「ドラゴンガールの本性」
「今すぐボクから……離れて!」
私から身体の主導権を奪って龍子さんは叫んだ。何かに抗うように苦しみつつ、持てる力を振り絞って。
その警告ともいえる叫びは私と陽彩だけでなくフブキにまでも向けられ、目の前のフブキの表情は真っ青になっていた。
「……!?」
突如として身体に襲い掛かる違和感。見ると憑依変身が解除されていて、身体は龍子さんの素体に戻ってしまっていた。
「ルナ、陽彩。今すぐその子から離れて!」
その声は群れの代表という立場からくるような威厳に満ち溢れたものではなく、街のレストランで聞いた”お姉さん“のものととてもよく似ていた。
「どうして?」
「事情が変わった。 早くその子から離れて!!」
私の質問にも彼女の主張は変わらない。その子から離れろの一点張り。明らかにおかしい。
本当に何かヤバいことが起こっているのは理解できる。でも、今憑依を解除することは勝ち筋を失うということを意味する。それにさっきのフェイントの件もある。フブキの指示は私に武装解除しろということであり、そのまま襲われることだってありえないことではない。大丈夫だと信じたいけど、そのためには状況が悪すぎる。
「『挑戦』の最中じゃなかったんですか?」
「もはやそんなことどころではない!」
しかし、フブキは私の疑念に対し『そんなこと』とキッパリと言い切ってみせたのだ。
フブキにとってこの戦いは彼らの掟に乗っ取った神聖なものであったはず。でも今、フブキはそれをそんなもの呼ばわりし、私たちに龍子から離れろと必死に叫んでいる。そのことをみるに、今この状況は勝利のための演技や作戦なんかではなく、本当にヤバいらしい。
「お二人とも、早く……!」
気づけば、だんだんと左腕が重くなっていき感覚も消えていく。時間が経つにつれどんどん腕は重くなり、少しもしないうちにだらりと力が抜け、指の一本も動かせないほどに――全くといっていいほど力が入らない。
状況は思ってる以上に深刻なようで、最初から彼女たちの言うことを信じるべきだったと後悔の念が頭を過る。そう思いながら、私は龍子さんとの憑依を解除しようとした。
そのときだった。一切力の入らないはずの左腕が動き出した。糸で吊られた操り人形のように、私の意思とは無関係にスーッと龍の腕が挙がってゆく。
「腕が、勝手に……!?」
その様子を見て、フブキさんは声を荒げた。
「総員退避!」
それを聞いて、クランの構成員たちは建物の中へと散開してゆく。手際がいい。まるで日頃から想定されていたかのような動きだ。
動物たちが散ってゆく中、一匹のネズミさんがフブキのもとのやってきた。
「状況は?」
「ドラ助様が率先して指示してくださったおかげで避難は速やかに」
「そうか、報告ご苦労。お前も速やかに逃げろ」
「ははぁ。それではマスター様もご無事で」
そう言うと、ネズミさんは小さな身体を活かし建物の隙間へと姿を消した。
「あなたたちも早く龍子の身体から離れろ!」
そういえば、場の緊迫した雰囲気に見入ってしまって、解除するのを忘れてしまっていた。
「あの、どうしたんですか!?」
「あとでいくらで話してやる。だから早く!!」
(抑えなきゃ、ボクがちゃんと。でなければ大事なものを傷つけてしまう。また大切な人たちを壊してしまう。嫌だ、嫌だ、嫌なのに! このまま全て委ねてしまえば自分を思いっきり曝け出せる。そう思って興奮してしまう自分が嫌……!!!!)
これは龍子さんの心の声……?
それを感じた瞬間、龍子さんの頬を涙が伝った。
「フブキさん……みなさん……ごめん、なさい……」
「謝らなくていい。必ず私がなんとかする。だから、少しの間楽しみなさい」
「すみま、せ――」
そのとき私と陽彩は強制的に彼女の身体から弾かれ、個人としてそれぞれ実体化してしまう。どういうわけか全く分からないが、龍子さんが私たちを追い出したとでもいう感じ。
龍子さんは言葉を詰まらせ、左腕を掴んだ。苦しみながら、何かを抑えつけるように。苦しみに喘ぐ声が増せば増すだけ、彼女の恐竜さながらの縦長瞳孔がきゅうと閉じてゆく。その眼は虚ろで、もはや何を見ているのかさえ分からない。
人間でなくなっていってる。誰に何を言われなくとも、龍子さんがそうなってしまったことだけは確かに分かった。
そして、これで終わりではないということも。
「グウォオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!」
その直感通り、龍子さんは豹変した。
龍子さんは人間のものには聞えない咆哮を放った。
「これは一体……?」
「【暴走】」
「暴走!?」
「そう。龍子には【暴走】癖がある」
「そんな【性癖】が……」
「理性を焼き切って暴れる、何かを壊す。それに快感を覚えたりすることはもちろん、そういうことを好きになったりすることも立派な性癖よ。性的嗜好という意味でも、元来的な意味での癖・嗜好という意味でもね。あなたもその片鱗を体感したんじゃないの?」
無限に身体の底から湧き出て、いくら出し尽くしても収まりきらないあの力。フブキが言うように、私はそれを龍子さんと一体となっていたときに常に感じていた。
「今のあの子はもう完全に暴走して衝動に飲み込まれてしまっている。あれはもう龍子ではない、龍だ」
得体のしれない高揚感、破壊衝動、そして殺意。同じ身体にいたのだから、私の味わったものと龍子さんが感じているものは同じだと思う。でも衝動に飲み込まれる寸前で済んだ私と、完全に飲み込まれてしまった龍子さんでは、その濃度というか度合いが段違いなはず。
私は【性癖】が発動してのは完全暴走ではなかった。それに陽彩のおかげでフブキに止めを刺すギリギリのところで踏みとどまった。にも関わらず、正気に戻ったあと自分自身がとても恐ろしかった。自分が衝動のままにしようとしたことに対する怖さが沸いてきて止まなかったし、今でもその恐怖は胸に刺さっている。
だとすれば、龍子さんは一体どうなってしまうの!? 完全に【暴走】してしまっている上に、「また壊す」とその痛みと怖さを既に知っている彼女は。
龍子さんは息を荒げフラフラと千鳥足。ニヤりとした表情で高笑いをしながら、感情に飲まれてあてもなく彷徨う。見る人が見れば壊れてしまったのではないかと疑われかねない。よたよたと右脚で踏み出せば地面の方が耐えきれず、歩いた痕は足跡の化石さながら。
その制御のできない圧倒的な力と、誰も傷つけたくない優しい龍子さんの気持ちと、難儀な【性癖】のこと考えると心がギュっと苦しい。
「龍子さんを助けないと!」
「助ける? 何寝ぼけたことを言っている。言っておくが、あれがあの子の本性、……いや少し違うな。あれがあの子の望むものなの」
「でも、龍子さん苦しんでいました。性癖を曝け出せて嬉しい半面、大切な人や物を壊してしまう。そのジレンマに」
「お前が、お前がッ! あの子の何を知っている?」
私の言葉を引き金にフブキはこちらへとドギツイ表情を向けた。口にはしていないものの、その目は返答次第ではお前をここで食い殺すと正直に言ってる。
それを見かねた陽彩が私とフブキの間に大きな胸を挟むも、私は獰猛な狼の目に向かってハッキリと言ってやる。
「心も身体も全部です! だって私は一心同体だったんだから!!!」
端から聞けばまるで意味の分からない論理だけれども、これ以上ない事実なんだから仕方がない。
そんな私の滅茶苦茶な主張に、フブキは不満そうに目を細める。
「貴様は確かにそうやって、大切なあの子を踏みにじるような真似をしてくれた。なんなら今すぐ八つ裂きにしてやりたいとも」
それは嘘偽りのない本心なんだなって、発言者の顔を見れば嫌でも分かる。しかし、「でも……」と、彼女は言い淀んだ。ピキピキと頬を痙攣させながらの、とんでもなく不満ありげな感じではあるが。
「いいわ! 一旦は水に流してあげる。あの子の心に入れたということは、半ば無理やりではあるけどあの子があなたを認めたということだから」
気づくと、フブキの私を見る眼差しが変わっていた。おっかなかった目つきは微かだけど優し気なものに。
「それにそうやってあなたが知ったあの子の苦しみは、過去に彼女が私に話してくれた本音と同じで、紛れもなく本当のこと。あなたなりにあの子のことを知ろうとして、それでどうにかしたいという気持ちはよく伝わった」
それを聞いて、私にも伝わった。フブキが龍子さんをどう思っているのかってことが。
フブキは龍子さんのことをただのクラン員とリーダーの関係ではなく、もっと深いところで繋がり合っている親友以上の存在だと思っている。フブキは大切な仲間である龍子さんの苦しみも葛藤も全部分かっている。
「じゃあやっぱり、龍子さんを――」
そこまで言ったところでフブキは私の言葉を遮る。
「だからこそ助けるという言葉は正しくない、止めるのよ」
フブキが言い放った瞬間、地震にも似た揺れに、岩盤に仕込んだダイナマイトを破裂させるような音。音と衝撃に驚きながらもその方を見ると、中庭を取り囲んでいた館の一角が崩落し、瓦礫の山と化していた。
「まさか、一撃で……?」
「クランでの一か月分の苦労がパーだ」
自らの拠点をぶっ壊した龍子さん。周りなど見えていないようだ。彼女は手の届く範囲の物という物を手あたり次第に破壊し始めた。
「これが【暴走】の力……」
「性癖力ももはや測りしれない」
正直、数字なんか見るよりこの惨状を見たほうがよっぽど正確に力を測れるのではないだろうか。
「被害もな」とフブキは小声でボソッと付け加えた。その声に覇気はない。
「でもどうやって龍子さんを止めるんですか?」
「私が力でねじ伏せて龍子を落とす」
「ねじ伏せて落とすってまたワイルドな……」
少し虚空を見つめるようだったフブキの表情が引き締まり、私との『挑戦』に臨むときと似た顔つきに変わる。クランの損害を憂う者はどこかへ消え、暴れ龍に挑む者の姿へと変わった。
「とっとと逃げて。巻き込まれないうちに」
「逃げろって、一人で戦う気ですか!?」
「そうよ。全力の私以外で【暴走】の発動している龍子と渡り合える存在はここにはいない。それに、暴走した彼女を止めることは私とあの子との個人的な問題であって、誰かを余計に巻き込んで被害を広げるわけにはいかない」
「他に方法とかは……?」
「ああなってしまったら最後、それ以外に方法はない」
「そんなことないんじゃないの?」
陽彩が話に割り込んできた。私の放つ落胆オーラを払拭するように、口調強めで語気強く。龍子さんを救う秘策をひっさげて。
次回、陽彩の言う秘策とは──
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