「おっぱいの当たる距離」
フブキさんが立ち去った少し後、獣人行列は帰っていった。そのころには既に雨も上がっていたが、ビーステの街の空は重々しい鉛色をしたまま。
雨宿りや行列を避けるためにマウントキャットを訪れていた客も段々と店を後にし始めたものの、私たちは変わらず窓辺のカウンター席に腰かけていた。なんとなくフブキさんに言われたことを考え終わるまでは、どうしてもここを出る気になれなかった。
組織と部外者、そして覚悟。その言葉が私の頭に焼き付いて離れない。
フブキさんの言ったことはもっともだ。人付き合いスキルがほぼ皆無な私ですらそれが正しいということは分かる。
このパーティを例にしてみれば、陽彩とクロちゃんに憑依しつつみんな仲良くやっているのに、他人を乗っ取るなんておかしいと見ず知らずの人に言われるようなもの。そんなことを言われようものなら、「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけない?」ってなるし、メンバーが嫌がってるから助けよう! なんてされたらそれこそ「何の権利があってそんなことをされなきゃいけない?」って思うのが自然だろう。
二人とも私に憑依されることを良いと思ってるし、それでみんな楽しいって思ってるんだから何も問題ないはずだ。外野からの口出しをされれば反論だってするし、引き抜きにかかられらた全力で抗う。
それを踏まえた上で、なお相手に関わってその相手を変えたいなんて思うのなら、相応の心持ち──フブキさんが言うところの覚悟が必要というわけで。
彼女が言ったことはなんにも間違ってない。間違ってないからこそ私の胸にグサッと突き刺さって抜けない。
私が龍子さんを助けようと思ったのは、ファーリーファンダムっていうものすごく酷いクランにいる彼女をどうにかしてあげたいと思っていたときに、陽彩がじゃあこっち来ちゃえばいいじゃんっていうのに乗っかった部分が大きい。
そんな感じだからこそ「あのクランを変えて龍子さんも救い出そう」なんて何も疑うことなく簡単に思ってしまった。
そこにはフブキさんのいう覚悟なんてものはない。あるのは楽しければいいじゃんという場当たり的なノリでと、そうなったら私も嬉しなという短絡的な思考だけだ。
そのために必要な手立ては何も考えてないし、フブキさんのいう覚悟なんて崇高なものも存在しない。
フブキさんの言ったことは他の人から見れば当たり前みたいなことなんだと思う。でも、そんなことですら分からなかった、考えもしなかった自分が嫌になってくる。
目の前のガラスに反射して、気を落とす引きオタ陰キャのみすぼらしい姿が目に入る。
思えば昔からこうだ。成長して何か変わったかと思い込んでいたけど、頭も見た目もその残念さはなんにも変わらない。他の人が当たり前にできることもできない、自分のことしか見えてなくてやることなすこと他人とズレてばかり。
だから私はみんなから――
「ひゃうん!」
頬に突然冷たいものが触れて、周りに大勢プレイヤーがいるにも拘わらず変な声が出てしまう。肌から伝わってくるひんやりとしていてスベスベな感触。何かとみれば、陽彩が背後から私の両頬に両手を当てていた。
「ルナ、さっきからどうしたの」
「な、なんでもないよ……?」
慌てて取り繕う私だったけど、陽彩は強めにコツンと後頭部へデコピンする。
「嘘。だって今のルナってばマジブスだもん」
「それどういう意味?」
「だってさ、今まで近くにいたり乗っ取られたりしながらルナのこと見てたけどさ、そんな顔するの初めてだし」
「そんなことないよ」
「いいや。んなことあるから言ってんの。ね、クロちゃん?」
クロちゃんに目を向けると、私の瞳をジッと見つめて、うんと大きく首を縦に振る。
「お姉ちゃん……いつも笑顔だけど、今はなんだか……元気ない、よ……?」
二人は私以上に私のことが見えていたようで。でも、私にはそんな二人が全く見えていなかった。
「なんか悩んでんなら、聞かせくんない?」
陽彩とクロちゃんは心配そうな顔で私を見つめている。絶対さっきから心配して私のことを見てくれていただろうにも関わらず、言われるまで私は気づけなかった。それが申し訳なくて、自分でも情けない。
「ゴメン。私って自分しか見えてなくて、二人が心配してくれるの全然気づけなくてなんだかもう……」
「そこは別に謝るとこじゃないって。例えルナが見えてなくても、ウチらはルナのことちゃんと見てる。
それに、ルナがウチらの誰よりも近いところで支えてくれるように、ウチらだってルナのことを誰よりも近いところで支えるから」
そう言うと陽彩はそれぞれの腕で私とクロちゃんの首に手を回し、私たちの頭を寄せ合わせた。ギュっと近づいたことで隣にいる陽彩と頭が触れ合う。
「こうするよりももっと近いところでね」
「二人とも……!」
陽彩のキラキラと輝くピンク髪が私の肌を優しくこすり、触れ合うほっぺがじんわり温かい。香水の甘い香りと身体に当たるおっぱいの柔らかさに気持ちがほぐれてゆく。
クロちゃんも遠くから一生懸命腕を伸ばし、私たちの密着感を高めようと抱き寄しめてくれる。
二人のその感触は陽彩とクロちゃんの気持ちそのもののような気がして、私は嬉しかった。
こんな風にしてもらったのは、あの子以外で初めてだったから。
すぐ自分だけになっちゃう私を避けずに傍にいるよと言ってくれた。こんな私でさえ気にかけて寄り添ってくれる。その事実に幸せな気持ちになって、思わず涙がウルウルこみ上げてきてしまう。
気づけば、私は陽彩とクロちゃんを抱き返していた。
少しでも長く強く、二人から伝わってくる気持ちを感じたかった。
「なになにー? どうしたの二人とも。くるしいんですけどー」
半ば笑いながら、冗談めかしく陽彩は言う。
「ピッタリ、むぎゅー……!」
「ゴメン。もう少しだけこのままでいさせて……?」
「しょーがないなぁ。好きなだけしてていいよ。
じゃあ、このままの体勢で聞くけど、ルナは何悩んでたの?」
優しいな、陽彩は。私がギャルに魔改造しちゃってるけど、中身は変わらず誰にでも優しい委員長ちゃんだ。
「私には覚悟とかなんにもなくて思いつきで行動しちゃう、ただ頭の空っぽ人間だったなって」
「覚悟? さっきのフブキって人が言ってた?」
「そう。何も考えず、それがなんとなく楽しそうだったからただ陽彩が言った案に同調して、龍子さんを助けるだとかあの組織を変えるだとか言っちゃって。
そんな私の甘っちょろいところを突かれて、図星すぎてさ……」
「そんなことない」
「えっ?」
意外だった。「そういうとこもっとちゃんと考えなきゃ」って咎められると思ってた。
でも、陽彩はそうは言わず、私に言い聞かせるように「そんなことない」って言った。
「そんなことないっての。ウチがああ言ったのは、ルナがそうしたいだろうなって思ったから。だから賛成してくれたんでしょ? だったらルナには強い想いがあるんだから、空っぽ人間なんかじゃないよ。そういう気持ちが、覚悟がちゃんとあるじゃんか」
「でも私はただ一緒にいられれば楽しいだろうねとしか」
「それ! 龍子と一緒にいたい。その気持ちがあれば、他には何も要らなくない?」
「でも、そんな自己中心的な理由でいいのかな? 覚悟ってもっとすごく崇高な理念とかじゃないといけない気が……」
「そんなん関係ないって。それにさ、誰かと一緒にいたいって強く思えばどんな困難にも立ち向かえる、どんな障壁だって乗り越えられるってもんよ」
陽彩はさも当たり前のように言う。
「そうかな?」
「そう。だって、ルナがファーリーファンダムに立ち向かおうとしたのは龍子と一緒にいたかったからでしょ? それに、ルナが恐怖を克服してクロちゃんを助けられたのだって、ルナがクロちゃんと一緒にいたいって思ったからできたの」
そういえばそうだ。私があのときクロちゃんの性癖を受け入れるって思ったのは、確かに彼女と一緒にいたかったから。本当に陽彩は私以上に私のことをよく見てると感心してしまう。
「ウチらもその気持ちは同じ。みんなの覚悟はばっちり決まってんだからさ、やるしかないっしょ! 龍子と楽しいことするためにも」
「うん……!」
陽彩に続いて張り切って答えるクロちゃん。
しかし、そんなクロちゃんを見て、私の頭に一つの気がかりが浮かぶ。
「でも、このままファーリーファンダムと戦うってことは、頼んでた拠点は絶対作ってもらえないよね。クロちゃん、すっごく楽しそうにしてたから。それを考えると私のワガママでクロちゃんの楽しみを奪うのはどうなのかなって……」
彼女を助けるとなれば必然的にファーリーファンダムと敵対することになる。そうすれば拠点は作ってもらえないし、最悪の場合は平和にこのゲームを続けることだってできなくなるかもしれない。
でも、
「お姉ちゃん……私、大丈夫だよ……!」
クロちゃんは私のワガママを快く承諾してくれた。
「いいの……? 無理とかしてない?」
クロちゃんはこくんと頷く。
「無理してないよ……! だって、お家はいつでも作れる……けど……人の出会いは、一期一会だから……! 私、あのときお姉ちゃんに……会えてなかったらね、きっとこのゲームやめてた……。でも、お姉ちゃんたちが助けてくれたから……今楽しい、って……思えてるの……!
龍子お姉ちゃん……悲しそうだった。だから、助けてあげて、みんなで楽しいこと……しよ?」
クロちゃんの心。それを聞いて、あのとき自分のしたいことのために動いたのは正解だって思えた。だから今度も私は私のしたいようにする。やってみせる。
私の中でメラメラと闘志が燃え上がりだし、必ずやり遂げるんだという意思が揺るぎないものへと変わった。
窓の外では雲の切れ間から日差しが出始め、私の心の中のように空も晴れ始めた。
「わかった。やろう! どんなものが立ち塞がろうとも、絶対龍子さんを助ける!
そのためにはまず、フブキさんに会わなきゃ。この覚悟を伝えるために!」




