼きを、一口分だけ削いで、才牙は試食してみた。
「なるほど。たしかに2人が言うように、1つ目の丸焼きより味が良い。この味の違いは個体の大きさとは関係のないとわかる」
才牙が感じた差は、肉から感じられる滋養。
1つ目の丸焼きの肉は、単純に普通の肉を食べて感じられる栄養でしかなかった。
しかし新たな丸焼きの肉は、肉を飲み込んだ瞬間から自身の体の細胞が活性化するような感覚があった。
まるでエナジードリンクをキメたかのような、この感覚。
この有る無しの差について、才牙は見当がついていた。
「エッセンスを抜いてしまうと、肉としての旨味が下がるわけか。それもそうか。薬草からポーションを作った際に、薬草はカラカラになっていたしな」
肉に対する疑問が解消されたところで、そして新たな疑問が才牙の脳内に湧き上がった。
「ミフォンとアテタに質問がある。薬草は摘んでから、どれぐらいの時間効能があるか知っているか?」
「薬草の効能って、薬師じゃないんだから知らないって」
「詳しくは知らないわね。でも何日か経った薬草を組合に卸そうとした人がいて、こんな萎びた薬草は買い取れない、って拒否されていたことは覚えているわ」
「やはり摘んでから日にちを置くと、使えなくなるわけか」
才牙が覚えている元の世界での薬草知識では、むしろ保存性を高めるために干すことが一般的――漢方に使われる薬品は植物を干して粉にしているものなのだ。
もちろん、この世界の薬草が摘まれてすぐに自己消化を開始して、薬効のある物質を分解してしまうという予想もできる。
しかし才牙は、元の世界とこの世界に置ける薬草の違いについて、見解を得ていた。
「やはりエッセンスが、時間と共に抜け出ていくわけか。となると、エッセンスを採るには、新鮮さが必要不可欠になるな」
才牙は、この事実が判明して、未来の予定を少し変える決断をした。
冒険者は金さえ積んで依頼すれば、どんな物でも持ってきてくれる存在だ。
だから才牙は、金儲けを行って資金を貯め、方々から色々な素材を取り寄せて、その素材からエッセンスを取り出す予定を考えていた。
そのためのポーション作りであり、そのために100人の配下を働かせてもいた。
しかしエッセンスが時間と共に素材から抜け出る特性があるのなら、採ったその場で抽出しないと、エッセンスの純度が下がってしまう懸念がある。
「これは自分の脚で素材を探し、エッセンスを抽出するしかないか」
才牙は元の世界に戻るための労苦は惜しまない気でいたが、それでも楽できそうな部分については楽をしようと考えていた。
しかしそうはいかないと分かり、ままならないものだと、才牙は肩をすくめた。