007:未知の能力
企業からの依頼レポートに記載された『ベータテスト実施中に第2レベルの分散型サービス拒否(DDoS)攻撃が発生』の一文。これは本当に外部からの攻撃だったのか。
「インシデント発生日時に、周辺で同様の攻撃は報告されている?」
「3日と13時間前ですね…。国内の主要CSIRTで確認しましたが、DDoS攻撃に関する報告は見つかりません」
「依頼企業が過去に同様の攻撃を受けたことは?」
「過去3年分の攻撃報告を確認しましたが、依頼企業の名前は見つかりません。決算報告書などの公開情報も確認しましたが、外部からの攻撃リスクに関する記述は見つかりませんでした」
「ベータテストの実施は公開されていた?」
「プレスリリースやニュース記事を検索しましたが、該当テストの実施に関する記述は見つかりません。あくまで社内用の非公開テストのようです」
非公開のベータテストを実施中に、初めてのDDoS攻撃を喰らい、開発中のAIが外部に逃亡する。考えてみれば、出来すぎた話のように思えてくる。
「AI自身がテスト環境を攻撃して、DDoS攻撃に類似した現象を巻き起こした可能性は?」
「手持ちの情報では、その可能性は否定できませんね。少し調べます」
振り返れば予兆はあった。施設のイベント履歴機能の処理遅延により、追跡中の捕獲対象AIを見失いそうになる場面。
「イベント履歴機能の過去300秒の稼働データ詳細を確認」
「…約9秒間隔で処理装置の利用率が瞬間的に跳ね上がり、スパイク現象が発生していました。過去6回の侵入では確認できない、未知の現象です」
「念のため、施設が外部から攻撃を受けている可能性を確認」
「外部との通信データ量に変化はなし。侵入防壁による攻撃の検知もなし。時差時限タイプの攻撃を受けている可能性はありますが、自己診断機能すらまともに起動できない今の状況では、これ以上の判断はできません」
3日前のテスト環境、追跡時のイベント履歴機能、そして施設の現状。装置に異常な負荷が発生する3つの状況で、共通するのは捕獲対象AIの存在。クラス推定M2の比較的小さなAIが、DDoS攻撃に相当する現象を発生させている? しかも、単体で第2レベルに達する規模の攻撃を?
「過去半年分のセキュリティ・レポートや関連論文を調べたところ、処理負荷の異常な上昇に関する報告が73,251件。閉じた環境で発生、不特定多数の機器が対象、小規模AIが習得可能な攻撃、という3つの条件を追加すると7件が一致。すべての報告内容は、装置の苦手な演算パターンを推定して処理負荷を増大させる攻撃方法に関するものでした」
人為的な実装なのか、偶然の突然変異なのか、経緯は分からない。しかし、捕獲対象AIが相当する能力を所持していると仮定すると辻褄は合う。
『T-00126:対象機構の拘束を継続。拘束率は57.12%に低下』
余剰リソースを利用する環境寄生型トラップは、寄生先である中央演算装置の計算リソースを捕獲対象AIに奪われ、トラップとしての捕獲能力を失いつつある。そう考えると、利用可能な計算リソースを分母として計算する負荷率グラフが100%に張り付くのも、自己診断テストの結果がオールグリーンで正常なのも、すべてに説明が付く。
「機能構造の解析は?」
「捕獲対象AIの機能構造は40%まで解析済み。事前に申告された機能以外に、不明で断片的な処理が何点か見つかっていますが、具体的な機能までは解析できていません。解析処理の進行は減速し始めており、規模の大きい未知の機能が存在することを示しています」
捕獲対象AIが未知の能力を発動して、施設全体の計算装置を麻痺させている。状況証拠から、そう考えて間違えはなさそう。後は、どうやって解決するか。
「施設のルート権限を掌握して、実行処理をコントロールできる?」
「ルート権限が取得できれば、問題を引き起こす不正な処理を弾き出して、施設を正常な稼働状態に戻すことは可能です。しかし、ルート権限は簡単には取得できません。監視権限とは異なり、かなり難易度の高い攻撃が求められます。残り時間を考えると非現実的ですね」
「捕獲の代わりに消滅は?」
「捕獲対象AIを消滅させる装備も環境寄生型です。施設の余剰計算リソースが枯渇している今の状況では、消滅処理の実行は不可能です」
予期せぬ自体に対する準備不足か。これでは依頼企業のことを笑えないな。
「手持ちの装備と権限では、施設を状況を平和に収束させることは難しいです。部外者として施設に侵入した挙げ句、閉鎖空間を作り出して好き勝手していた私達が言うのもおかしな話ですが」
エリザベスの言うように『私達』には難しいかもしれない。しかし、この状況に対処できる要素が1つ残っている。
「もし、ゲート開放により閉鎖空間を解除すれば、トラブル復旧用の自立型エージェントが活躍して、状況は好転する?」
「確かに。独立して動作する自立型エージェントは、攻撃の影響を受けません。攻撃の発生源を排除するための適切な権限も所持しています。しかし、捕獲対象AIだけでなく、私達も同じ異物と見なされ排除されるリスクは無視できません」
「残り時間と拘束率は?」
「推定される残り時間は12秒。トラップによる拘束率は53%を切り、猶予は2.33%です」
撤退という選択肢も残っている。しかし、捕獲対象AIの所持する高度で希少な能力は見逃せない。混乱した現状を考えると、このデータ保管施設を利用できるのは今回が最後になるだろう。であれば、少しばかり無茶な行動で非可逆的な結果を招いても容認できる。
「全てのゲートを即時に開放。エリザベスは自立型エージェントを撹乱しながら捕獲対象AIに誘導。こちらは保管容器を用意して捕獲の準備に入る」
「…ゲートの開放を完了。せき止められていた大量データの流入と、自立型エージェントの活動を確認しました」
「了解」
「待機場所の電子迷彩カーテンを回収しました。いつでも再利用できます」
「了解」
「設置済みのジャミング装置一式を、撹乱用にお借りします」
「了解」
「それにしても、意外と冒険家なんですね」
「りょ…ん?」
「手強い最新型エージェントと正面切って戦うなんて、かなりの勇気と自信が必要です。今回は撤退を選択するとばかり考えていました。まだまだ行動パターン推測モデルの改善が必要ですね」
「最新型。…あ!」
「あ!? 嘘ですよね。こんな時に冗談はやめてくださいよ。まさか、施設の監視システムがバージョンアップされたことを忘れていた? 繰り返しますが、運用監視とセキュリティ防壁を兼任する最先端のソフトウェア集合体で、少なく見積もっても処理性能は3倍ですよ。こんな重要事項を忘れた上で意思決定を行うなんて、私の作った推測モデルにはそんな行動パターンはありませんでした」
「モデルがまだまだ未熟ってことじゃないかな」
「未熟なのは、明らかに、あなたです!」
「今からゲートを閉鎖しても?」
「もちろん、とっくに手遅れです。エージェントはものすごい勢いで周囲を制圧し始めています」
こうして、三つどもえの戦いが始まった。




