「玉座の前へ」
月下の祭壇に獣人たちが列をなす。
獣人たちはそうして来たるべき時を待っていた。
ファーリーファンダムの屋敷に戻った龍子たちは休憩する暇もなく、学校の体育館ほどの広さがある中庭へと召集された。そこには既にクラン員の獣人たちが一人も欠けることなく集って整列している。
龍子たち採掘班も決められたところに移動し、ある役割を与えられている龍子は自列の一番先頭へと整列した。
このクランは現時点でゲーム内最大手のクランで、その構成員は少なく見積もっても二百を超える。その全員がこの屋敷の中庭に集まっているというのに全体の広さに対しての人の占有率は僅か四分の一ほど。それだけの収容人数をもった場所が中庭でしかないというのだから、屋敷全体の大きさは計り知れない。
中庭へ足を踏み入れると、漂う緊張感に龍子さんの背筋は自然と伸びる。自身の定位置向かう足取りも正され、足の爪先にまで意識が向いてしまう。
その原因は中庭の最奥にある玉座。
荒々しい動物の絵が描かれた黒塗りの台座の上に、御輿のような形をした八角形の天蓋が据えられている。天蓋の上には金色をした鳳凰の飾り物が目を引き、色とりどりの装飾が美しい。天蓋からは紫の布が下ろされており今は中を窺うことはできないが、多分中には椅子が置かれていて、恐らくそこにファーリーファンダムのクランマスターが腰かけるのだろう。
そんな見た者全てを畏怖させるような玉座は中庭の奥、龍子たちがいる入り口付近から一番離れたところにあるにも関わらず圧倒的な存在感を放っていた。そのプレッシャーに獣人たちは皆圧倒されているようであり、龍子も他の獣人たちと同様であったが、その一方で彼女は密かに気分を昂らせていた。
あそこにあの人が座る。ようやくあの人に会える。
龍子の心の中はその気持ちで一杯だった。
パチン、パチンと時を刻むように音を立てて燃える篝火がクランマスターを今か今かと待つ龍子さんの気持ちをはやし立てる。
中庭の壁際には等間隔で篝火が焚かれ広場を煌々と照らす。もっとも、月明りが煌々と降り注ぐこの広場においてはそのような照明器具は不要であるようにも思われるが。
ゲーム内時刻はそろそろ深夜の十二時を迎える。満月が一番高いところに上がる時間だ。向かい合う玉座の方を見上げると、玉座のちょうど真上に満月が重なろうとしていた。
偶然にしては出来過ぎている。多分、そう造ったのだろう。
権力者が自然の力を利用しようとするのはよくあること。太陽の動きに動作を合わせたり、星の配置を模したりとその例は多岐に渡る。
それをたかがゲームの一クランがするとは。壮大なロールプレイだなと思わず呆れてしまう。
不意に、玉座の天蓋から垂れている紫の布がたなびく。風も凪ぎ、月も輝くいい夜だというのに、それを見た龍子は背筋の凍り付くような感覚を覚えた。なぜなら、月が玉座の真上に重なった瞬間、空のはずの玉座から突然に強烈な威圧感や存在感といったものを感じるようになったのだから。それは他の獣人も感じ取っているようで、隣の垂れ耳の獣人メイドもゴクリと喉を鳴らす。種属によっては全身の毛を逆立てているものまでいる。
玉座に魂が宿った。
なんて言えばいいのか分からないけど、そう表現するのが一番しっくりくるように感じた。
誰もその瞬間を見ていないのに、この場にいる誰しもがだとそうだと感じているようだった。
今まで龍子たちを見張るように獣人たちの前に立っていた三幹部ですら、血相を変えて一斉に玉座の方へ向き直って跪く。それを見て、クランの構成員たちも跪いた。
「さて、諸君。現実や個人の事情があるとは思うが、集まってくれたことにまずは感謝する」
玉座から声が響く。心に直接ズシンとのしかかってくるような低く冷たい女性の声。
そして、どこかで聞き覚えのある声。
「勿体なきお言葉にございます」
コンチ、ドラ助、PON吉が畏まって一斉に返事をした。
あの横暴な三匹がここまでの態度を取っている。普段の彼らからはそんなことをするとは考えられないが、これこそがこの場においての彼らの標準的な態度なのだ。儀式での態度の変わりようを何度も見てきた龍子にとってそれはおなじみの光景だった。
「前置きは無しで本題に入ろう。今月の成果を」
龍子を含めた各列の先頭の者が一斉に立ち上がり、玉座の前まで寄る。そして一人ずつ順番に台座に上がり、天蓋の前へと赴いてゆく。
「では建設班、始めよ」
「ははぁ!」
一匹のサイ獣人が改まった声で返事をし、玉座の前で今月の業績を述べ成果物を収める。
龍子たちに与えられた役割とは、こうしてクランマスターに一か月分の成果を直接報告することだった。
ただの成果報告であったら、クラン員全員を召集しての大規模な集会を行う必要は全くない。つまるところこの謁見の儀はあの獣人大名行列のように、自らの支配力を誇示することが目的であり、一般の参加者にしてみればただただ面倒なだけの誰も幸せにならない行事だ。
しかし、龍子自身はこの行事を肯定的に見ていた。普段姿をくらましているクランマスターにこうして直接会うことができる唯一の機会。それが月に一度行われると考えると悪いことでもないと思っていた。
一人、また一人と報告を終え、戻ってゆく。
もうすぐ……! 直接会うことはできなくとも、仕切り布の向こう側に貴方を感じることができる。それだけで十分すぎるほど嬉しい。
報告の順番を待つ龍子の心臓は破裂しそうなほど大きく、早く動く。
「最後、採掘班。いや、おいで……龍子」
マスターに艶めかしく名前を呼ばれ、龍子さんは思わずキュンと心を甘く締め付けられているような感覚を覚えてしまう。
「今月の業績はあまり芳しくはありませんでした」
「別にいいさ。そんなことよりも、今日は納品される品物を龍子のその左手から直接渡して欲しいのだ」
唐突な提案に龍子はたじろぐ。
「よろしいのでしょうか……?」
「勿論構わぬ。さあ近こう寄れ。そしてこの私の前に左手を差し出すのだ」
「かしこまりました」
龍子は左腕のアームカバーを外し、龍の腕を露わにさせる。そしてその手に真っ赤なスザク岩を乗せ、玉座の中へと手を入れた。
クランマスターは鉱石を拾い上げると、おもむろに龍子の手を撫で始めた。
「お待ちください! 一体何を……!?」
「直接受け取りたいなんてものは、ただの方便にすぎない。私は龍子の腕を、美しい龍の腕をこうしたかっただけなのだ」
――美しい龍の腕。
マスターがこの腕をそう言ってくれた。その事実だけで龍子は涙が出てしまいそうなほど感激していた。
あのとき、ボクの腕を――、気味が悪いと皆から疎まれ、ただ他人を傷つけることしかできないこの腕を美しいと言ってくれて、何よりも嬉しかった。ボクはそう言ってくれた貴方に惹かれ、この身を貴方に捧げようと心に決めていた。
またそう言って欲しいとずっと思っていた。
それが叶ったんだ。そりゃ感激して涙も出ると思う。
同じ境遇なら、私も多分泣いてしまうだろう。
クランマスターは龍子さんの腕を丁寧に撫でまわす。その指先が龍の腕の感触を求めるように固い表皮や鱗の表面を上下に、左右に、ねちっこく這わされる。そのたび、龍子さんの身体をゾクゾクとした電流のような感覚が走り、反射的に身をくねらせてしまう。
指が腕を往復するたびに快感で龍子の理性が段々と溶かされてゆく。頭の中が不鮮明にぼやけ、彼女は吐息混じりの甘い声を抑えることができない。
「はぁ……! はぁ……! んあっ……! だ、駄目ですぅ、んっ……!」
濡れた息が腕にかかり、その生温かく湿った感触に龍子は言葉を詰まらせ、ぴくんと身体がはねてしまう。
仕切りの中では、マスターが龍子さんの腕に鼻を近づけ、スンスンと臭いを嗅いでいるようであった。
「しかし、臭うな」
クランマスターが唐突に言った。
「し、失礼いたしました……。採掘から帰ったばかりでこの場に来てしまい……か、身体を清潔にする間もなく……」
「そういうことではない」
クランマスターは顔から火を噴きだしそうになりながら答えた龍子さんの言葉を遮る。
「君の腕から得体のしれない何かの臭いがするのだ。しいて言えばそう、人間の臭いが二つな」
中にいるクランマスターはこちらに向けてハッキリとそう言った。
もう気づくとは。流石はゲーム内最大のこの獣人の群れを率いているだけのことはある。その実力は本物らしい。
だったら、小細工はもういいか。
「見抜くとはね。アンタ、なかなかやるじゃん」
龍子さんの口からクランマスターに向けて礼儀をわきまえない言葉が発せられる。
自分の発した言葉が信じられなくて、口を抑える龍子さん。
「今、ボクは何を……?」
「まさか他人の身体を蝕んでここまで来るとは」
「他人を乗っ取ればその人が見たもの、聞いたもの、感じたこと、思考、感情、記憶に至るまでそれら全てを自分のものとして把握することができる。だから、余計なことさえしなければ、よほどのことがない限り誰にもバレずにここまでたどり着けると思ったの。龍子さんを利用する形になってしまって申し訳ないとは思うけれど」
「乗っ取りとは、なかなかの変態ね?」
「正確には【憑依フェチ】」
自分を置き去りにした何者かとクランマスターのやり取りに、龍子さんの精神は酷く動揺してしまっている。
そりゃそうだろうなとは思う。意識のあるままで誰かに自分の身体を操られて思ってもないことを言わされるなんて状況、乗っ取られた本人からしたら相当怖いに決まっている。
「それにしてもあの幹部どもですら欺けたのに、龍子さんの中にいる私たちに気づくとは、アンタこそ何者なの?」
「私は人間より鼻がいいのよ」
「へぇー。それじゃあ、そのお鼻を拝見させてもらいましょうか」
龍子さんの右手で仕切り布を掴み、そのまま勢いよく捲り上げる。
勝手に身体が動いて困惑する龍子さんと、私の行動にどよめく獣人たち。
「貴様! 何をしている!! 畏くもマスター様の御前であるぞ!!!」
「黙れ! これは私とこの者の問題である! 手出しは無用!!」
背後からタヌキのものと思わしき怒号が飛んできたが、クランマスターは玉座の中から一喝してこの場にいる全ての獣を黙らせた。
「それがアンタの姿か」
そこに座す獣。
玉座の中には着物を来た一匹の狼がいた。
椿の花が鮮やかに咲き乱れる着物を纏った、三角の耳がピンと立つ、灰色の毛並みをした狼。その姿は思わず見蕩れてしまうほど美しくて、眼光鋭く、鼻口部がシュッと突き出たその顔をよく見れば、思わずイケメンという言葉を想像してしまうほどにかっこいい。
それがこのファーリーファンダムのクランマスターだった。
「ケモナークランのクランマスターさん」
「いかにも。とはいえ、私だけ顔を晒すのは不公平というものではないか? 貴様も龍子から出てきてもらおうか」
椅子に腰かけ私を見下す狼は不敵に笑っている。できるものならやってみろと言わんばかりの目つきににやけ具合だ。
「いいよ。龍子さんに憑りつくのはアンタのもとまでたどり着くための策。それが達成できたのならもう姿を隠す必要もないしね」
別に構わないという意思をみせても狼は笑みを浮かべたまま。その余裕は揺るがない。
「龍子さん、身体を使わせてもらってありがとうございました。勝手に憑りついてしまって申し訳ないです。でも、おかげで私のやりたいことに一歩、近づけました」
『やりたいこと? ……ッ! まさか、あなたは!?』
乗っ取ってしまったことの謝罪とお礼をすると、龍子さんは私のことに気づいたようだ。
「憑依解除」
憑依を解くとふっと龍子さんの身体から抜け出したような感覚を覚え、すぐさま彼女の横に陰キャオタクとエロエロビッチギャル、二人の身体が実体化した。
「な、何だ貴様ら!?」
後ろのケモノたちが一斉に叫ぶ。この光景はどうやら獣さんたちは刺激が強すぎたようで中庭広場は騒然となっている。しかし、そんな中でも目の前の狼だけは興味深そうな目で私たちの憑依プロセスを見つめていた。
「なかなか面白い事をするではないか。貴様ら、何者だ?」
「私はルナ」
「ウチは陽彩」
私と陽彩は目配せし合い、声を合わせて目の前のクランマスターに、この場にいる全てのクラン員たちに、そして自分たちに言い聞かせるように声を揃えて言い放つ。
「アンタに用がある!!」
お読みいただきありがとうございました!
ルナたちは龍子の身体に憑りつくいう奇策でケモナーたちを見事に欺き、潜入に成功しました。
じゃあ、いつから龍子の身体に入り込んでいたかといえば、二話前の最後のシーンから。それゆえ、前話から今回の話にかけての話は、龍子の体内に潜んでいたルナが語り手となっているお話なのです。(分かりにくい!)
今回の話を最後まで読んでいただいた結果そう伝わってるといいなと思いつつ、ただ読みづらいだけになってしまっているなら筆者の力量不足です。申し訳ありません。
本章も終わりに向けて突っ走っていきますので、今後もお楽しみいただけると幸いです!




