18. 状況変化
才牙は屋敷と約100人の配下を手に入れてから、順風満帆な生活を送れるようになった。
配下たちはアゥトの町で働き、その賃金を才牙に献上する。彼らは記憶を奪われたうえで、才牙にとって都合の良い記憶を植え付けられたため、稼いだ金を自分で使おうという自意識を持っていないのだ。
そうして入手した資金を、才牙は屋敷の維持修繕費と配下の飲食物の購入代金、そして自身の研究費に用いていく。
屋敷の壊れていた外壁は修理され、中庭の雑草が取り払われ、配下は安くて栄養価が高いが不味い穀物で腹を満たし、才牙の研究室には錬金術の本と道具が次々と揃った。
新たな拠点として申し分ない状態になったところで、才牙は次の計画に取り組むことにした。
「シズゥ、ヌアハ。お前たちにプレゼントだ」
才牙が2人に投げ渡したのは、幅広の腕輪と真新しい封入缶が1つずつ。腕輪には封入缶を入れ込めるような意匠がある。
「才牙様、これなにです?」
シズゥの質問に、才牙は彼女の腕をとって腕輪を付けた。
「これはエッセンスドライバーの機能を、決められたエッセンスの使用に限定したもの。差し詰め『エッセンスプレスレット』だ」
「これ、才牙様の、腰のものと同じです?」
「その通り。その腕話の円筒形に空いた装飾部に、エッセンス封入缶を入れ込めば、お前たちに合った戦闘服姿に変化することができる。シズゥなら再建の、ヌアハなら柔軟のエッセンスに適した姿にだ」
思いもよらないプレゼントだったのだろう、シズゥは腕輪と封入缶を嬉しそうに掲げてはしゃぎ、ヌアハは演技がかった仕草で一礼した。
和やかな空気が流れる研究室に、人物が2人入ってきた。ミフォンとアテタだ。
「行商に行ってきたけど、ポーションの売れ行きは芳しくなかった」
「性欲増加のポーションも同じよ。才牙様が作るもの以外が出回って、そっちの方が安いからって言われちゃったわ」
2人の持つ手提げ籠の中には、売れ残ったポーションが2つ3つ入っている。
売れ行きに陰りが見える状況だが、才牙は余裕の顔を崩さない。
「予想できたことだ。ポーションも性欲増加の方も、作り方は渡してあるんだ。自然と供給は過多気味になる。それにポーションは非常用。冒険者なら1人1個。町人なら1家族に1個行き渡れば、買い控えが発生する。性欲増加の方は、特性上すぐに使うはずだが、色街の人たちが頑張って作っているんだろう」
才牙が冷静に分析する姿に、ミフォンは呆れ顔を返した。
「やがて売れなくなると分かっていて、作り方を渡すなんて、何を考えていたんだか」
「もちろん、いまの状況をだ。活動拠点を手に入れ、少なくない配下をも手にした、この状況を」
「想定通りだ、って言いたいんだ」
「残念ながら、俺の想定以上だ。こんな大きな屋敷ではなく、こじんまりとした一軒家の想定だった。そしてエッセンスに強く適合する人間が現れるなど、予想の外だったからな」
才牙が喜びで声が大きくなると、ミフォンは五月蠅いとばかりに手を振る。
「それで、この後はどうするわけ。町の中で働いている人たちから給料を巻き上げて、それで暮らして行こうってこと?」
「それは俺の目的とは違う。俺の最終目標は元の世界への帰還だ。その帰還を叶えるためのエッセンスを、この世界の中から探す」
「才牙は異なる世界から来たんだったっけ。でも世界を渡るなんてこと、神様以外にできるもの?」
「この世界に真に神が居るのなら、その神のエッセンスを奪えれば、世界の移動は敵うかもしれないな」
「神様に挑もうなんて、命知らずにもほどがある。せいぜい魔物迷宮の奥深くにある、邪神の力の欠片を狙うだけにしときなさい」
「ほう、邪神の力の欠片。興味深い話が――」
新たな研究材料の情報に、才牙は喜ぼうとして、ハタと気づく。
「――おい。なんで神がいる前提で話している。神など、概念的存在であって、物質的に存在しているはずがないだろ」
「才牙こそなにを言っているんだか。神様はいらっしゃるに決まっているでしょ。神聖魔法の源は、神様のお力なんだから」
新情報に、才牙は頭を殴られた気持ちになった。
「そうだ、魔法だ。なぜ、その存在を無視していた。その不可思議な力を解明するために、ミフォンとアテタを手元に置いていたというのに」
才牙の優秀な頭脳は、手慣れた手法で生活基盤を固めることを優先することを選んだのだと、魔法について詳しく調べなかった理由を導きだしていた。
「いや、錬金術も魔法の一種。魔法を詳しく調べるためには、錬金術の習熟は必要不可欠だった。必要な回り道だったのだ」
才牙が苦悩を自己解決していると、屋敷の保守人員の1人が研究室に入ってきた。
「才牙様にお客様です」
「ん? アポイントメントはなかったはずだが、誰だ?」
「官憲の方が2人、才牙様にお話を聞きたいとのことです」
「官憲とは、犯罪を取り締まる公僕だったはずだが……」
才牙は疑問顔になる。
さて、どの件を問題視して、官憲――前の世界でいう警察がやってきたのだろうと。
才牙はヌアハを供にして、官憲と応接室で会うことにした。
応接室といっても、前の住民が残していった、古臭くて日焼けで色あせた椅子と机があるだけの殺風景な部屋だ。
「引っ越したばかりで物がなくて持て成しも出来ないが、気にしないでくれると助かる」
才牙はそう言いながら尊大な態度で椅子に座り、対面の席を指して官憲に席を勧める。
指定された椅子に座る官憲は2名。中年らしい皺が顔にでている女性と、紅顔が抜け切れていない青年。
どちらも棍棒と片手剣を1組みずつ携帯していて、それらをいつでも手に取れるように、座った際に脚の横に立てかけ直している。
物々しい雰囲気が官憲2人にあることを察しつつも、才牙は表情には出さない。
「前置きなく聞くが、この屋敷になんの用だ? この屋敷は色街の顔役から詫び料として譲り受けたもので、違法性はないと認識しているが?」
才牙が官憲に目を付けられる理由になりそうな件を予想して話すが、官憲は首を横に振ってきた。
「その件は問題ないと認識しています。今回来させてもらったのは、この薬の件です」
官憲が懐から出したのは、ガラス瓶に入れられた液体。明らかに使いかけと分かるほど、内容物が減っている。
「ふむ。手に取ってみても?」
「ええ、どうぞ」
才牙はガラス瓶を取り、中の液体を確認する。
緑色の硝子越しにもわかるほど、青黒い液体が入っている。
これが何なのか、才牙にはなんとなくわかった。
「これは、性欲増加のポーションですか?」
「その通り。では、やはり?」
官憲が意味深な物言いをしてくるが、才牙はガラス瓶の中身に対して鼻で笑ってしまう。
「粗悪の典型として飾っておきたいほどの、目を覆いたくなるほどの粗悪品だな。これが性欲増加のポーションだって? こんな物を飲んだら、性欲が増加する前に、気分が悪くなって吐くことになるな」
「……もしや、貴方が作ったものではないと、そう言いたいわけか?」
「俺の仕事じゃないな。証拠として、俺の作る性欲増加のポーションを持ってこさせよう。ちょうど、今日売れ残ったものがある」
ヌアハに取りに行かせると、すぐに素焼き調の陶器瓶に入ったものを持ってきた。
「これが俺が作っている方だ。瓶自体も違うし、内容物にいたっては全くの別物だ。確認してみれくれ」
才牙に促されて、官憲は瓶の蓋を開けて、手の平に数滴垂らして液体の色を確認する。
才牙謹製の性欲増加のポーションの色は、透き通る薄青色。ガラス瓶に入っている青黒い液体とは、全くの別物だった。
「確かにこの色の違いは――うっ!」
「主任、どうしました!?」
急に苦しみだした女性官憲に、年若い方が慌てて近寄る。しかし手で押し返された。
「近寄らないでくれ。このポーションの効果が出ているだけだ。しかし、たった数滴で、これほどなんて……」
女性官憲は体をもぞもぞさせ、胸元や股間に伸びそうになる手を意思の力で押さえつけて、どうにか発情に耐えようとしている。
顔を上気させて熱っぽい息を吐く女上司の姿に、傍らにいる若い青年官憲は生唾を飲み込んでいる。
才牙は、この青年は女上司を憎からず思っているようだなと、場違いな感想を抱く。
「ともあれ、俺のものとそのガラス瓶のモノは別物だと、そう分かってくれたかな?」
「ああ、理解した。証拠品として、貴方のポーションを預かっても?」
「構わない。だが開封してしまったからな。使う予定があるのなら、日にちを置かない方が良い」
「それはなぜ?」
「開封した薬液はすぐに使うものだ。変な物が入ったら、薬効が変わってしまうかもしれないからな」
「そうですか。では、今日はこれで失礼させてもらいます。また後日、お話を聞く機会があるかもしれませんが」
「話をするだけなら歓迎しよう。理由なく捕まえに来たのなら、抵抗させてもらうがね」
官憲2人は、才牙に一礼してから、席を立った。
発情した肉体が辛そうな女上司に、青年官憲が手を貸そうとして拒否されている姿が印象的だった。
才牙は2人を見送った後、ガラス瓶に入った液体を思い返し、悪い顔になる。
「やはり、模造品や粗悪品が出回り始めたか。発生源はどこなのかは予想がつくが、あいつらに教えてやる義理はなかったしな」
才牙は、この状況も予想通りと呟いて、自分の研究室へと戻ることにした。