はじめまして、とりあえずゴハンにしませんか
よろしくお願いします。
「本当に何もない辺鄙な所だよ、魔物が多くて危険だし。それでも行くのかい?」
家政婦ギルドのマスターに、
もう何回目かわからないほどの念を押された。
わたしも
もう何回頷いたかわからない返事を
頷き返す。
「もともと田舎育ちだし、何も変わりありません」
「いや、
田舎と魔物がウジャウジャいる山とは違うだろう」
その時、マスターの横にいたこの仕事の依頼主の
老人が言った。
「おい、マスター。
せっかく行ってくれるという人が見つかったというのに、止めさせるような事を言わんでくれ」
その老人がわたしに言う。
「お前さんの事は、その家の主が守るさ。以前は
優秀な魔術騎士として名を馳せていた奴だからのう」
「はぁ…そうですか」
なんでもいい。
どこでもいい、王都から離れられるなら。
わたしはマスターや依頼主、そして丁度その場に
居合わせた家政婦仲間に見送られて
ギルドを後にした。
住み込みで働く新しい家は
王都から馬車で2週間はかかる所にある。
それだけ離れれば……
きっと忘れられるだろう。
わたしは“バツイチ”だ。
いや、“ワケあり”にならされた。
お見合いで結婚した夫に裏切られ、
ちょうど燃えるゴミの日に
あっさりと捨てられた。
この国では夫や婚約者に離縁されたり婚約破棄
された女の事を“ワケあり”と呼ぶ。
離縁や婚約破棄をされるワケが有る女……という捉え方らしい。
どうして女の方に非がある前提の呼び方なのか。
納得いかない。
まぁもうどうでもいいけど。
わたしは愛想のいい女じゃないし、
人付き合いをしなくちゃいけない場所よりも、
誰も居ない辺鄙な所の方が性に合ってる。
と、思っていたけど………
ホンっトに何もない所なんだな。
人っ子一人見かけなくなって随分時が経つ。
最後に見かけた集落、
最後に見かけたぽつんと一軒家を通り過ぎてから
かなり時間が経つのに一向に目的地に着かない。
乗り合い馬車だったはずの馬車も
わたしだけの貸し切りになって、
随分と時が経った。
そしてようやく、
山の麓にある小さな家の前に停車した。
魔物が出る事で有名な山なので
御者はそそくさと引き返して行く。
「…………よし」
わたしはとりあえず新しい職場である家へと向かった。
呼び鈴は…無さそう。
扉を3回、訪いを告げるノックをする。
「…………」
アレ?
わたしはもう一度ノックをする。
でもやはり反応はなかった。
ご主人サマは仕事にでも出てるのかしら?
わたしは家の周りをぐるりと歩き、
窓から中を覗いて見た。
本当ならかなりお行儀が悪い行為だけど、
誰も見ていないのだから構わない。
「うわっ……えー……」
家の中は……
驚くほど汚かった。
これ、わたしの寝場所ってある?
心配になって来たので、
こっそり家の中を確認させて貰う。
不法侵入?そんな事言ってられないわ、
今晩の寝場所の確保が大事よ。
「………どこで寝ればいいの?」
玄関を入ればすぐに居間兼食堂の部屋だった。
その奥に台所。
寝室は一つしかない。
一つしかないベッドは当然この家の主のものだろう。
まあ居間には大きめのソファーがあるから
そこで寝る事は可能そうだ。
可能そうだが……
こんな汚い部屋では寝られない!
どうせ家政婦として働く事は決まってるんだ、
主が不在でも、挨拶がまだでも構わないだろう。
わたしは早速、持参したエプロンをして、
掃除に取り掛かった。
まずはシーツやらピローケースやら、目についた布ものを全て洗剤を入れた水につけ込んでおく。
その間に掃除だ。
床に落ちているものを全部拾い、ゴミとゴミでないものに分類してゆく。
本は本棚に、衣類はクローゼットに、
食材はパントリーに片付ける。
それだけでもかなり部屋が見違えた。
乾いた雑巾で棚の埃を落とし、
箒で床を掃く。
今度は固く絞った雑巾でさらに棚拭きをする。
最後にモップで床を拭き掃除したら掃除は完璧だ。
次に台所に取り掛かる。
洗い桶に突っ込まれたままの食器を洗い、しっかり水気を拭き取り干しておく。
ストーブの煤をはらい、油汚れを刮ぎ落とす。
本当は窓拭きもしたいところだが、
それは明日にしよう。
この後には大量の洗濯物が待っている。
洗い場は山から湧水を引いているらしく、
常に水が流れ続けていた。
いちいち井戸から汲まなくていいのが助かるなぁ
なんて思いながら洗濯物をジャブジャブ洗ってゆく。
シーツもタオルも、ご主人サマのパンツもあったけど、べつに構わない。
男の人の下着を見て頬を染める年頃はとうに過ぎた。
タライの前にしゃがみ込んで洗ってゆく。
スカートの裾が地面に着いて濡れそうだったので
少したくし上げてエプロンの紐に挟んでおく。
膝が丸出しだけど、
誰も見ていないんだからいいだろう。
わたしはジャバジャバジャバジャバ洗っては干す、
洗っては干すを繰り返す。
最後の洗濯物を干し終わると気分爽快だった。
大量の洗濯物が風にはためいている光景は圧巻だ。
達成感が半端なかった。
その時、突然ドサっと物が落ちる音がした。
びっくりして後ろを振り返ると
さらにびっくりして固まってしまった。
だってそこに若い男が立っていたから。
しかも結構、美形な男の人。
男は信じられないモノを見るような目でわたしを
見ている。
主に視線が足に注がれた時に
わたしはハッとした。
スカートを捲くし上げて足が丸出しになっていたのを忘れていた。
慌てて裾を直して改めて男に向き直る。
この人誰だろう。
こんな辺鄙な所に何の用だろう。
わたしがそんな事をぐるぐると考えていたら、
男の方から声をかけてきた。
「……もしかして、今日か明日くらいに
到着すると聞いていた家政婦か?」
家政婦、わたしの事だ。
「は、はいそうです。
あいにく雇い主の方はお留守でいらして……
勝手に入って掃除をさせて貰っていました」
「……俺がその雇い主だ……」
「え?」
ええ!?
この人が!?
……こんなに若い男性だとは思わなかった。
てっきり50代くらいの壮年の男性だと……
だってこんな辺鄙な所で生活してるって
世捨て人じゃない……
「キミは……年は幾つだ?」
男は少し遠慮がちに聞いてきた。
女性に年齢を聞くのは失礼だと思っての遠慮なら、
嫌な男の類ではなさそうだ。
わたしは全く気にしないけど。
「21です」
「………21」
なぜ繰り返す?
「……名前は?」
「あっ申し遅れました、メイと申します」
「メイ……」
「?」
男はしばし呆然とした様子だったが
やがて落ち着きを取り戻りたようだった。
「俺の名はジュード=ホールだ……メイさん…」
「メイ、と呼び捨てにしてくださっていいですよ」
わたしは雇い主…のジュード様にそう告げた。
「……メイ、とりあえず今晩は泊まって行くといい、明日馬車の手配をするから王都に引き返してもいいし、他の街に行くなら……」
「え!?わ、わたし早々にクビですか!?」
あまりにも唐突な帰ってもいい宣言に
わたしは思わず大きな声を出してしまった。
「あ、いや……すまない、雇った家政婦はもっと
年上の女性だと思っていたんだ。キミみたいな
若い娘はこんな所は嫌だろう?こんな何もない
辺鄙な所とは思わずに来たんだろう?」
ああ、そういう事か。
こんな何もない所で若い娘が(自分でいうのもなんだが)暮らせるわけがないと思われているわけか。
わたしは努めて端的に答えた。
「いいえ。ここが何もない所だとちゃんと
聞いてから来ました。なのでお気遣いは無用です。
というか、ここを追い出されたらわたしは
行く所がありません」
「行くところがない?」
「はい。わたしは“ワケあり”で帰る家を
無くしたもので……」
「ワケあり?」
「離縁されました」
「そうか……それは大変だったな……」
「はい、それで……いいですか?」
「何がだ?」
「ここに置いていただいてもいいですか?」
わたしはじっとジュード様を見た。
ここを追い出されたらホントに
路頭に迷ってしまう。
思わずエプロンをぎゅっと握りしめた。
わたしのその様子を見て、
ジュード様がふっと肩の力を抜かれたのを感じた。
「キミさえいいならいくらでも居て貰って
構わない。わかっただろう?俺は家事全般が
苦手だ。正直、働いて貰えると助かる」
確かに家の中は凄い荒れようでしたもんね。
……ここに居てもいい。
ここに居ても……
わたしは心の底から嬉しくなったのと同時に
なんだか力が抜けてしまって、
だらしなく笑ってしまった。
「ありがとうございます……!」
「……いや」
そう言ってジュード様はふいっと顔を横に背けた。
いやだわ、
相当ブサイクな顔をしてしまったらしい。
まぁ飯炊き女の顔なんてどうでもいいか。
ていうか……もう……
「あの……とにかくゴハンにしませんか?
わたし、お腹が空いてしまって……家にある
食材を使って、夕食をお作りしてもいいですか?」
ジュード様は目をぱちくりさせて
すぐに返事をしてくれた。
「ああ、もちろん。よろしく頼む」
「はい」
そう言ってわたしは台所に戻る。
掃除中にチェックしたのだけど、
パントリーにはチーズに缶詰めのトマトソース、
香味野菜とパンがあった。
そして保冷庫にはチキン。
「よし、今日はチキンのトマト煮込みにしよう」
バターが無いのでまずはチキンを皮目から
こんがり焼く。後でトマトで煮込むのでここで
しっかり火を通す必要はない。
皮目に焼き目を付けたいのと、油を出すのが
目的だ。
チキンから出た油で玉ねぎ、ニンニクの
香味野菜を炒める。
全体に油が回ったら、トマトソースを投入。
塩、コショウ、隠し味の砂糖、そしてドライハーブを入れて味を整える。
そして先程のチキンをソースの中に入れて
煮込むだけ。簡単だ。
パンはカチカチに固くなってしまっていたので
蒸してふんわりさせる。
サラダも欲しいところだけど
葉物野菜はないので今日はなし。
器にチキンを盛り付け、チーズをすり下ろす。
ソースはたっぷりかける。
そうするとパンにソースを付けながら
食べられるから。
テーブルに出来た料理を並べた。
「お食事の用意が出来ました」
ジュード様に声をかけ、テーブルに来た彼が
驚いた表情をした。
「すごい……こんな短時間でレストラン
みたいな料理が……」
あまりにも熱心に料理を見るものだから笑ってしまった。
「ふふ、煮込むだけの簡単な料理ですよ。
さぁ温かいうちに召し上がってください」
「キミは?食べないのか?」
「わたしはあちらで頂きます」
そう言って台所の調理台を指し示す。
「良かったら……一緒に食べないか?」
「え?」
「ずっと一人で味気ない食事をしていたんだ。
住み込みで働くのだから、お互いテーブルを
囲んで食べる方が何倍も美味いと思う」
確かに。
誰かと一緒に食べる食事は美味しい。
「でも、わたしと共に食事しても
美味しく感じないかも……」
「なぜ美味しく感じないんだ?」
「わたしはお愛想の一つも言えないし、
辛気臭いから……」
「誰かにそう言われたのか?」
「別れた夫に……」
それを聞き、ジュード様のこめかみが一瞬
ぴくりとしたがすぐにため息を吐かれ、
わたしに言った。
「女性に、しかも自分の妻にそういう心無い事を
言う奴の言葉なんか信じなくていい。俺はキミの
事は全く知らないが、少なくとも辛気臭いなんて
感じない。だから気にせず一緒に食べよう」
「……はい」
わたしはそれ以上は何も言わず、
自分の分の食事をテーブルに運んで
席に着いた。
「では食べよう」
「はい、ありがとうございます。いただきます」
「いただきます」
………この人は優しい人だ。
そして礼義正しい人。
きちんと“いただきます”を言える人。
わたしは少し、泣きそうになった。
それを悟られないように少し俯いて食べる。
ジュード様はわたしが作った食事を
「信じられないくらい旨い」と言って全部
食べてくれた。
本当に嬉しくて、また少し泣きたくなった。
こうしてわたしは何もないこの地で、
ホール家の住み込み家政婦として暮らす事になった。