「初めて触れた優しさ」
私たちは命からがら龍子さんを止めた。
その喜びも束の間。私たちは狐、猫、狸、そして配下の獣たちに取り囲まれていた。彼らは今まで誰もいなかったのに、どこから湧いてきたのだろうというレベルの人数を取り揃えて、私たちを囲んでいた。
「さぁ、お館様に牙向いた無礼者め、観念するんだな!!」
「この人間どもと龍子は神聖な謁見の儀を汚しただけでなく、掟に則った『挑戦』をも台無しにした不届き者です」
「家畜にするか、殺処分か。お館様いかがいたしましょう?」
幹部たちはこのときを待っていたかのように、私たちを見下し威勢よくフブキさんに問いかける。
「何のつもりだ?」
そう答えるフブキさんの顔は喫茶店の”お姉さん“から、クランリーダーとしての厳しいものに変っていた。
「何のつもり? そりゃ当然、群れの長として、この混乱を収めていただきたいんですよ」
PON吉はにやついた顔でフブキさんに迫る。ヤツはその表情の奥にある下心とも言うべき思惑をおくびも隠そうとはしていない。
「確かにこの者どもは確かに侵入者で謁見の儀を台無しにしたが、『挑戦』にあたってそれは私が見過ごしてやった。それにそもそもとして、この組織において龍子の暴走は想定の範囲内だ」
「では、これを見過ごすんですか?」
PON吉は両腕を開き御覧なさいよと言わんばかりに周囲を示す。
それは立派な豪邸の中庭だった景色。取り囲んでいたはずの建物は瓦礫の山と化し、残っているのはフブキさんが座っていた玉座と、その奥にある彼女の住まうであろう豪華な館くらいのものだ。
「まさか、お咎めなし、なんてことはないでしょうね。これほどまでのことをしたんだから。さぁ、こいつらをどうするか教えてください、今すぐに!!」
フブキさんが口を開こうとしたのをPON吉が遮る。それを皮切りに他の幹部も足並み揃えてフブキさんに迫る。
「さぁ、さぁ! さぁ!!」
執拗に問い詰められ、フブキさんは険しい表情をする。
殺処分という言葉から察するに、私たちをその手で殺せということだろう。私と陽彩はまぁ置いといて、自らが命を張って止めた龍子さんを手に掛けろというんだ。しかも、そこには損害をクランに与えたことに対する罰――落とし前をつけろ、というもっともらしい理由が付けられている。
もし、フブキさんが落とし前を付ければ彼女には計り知れない心的ダメージがいくだろうし、見逃せばクラン員の心は離れ、彼女のリーダーとしての立場も危うくなるというわけだ。恐らく幹部共はこの状況を利用し、それを狙ってやっている。酷な話だ。
約一分。目を瞑っての、無言の長考。そののち、腹を決めたかのように目を見開いた、フブキさんはついに重い口を開いた。
「寝る」
この状況下でフブキさんが出した答えはただ一言、「寝る」という二文字だけだった。
「は?」
「私は疲れた。今宵はここまでとする。こやつらの処分については明朝改めて話す」
「まさか、逃げるおつもりで?」
そのPON吉の言葉に、フブキさんはカッと牙を剥き出しにする。
「私が寝ると言っているのだ。それが気にくわんというのなら、その『挑戦』受けて立つ」
ぴしゃりと言い放つフブキさん。その強烈な迫力に周囲の獣人たちや、あれほど威勢のよかった三幹部までもが怖気付き黙り込んでしまう。
「そのものどもは檻に入れておけ。何も手を出さずに」
「あの、それがですね……」
申し訳なさそうに、この屋敷の門を守っている衛兵獣人の一人がフブキさんに言った。
「なんだ!」
「先ほど妙な侵入者を捕らえまして、既に檻が使用中でして」
「構わん、一緒に入れておけ」
そう言い残し、玉座の裏を覆う布の向こうへフブキさんは消えてゆく。少し辛そうな表情を瞳に浮かべながら。
獣たちに囲まれたまま残された私たち。周囲には依然として自らの武器を剥き出しにする獣たちがおり、どうにも抵抗できそうにないし、抵抗したところで疲弊しきっている今私たちに勝ち目はない。
私と陽彩、そして意識を失い倒れたままの龍子さんは、屈強な熊獣人や虎獣人に連れられ、抵抗することもなく建物の残骸にある下り階段を通って地下室へと連れられてゆくのだった。
◇
檻という言葉の響きから、これから連れられて行く場所はペットショップのような雰囲気かと勝手に思っていたが、そんな訳がなかった。端的に言えば、そこは独房が並ぶ刑務所のような地下空間で、彼らクラン員たちがいう檻とは人間用の檻だったのである。
「ほら、入れ!!」
虎獣人は手錠を装備させられ自由の効かない私たちのお尻を蹴飛ばし、牢の中へ放り込む。バランスを崩し地面に倒れ込んでいると、背後からガチャンと鍵の閉まる音がした。
「痛った! まさかケツ蹴る!? ありえんし……!」
一緒に牢に放り込まれた陽彩は向こうの扱いにかなりお怒りのよう。
檻の中の広さは六畳ほどで、二人でいるくらいなら狭くもなくといったところ。ただ明かりはこの地下室の壁に掛けられた松明だけだから暗いし、床が剥き出しの石レンガだからお尻が冷たいのなんの。
「ねぇ、あれなんだろう?」
この空間を見回していると、何かに気づいた陽彩が耳打ちしてきた。
それは独房の隅、暗がりの中にある、得体のしれない何か。近寄りがたい雰囲気を醸し出しているその何かは、ちょうど蹲った人間のようなサイズ感で、時折低く「う……あ……」と呻ている。でも、生きている人間が放つ生気みたいなのは全く感じられず、それはまさに――それ以上考えるのはやめよう。怖いから。
明らかなホラー要素にはそれ以上触れず、もう一度牢屋を詳しく探ってみる。この息の詰まりそうな空間からどうにかして脱出できないか試していると、隣の独房からドスンという音が聞えた。
見れば龍子さんが檻の中へと放り込まれている。
着ているコートの裾はズタズタに裂け、松明の明かりに照らされたコートは血に濡れた部分がぬらりと独特の光沢を放つ。ダメージまみれの姿なのにも関わらず、なんの処置も施されていない彼女を見ていると私まで痛々しい感じになるというか、フブキさんの命令一つで処置もなく仲間だろうと檻の中に放り込まれてしまうんだなと、この組織の非情さを感じてしまう。
本当はフブキさん自身がこの組織の誰よりも龍子さんのことを大切に思っているはずなのに。
向こうの牢の壁をよく見ると壁には赤黒い染みが張り付いている。ここは仲間を閉じ込めるだけでなく、きっと反省会も日常的に行われているのだろう。そもそもとして、ここはクランの拠点の中にある。私達みたいな侵入者はともかく、本来ならクラメン以外に利用できない拠点にこんなものを作るというのは、仲間うちで使うほかないのだ。
そう考えるとこの檻もそんな非情さの象徴なのだろうなとストンと腑に落ちるし、この空間そのものに苛立ちを覚える。
なんとか脱出できないかと、陽彩と手分けして鉄格子を叩いたり、壁を叩いたりしていると隣の檻から声がかかる。
「無駄ですよ。ここは幹部たちが力を入れて作り込んだお気に入りの空間ですから」
傷だらけの身体を起こし、牢の壁に寄りかかりながら龍子さんが言った。
「ここではどんなに大きな声を出しても上には聞えませんし、どれだけ力を加えても脱獄は難しいでしょう」
その言葉は明瞭でしっかりと聞き取れ、声のトーンも落ち着いているという感じ。
ということはつまり……!
「龍子さん! 戻ったんですね……よかったぁ!」
「随分と迷惑をかけてしまいまして申し訳ないです」
龍子さんは私と陽彩の服を見て言った。陽彩に憑依していただけの私は別にそうでもないけど、陽彩のブレザー服はあちこち汚れ、龍子さんの腕をブロックしたところなんか破れている。龍子さんやフブキさんほどではないものの、私たちもボロボロだった。
「そんなことないですよ! 龍子さんこそ、もう大丈夫そうですね!」
「ええ……まぁ、なんとか……」
龍子さんはなんとも歯切れの悪い返事をした。
「でも、お二人が謁見の儀に現れるなんて驚きました。それにフブキさんに挑んだことも。どうしてそんなことを?」
「龍子さんを迎えに来たんですよ」
「ボクを迎えに?」
「ええ、言ったじゃないですか。龍子さんの抱えている問題を解決してみせるって。そうするには今日ここへ来て群れの長に挑めと、ある人に言われたんです」
「それで、問題は解決しそうですか?」
龍子さんは感情無さげにやや投げやりな感じで聞いてくる。
「なんというか……今はこんな感じですね」
私は誤魔化すように笑いながら鉄格子を叩く。なるべく陽気に叩いてみたけど、カンカンという金属音だけが地下牢に虚しく響き渡るだけ。
「確かに、お二人にお話した問題に関しては、ルナさんに伝授された解決法が的確かつ一番手っ取り早いと思います。でも、それはボクの抱える問題の一部でしかなかったんです」
そう言って、龍子さんは俯いた。そして、彼女は
「なんたってボクの中の一番の問題は自分自身なんですから」
ぽつりと言った。
「【暴走】、それこそがボクの本性です。お二人もご覧になっていると思いますが、自分を見失って好き放題暴れたい、そういうどうしようもない性癖がボクの根底にはあるんです」
龍子さんの表情は壁際の松明が作り出す影の中に沈んで読み取れない。でも、私には龍子さんがどんな顔をしているのかハッキリと分かった。
「暴走すればボクは満たされる。タガを外して全部ぶっ壊すと生きてるって感じがして、楽しくて嬉しくて。気持ちいいのが止まらないんです。でも、誰かと一緒にいたらその人を傷つけてしまう。それが辛くて苦しいし、ゆえにボクは以前組んでいたパーティでも恐れられ、疎まれ、嫌われていました」
龍子さんは自分の左手を掴んで、思いを噛みしめるかのようにグッとその龍の手を閉じる。
「ボクは誰かといてはいけないんです」
「そんなことありませんよ」
「ルナさんはどうしてそんなにボクにこだわるんですか?」
龍子さんはそう言うと左腕で思い切り壁を殴った。壁には大きなヒビ割れが走り、地下牢全体が揺れるほどの衝撃が巻き起こる。
「こんな……どうしようもないボクを!」
改めて龍子さんの腕の力を目の当たりにし、少々圧倒されてしまう。それでも私は、いやだからこそ私は胸を張ってこう言えるんだ。
「私は龍子さんのその腕に惚れたんです」
「この腕に惚れた?」
「ええ。包み隠さず言えば、憧れていたゲームのドラゴンの腕、それがカッコよくて、一目惚れというか、欲しくなっちゃったんです。だからこそ、龍子さんをこのクランからなんとか引っ張りだそうとしていた部分はあります」
「身体が目当てってね」
陽彩が変な横槍をいれてきた。こっちは少ない頭で言葉を選んでるっていうのに、あちらさんはズバッと本質を突くようなことを言う。相変わらず龍子さんの表情は影の中で見えないが、多分顔をしかめていることだろう。
「まぁ、なんというか……いいようによってはそう捉えられても仕方のない動機です。でも、今は龍子さんと一緒にいられればすっごく楽しいだろうなって心から思うし、龍子さんの楽しんでいる姿を、とびきりの笑顔をまた見たいんです。それは私だけでなく、陽彩や、今はいないクロちゃんだってそう――」
「いるよ……お姉ちゃん……!」
「ヒッ……!」
私の話の途中、どこからか聞えた声が地下牢に響き渡った。その声にビビって声にならない叫びを上げてしまったが、よくよく聞けばそれはよく聞き覚えのある声だった。
声に合わせて部屋に備え付けの、陰に隠れた得体のしれない何かがもぞもぞっと動く。衛兵さんが言っていた『妙な侵入者』とは、
「私、ここに……いるよ……」
「クロちゃん!?」
クロちゃんのことだった。
突然の登場にビックリして乱れた呼吸を整え、私はもう一度龍子さんと話すために彼女の方へ向き直る。そしていいタイミングで現れてくれたクロちゃんへと話を振った。
「クロちゃんはどう思う?」
「私もね……? 龍子お姉ちゃんと、一緒に……いたい……!」
「私たち、みんな龍子さんといたいって、心からそう思っています」
「でも! 言ったように、そんな優しさを向けてくれる皆さんをボクは傷つけてしまう。それがボクの本性なんです!」
私たちの気持ちを突っぱねるように、龍子さんは声を荒げた。でも、それを押し切るように私も大きな声で想いをぶつける。
「近しい人を傷つけてしまうのなら、私たちはみんなで傷だらけになっても構わない! その力で他の誰かに迷惑をかけてしまうのなら、一緒に謝りましょう! 龍子さんが苦しんでるとき、自分を見失いそうになったときには、私たちは必ず龍子さんの傍で支えてみせます! 他の誰よりも龍子さんに近いところで」
「みなさんはどうしてそこまでボクに構ってくれるんですか……?」
「私たちはどんなあなたも受け入れる、いや受け入れたいと思ったからです。したいこと、やりたいこと、【暴走】の性癖も全部龍子さんの大事な個性ですから。個性を受け入れた上で付き合うってことが一番大事だと思うから!!」
熱を帯びたやり取りが私の言葉を最後に途切れた。風に晒された蝋燭の火のように一瞬でぱっと。私の言いたいことは言った。それが龍子さんの心にどういう風を吹かせたのかは分からないけど、彼女の心が靡いたことは確か。
どう靡いたか、それは彼女の次の言葉で全部分かってしまう。言ってしまったことは取り消せないわけで、いい方向に転んでくれていることを祈るしかない。
龍子さんの沈黙は続く。気を遣ってか陽彩も黙ったまま。時計もなく正確な時間は分からないが、待っている私にしてみればそれは永遠に続くかのように感じられた。
その永遠をついに龍子さんが破った。
「とっても……嬉しいです」
その返事が、私は嬉しかった。
「じゃあ――」
「でも、ボクはどうしてもフブキさんを裏切ることはできません」
しかし、舞い上がった私の言葉を遮る様に、龍子さんは言った。
「フブキさんはこんなボクの腕でさえも初めて美しいと言ってくれて、暴走の危険があるにもかかわらず、いくあてもなかったボクをここへ置いてくださったんです。ボクにとっては彼女がこの世界で初めて触れた優しさなんです。その優しさを無碍にすることはできないんです……」
――初めて触れた優しさ。
その言葉に込められたものは相当のものだとつぶさに分かった。龍子さんにとってフブキさんがどれだけ心の支えになったのか、どれだけそれに恩を感じているのかも。
その言葉と龍子さんとフブキさんのことを考えていると、ふと自身のことが頭を過る。現実世界で除け者にされていた私が初めて優しさに触れたときのことが。
あれは確か、私が幼稚園に通っていたころのこと。性癖が原因でイジメられて独りぼっちになっていた私に、幼馴染のあの子が初めて話しかけてくれて、私の話を気持ちがらずに聞いてもらえたんだ。そのとき、私はとても嬉しくて、安心できて、私は私でいいんだって心からそう思えた。それに彼女の傍が初めてできた自分の居場所だとも。
だとすれば、私が感じたそういう感情を龍子さんも抱いているんだ。何物にも代えがたい尊くて特別な感情を。永遠に続いて欲しい温かな想いを。
だったら――
「分かりました。私たち、いつでも待ってますから。気が向いたらいつでも来てください」
私はそう答えるしかなかった。だって、龍子さんが抱いている想いがどれだけ大事なものか私は知っているんだから。
「でも、いいんですか……? いや、ボクがそう言うのもアレですが……」
「いいんですよ。やっぱ『初めて』って大事なことですから。その大切なものを無理やり壊すような真似はできませんよ」
「まぁ、ルナの言うことなら」
「私も……お姉ちゃんの、言うことなら……!」
ここまでいろいろ積み上げてきて、ときに危ない思いもさせてしまったうえで、私一人の勝手な判断でやってきたことをある意味白紙に戻してしまったが、陽彩もクロちゃんも了承してくれた。
「皆さん、本当にすいません……」
龍子さんは申し訳なさそうに私たちへ謝る。しかし、
「いいの、いいの。気にしなさんなって!」
陽彩が明るく受け答え。ギャルらしいある種の空気の読まなさに、コミュ障な私はとっても助けられている。
「にしてもさ、いや別にあの人のことを悪く言うつもりはないんだけど、ウチらをこうして牢屋に閉じ込めておくのも、優しさってわけ?」
とはいえ、陽彩にも言いたいことはあるらしく、彼女はそこのところ龍子さんに問うた。
「ええ、勿論ですよ」
「寝る! なんて言って引っ込んだけど?」
「あの人が強引にでもあの場を切り上げてくださらなかったら、ボクらはすぐに処刑されてますよ。なるだけ痛い方法で」
痛い方法で、という言葉を聞いて、みなが黙った。私を含めた各々がその方法とやらを頭に思いえがき、こころなしかこの場のテンションも下がってゆく。ただ、ゾンビ体質で痛みを感じないクロちゃんだけは『どうしたの?』といわんばかりにポカンとしているけれど。
「まぁ、これがあの場での最善だったとボクは思います。少なくとも夜明けまではボクらに誰も手出しは出来ませんし、フブキさんのメンツもキッチリ守ることができたので」
「じゃあ、夜が開けたらどうなるんだろね。ウチら」
「この騒動を収めるために、フブキさんにはフブキさんなりの考えが、『覚悟』があるんだと思います。だからこそ、こうして朝まで時間を作ったんだと思うんです」
龍子さんの言うように、こうすれば朝まで時間は作れる。単なる時間稼ぎという味方もできるが、私は以前街の喫茶店でフブキさんが「覚悟を決めなきゃ」と言ったのを聞いた。そう考えるとやはり龍子さんの言うように、フブキさんにには何か考えがあって、その準備のためにこうしたのだろう。結局時間稼ぎではあるのだけれど、無駄なあがきというわけではなさそう。
フブキさんは一体何をするつもりなのか。彼女が決めた『覚悟』とは一体何なのか。彼女はこの騒動にどう落とし前とつけて、私たちの処分は一体どうなってしまうのか。
考えたって私たちには分からない。もしかしたらフブキさんにたちにとっての最善の選択は、私たちにしてみればこの場にいる全てが敵になってしまう結論になるかもしれない。でも、どうなろうと私たちは私たちのできることをするだけ。
唐突にカツン、カツンと靴音が響いた。檻の前までやってきて衛兵の格好をした獣人がいう。
「来い、時間だ」
どうやら夜明けが来たようだ。
私たちの運命の夜明けが。




