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「龍の眼が見るものは」

 やりたいことを遂げるために。あれは一体……?


 自分の腕先すら見えないほどの濃い霧の中で、龍子は投げかけられた言葉の意味を考えていた。


 陽彩さんは確実に何かをしに来た。それは彼女がボクに言った台詞からして間違いない。なのに急に態度を改め、何もせず逃げた。彼女は何ゆえこんなことをしたのか。それに、やりたいことって?


 明らかに矛盾する二つの行動に、不思議な言動。その意図を考えてみても、陽彩が何をしたかったのかということは龍子にはどうにもわからないみたいで、彼女の頭の中は目の前の景色と同様に五里霧中といった様子。


 採掘班の面々の叫び声が霧の中に満ちてゆく。白い闇によって周囲との繋がりを絶たれた面々は不安に飲み込まれ、ただ大声を上げることしかできない。

 この場で冷静なのは龍子だけだったが、あまりの声に思わず両手で耳を塞がざるをえなかった。


「総員、侵入者を捕まえろ! 絶対逃がすな!!」


 スカジャンキツネのコンチは手あたり次第に怒鳴り散らす。

 彼は陽彩を捕まえろと言うが、機能不全を起こしているこの場ではその指示を通すのは流石に無理だと龍子は思った。

 案の定、大勢の悲鳴によって指示がかき消されてしまって侵入者探しどころではない。


 探したところで既に逃げられているだろうなと思う半面、いたらいたで陽彩と拳を交えなければいけなくなってしまう。

 上からの罰か、望まぬ戦いか。その答えは霧に閉ざされ、どちらに転ぶかは分からない。しかし、どちらに転ぶとしても龍子にしてみれば嫌なことに変わりなく、複雑な気持ちだった。


 霧が晴れ、視界が開けた。

 周囲を見渡しても、既にエロエロビッチなピンク髪ギャルの姿はどこにも無い。


「やっぱり」


 龍子はため息交じりに呟くも、内心ホッとしていた。

 陽彩は自分のことを想ってくれて一緒に行こうとまで言ってくれた人。そんな人を傷つけなくて済む、そう思ったから。


「おい、吊腕(つりうで)


 そんな龍子を呼ぶ声がする。

 ドスの効いた通る声。怒りを奥底に秘めた低い女の声。

 眉を目一杯つり上がらせた女狐(コンチ)が龍子の胸ぐらを乱暴に掴みかかる。


「あの人間はどうした?」


「逃げられました」


「今日は大事な日ってのは分かってんだろ? 逃げられましたじゃ済まねーんだよ」


「申し訳……ありません」


 龍子は片膝をつき、顔を伏せ気味で謝罪の言葉を口にした。

 しかし、コンチは謝罪を受けるでもなく、龍子の顎を掴んでその顔を引き上げる。


「どうなるか、分かってんだろうな?」


 コンチの目に輝きが灯る。ニタニタとした気持ちの悪い笑みを浮かべながら、コンチは空いている手を高く振り上げた。

 龍子はその腕を一瞬だけキッと睨む。それだけしかな芸のない奴だなという、嘲笑を視線に乗せて。

 それは本当に僅かな間だけだったが、コンチはそれを見逃さなかった。


「なんだその目は?」


 龍子は口を閉ざし、何も話そうとはしない。


「いいのかな? 耳尻尾以下の『家畜』の分際でそんな反抗的な態度をとっても。お前がそういう態度を取ると大切な耳尻尾(おなかま)が痛い目を見ることになるんだけど。無論、()()()()()迷惑を駆けることになるんだけどなぁ?」


 わざとらしく強調されたコンチの言葉を聞いて、龍子は顔をしかめるしかなかった。

 自分一人ならいくら暴力を振るわれようが耐えられる。でも、自分一人の行動で他のクランメンバーに迷惑をかけてしまうということには耐えられない。そしてなにより、お館様に迷惑をかけてしまうのがなにより申し訳ない。

 それが龍子の性格で、彼女のそういう性分をコンチは利用したのだ。

 龍子は事あるごとに幾度となくそれを利用するコンチの卑怯さが腹立たしく、それでいて何も反抗できない自分自身に情けなさすら覚えていた。


「申し訳……ございません」


 龍子はその気持ちをお腹の中に押し込み、ただ謝る。


「いいか? お前は私の命令を聞き忠実に役割をこなす道具でしかない。そんでもって今のお前の役割は私に殴られるって事なんだよ!!」


 コンチは振り上げた腕を龍子の顔面に向けて振り下ろす。

 龍子は思わず目を瞑り身構えるも、しかしそれは不発に終わった。龍子さんの顔面に拳がぶつかる寸前で、誰かの腕がコンチの腕を掴んで止めたのだ。

 キツネの腕を止めたのはモフモフな猫の手だった。


「コンチー。それはイカンとちゃうかにゃあ?」


「まったく、見に来ればお前はいつもこうですね」


 緊迫した現場に随分とフランクな感じで現れた二匹の獣。アロハシャツを着たグラサンの猫獣人のドラ助と、薬と書かれた赤い前掛けをした狸獣人のPON吉。

 普段はそれぞれの持ち場に分かれているはずのクラン幹部が大集合するという出来事に、龍子はもちろん他のプレイヤーたちも戸惑っているようだった。


「んで、これは? ワシにはコンチがこの子の顔を殴ろうとしとるように見えとるんやが、そこんとこどういうことか説明してくれんかいにゃ」


「その通りだよ、文句あんのか? 大切な謁見の日だってのに、満足に命令も聞けない家畜をしつけてるだけ」


「大アリも大アリにゃ。そないなことしたらアカンにゃ!」


 ドラ助は龍子の顔からコンチの手を払いのける。その上、龍子から離れろとコンチに対して一睨み。その凄みにキツネはすごすごと席を開けた。

 龍子はコンチの直属であり、ドラ助の直属ではないから彼のことを良く知らなかった。とはいえ、クラン内で囁かれている評判とは随分違う優しい印象だなと感じていた。


「まだ手ぇ出す前でよかったけどにゃ」


 ドラ助はにこやかな顔で龍子の目の前にぐぐぐと身を寄せる。


「そないなことをしたらなぁ」


 龍子はドラ助の目を見る。

 そこには優しさなんてものはなかった。龍子が持つ龍の眼に映ったのは濁った瞳。そして瞳に宿るどす黒く濁った己の欲望だけ。


「顔に傷が付くだろうがにゃ!!」


 美しいほどの不意打ち。

 コンチから龍子を開放した手が、そのまま龍子の腹へと突き立てられる。


「ぐふっ……!」


 拳は鳩尾にクリーンヒット。肺から強制的に空気が追い出され、呼吸もままならない。強烈な痛みに龍子は堪らず身を丸めてうずくまり、苦しみに喘ぐことしかできなかった。


「いいか? 今日はお館様にお目見えする大事な日にゃ。そないなときに、お館様から預かった大事なこいつらに傷が付いてるなんてなったら一大事。それにコイツはお館様のお気に入りなんやろ? そんな子の顔に傷を付けて、もしそれがあの方にバレたらどないするっちゅーねんにゃ!」


「はいはい」


 ――『ヤクザ猫』。


 地面に伏す龍子の脳裏に仲間内で囁かれているあだ名が過る。

 腹の中は真っ黒。することは欲望にとても忠実。でも見た目や印象を何よりも大事にしていて、計算高く理論を組み、その行いを露見させないよう振る舞う。チンピラやワルなんてレベルじゃない狡猾な悪人。

 龍子はドラ助の本質的な部分を見極め、彼が紛れもなく『ヤクザ猫』だと身をもって理解した。


「ドラ君も気にしすぎですよ。そんなもの気の済むまでボコボコにして、適当に僕の作った回復薬で治してやりゃあいいんですよ。言ってくれればいくらでも渡しますよ」


「相変わらず、PONさんは容赦ないにゃ……。というか、そんな話をしにきた訳じゃないんやけどにゃ」


「そうそう。本題は今日のことですよ」


 キツネは獣人たちに「早く持ち場に戻れ」と命じて、ドラ助のアドバイス通りに龍子の腹を蹴り飛ばして獣人たちを脅した。

 痛々しい様子を見て、暗い表情で仕事場に戻っていく獣人たち。それを確認したキツネはネコとタヌキと場所を移し、声を潜めて何かを話し始めた。

 再び理不尽に暴力を振るわれた龍子ではあるが、この会話は何かあると確信しなるべく息をひそめて聞き耳を立て、三匹の会話を盗み聞く。それなりに距離はあるが半人半龍の龍子にとってその音を拾うのは容易いことだった。


「んで? 準備は出来てんの?」


「勿論。ドラ君がいいマタタビを集めてくれたおかげで、いい薬ができましたよ」


「ネコにマタタビを集めさせたら、そりゃあ言うことなしの最上級やろ?」


「どんな奴だろうが打ち込めば一発で寝ますよ。まさに言うことなしの出来です」


「今日をおいて他に機はなしてっか」


 この話は明らかに他人に聞かれてはマズい話だろう。

 しかし、龍子に聞かれているとは夢にも思ってない幹部たちは何の滞りもなく話を続ける。


「当然。全ては今日の成功のために」


「コンチー、ヘマするにゃよ?」


「誰がするかっての。なんたって、この組織がかかってんだから」


「あのお飾りはもういらへん。今日を境に全てが変わるにゃ」


「変えるんですよ、ドラ君。まぁ、僕の段取り通りにやれば全部上手くいきますよ。それじゃ、謁見でお会いしましょう」


「ばいにゃら」


 そう言い残し、ネコとタヌキは帰っていったようだった。

 戻ってきたコンチは龍子の傍とやってきて、唐突に彼女の左肩を蹴飛ばし笑った。そして何事もないように素材集めの監督へと戻ったのだった。


 その意図はサッパリ分からない。それに幹部たちが何を企てているのかも。

 いくつかの疑問を龍子の頭に残したまま、作業は続けられた。それは陽が沈んでも続けられ、龍子さんたちが仕事を終えファーリーファンダムの拠点に戻る頃には、まん丸のお月様が空高く浮かんでいた。


 謁見の儀がついに始まろうとしていた。

今回、何かがおかしい……?

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