「束の間の天国」
最初に感じたのはヒンヤリとした頬の冷たさだった。仰向けに横たわっている私の肌を冷たい風がスーッと撫でていく。
私はどうしたんだっけか。寝すぎた朝みたいに、閉じた目を開くのがなんだか億劫で、そのまま少し考えてみることにした。
確か……私はさっき崖から落ちてそのまま意識を失ったはず。ということは、そのまま落下死してリスポーンした、のかな? なんだかんだ今まで死んだことがないから勝手がよく分からない。
しかしリスポーンしたとすれば私はどこに寝てるんだろう。まさか街の往来のど真ん中ってことはないはず。そんな人見たこともないし。
その上、なぜか枕だけ用意されているのが不思議でしょうがない。
頭が感じる幸せな感覚。むにっと柔らかいけど柔らかすぎず、奥には芯があってちゃんと私の頭を支えてくれる。普段使いの安枕と比べ物にならないくらいのハイクオリティ。
でもその割には身体はカチカチの地面の上にそのまま横たえられているようで。頭と胴体で扱いがちぐはぐなのが物凄く気になる。
目を開いてみると、視界に飛び込んできたのは黒いパーカー越しにも分かるほどに豊かな双丘だった。普段見慣れたと思っていた光景ではあるが、なるほどこのアングルも新鮮で悪くない!
おおきなおっぱい、横から見るか、下から見るか。それは永遠の課題になりそうだ。
なんだかよく分からないけど、今私はクロちゃんの膝の上にいる。そういう意味では天国に来たと言えるのかもしれない。控えめに言って最高。
「お姉ちゃん、起きた……?」
モゾモゾと悶えていた私に気づいたのか、高い丘の向こうから可愛らしい顔がひょっこりと現れる。
ここからだと普段は前髪に隠れているおっきくてかわいいもう片方のお目目もよく見える。
「ん……起きたよ。時にクロちゃん、どうして私はクロちゃんに膝枕してもらってるの?」
「もしかして……嫌、だった……?」
私の一言で少しクロちゃんの表情に陰りが見えてしまう。
そんな悲しそうな顔しないでぇ……。
「そんなことない! ない! 絶対ない!! もう嬉しすぎて、ずっとしてて欲しいくらい!
崖から落ちた後のこと覚えてなくてさ、何となく気になったの」
そう言うとクロちゃんの表情がふっと明るくなって、
「なら、よかった……!」
その流れで自然と私の頭を優しくポンポンしてくれる。
初めて他人にこういうことしてもらったなぁ。あー……最高かよ。
「あのね、あのね……! あのお姉ちゃんが、ルナお姉ちゃんのこと……助けてくれたの!」
「あのお姉ちゃん?」
クロちゃんの口から耳慣れない言葉が。その口ぶりから陽彩じゃないんだろうなってことはなんとなく察せるけど。
寝返りを打ってクロちゃんの眺める方向を見ると、そこには陽彩と並んで、
――『吊腕』がいた。
「その分だと、調子もそれなりによさそうでなによりです」
「ルナ! あんまりクロちゃんを困らせんな」
優くニコッとはにかむ吊腕さんと対照的に、安堵の表情を浮かべる陽彩。
そういえば……。意識が落ちる直前、吊腕さんは私に手を差し伸べて……。
そんなことを考えた瞬間、頭がズキりと痛む。
「……ッ!」
「まだ、寝てたままの方がいいかもしれませんね」
そう言うと、吊腕さんは何かを探しだした。
「多分この辺に……あっ、やっぱりあった」
私の方へ近づいてくる彼女のドラゴンの手の中には木の枝のようなものが収まっていた。
「それは?」
「これはマタマタタビっていう植物で、麻酔薬や回復薬の原料になるんです。まあ、そうするにはキチンとした技術がいりますが」
そう言いながら吊腕さんはこの顔の上に左手を伸ばし、私に口を開けるよう促した。
「こうやってエキスを抽出すれば……! 簡易的な鎮痛剤にはなりますから」
ドラゴンの腕に力が籠められるとマタマタタビは瞬く間に握り潰され、指の間から汁がに滲み出てきた。その雫が私の舌の上に垂れ落ちてちょっとすると、頭のズキズキとした痛みが嘘のように消えてしまった。
「痛くなくなった……!?」
「ね? 言った通り」
「ありがとうございます!」
吊腕さんは屈託のない笑顔を私に返す。
でも、私にはそれが不思議で不思議でしょうがなかった。
「あっ、その、吊腕さん……でいいですかね?」
「龍子。それがボクのPN。だから龍子でいいですよ」
「じゃあ、龍子さん。どうしてあなたは私を助けてくれたんですか? 私が落ちたときにしろ、今にしろ、あなたにしてみれば私たちは倒すべき相手で、助ける必要なんてないんじゃないですか?」
そう。この人と私たちはついさっきまでどっちが生きるか死ぬか、文字通りの死闘を繰り広げていたわけで、そんな相手を人が変わったように助けてくれる彼女が不思議で不思議でしょうがなかった。
「ボクに言わせれば、あなた方は倒すべき相手ではありませんから」
「えっと……それはどういう? だって、龍子さんはあのキツネに私たちを倒すよう命じられたのを聞きましたよ?」
「ああ、それは少し違うんです。厳密にいえばコンチというキツネがボクに命じたことは、あなた方を倒すことではなく、あなた方を止めることですから」
それは同じことのように聞こえるのは気のせいでしょうか。
説明に混乱気味の私を見かねて、龍子さんは少し話す速度を落として続けた。
「要するにですね、あのときボクが命じられたのはあなた方の足止めなんです」
「足止め……?」
「はい。あの人は、あなた方に絡まれた状況から安全に拠点に逃げたかった。だから、それなりにボクが相手をして『逃げる時間を作ってくれ』というのがあの命令の趣旨なので」
「でも、私たちはあなたのクランに喧嘩を売ったいわば敵――」
そう言いかけると、龍子さんは皆まで言うなと言わんばかりに私の口に人差し指を当て言葉を遮る。
「コンチさん的にもすぐにあなた方がビーステの街にリスポーンしてしまったら、そこでばったり鉢合わせなんてことにもなりかねませんからね。それに正直な話、ボクも命令とはいえ理由なく誰かを倒すのはあまり好きではないんです。だから、相手を倒さなくていいならそれに越したことはないんです」
なるほど、あのキツネもなかなか頭が切れるところはあるらしい。
「だったら」
龍子さんの台詞を聞いた途端、敵ながら少し関心してしまった私をよそに陽彩が割って入ってきた。
「最初から戦わずこんな感じにお喋りしてればよかったんじゃないわけ?」
「一応命令されているんで、それなりに恭順の意を示さないと。立場的によろしくないのですよ」
「じゃあ、さっきずいぶんと楽しそうにこっちを殺そうとしてたのはなんだっていうのさ」
陽彩はギャル特有の突き刺すような視線で龍子さんをガン睨み。目力強くてマジ怖えぇ……。私が清楚ちゃんを無理やりギャルに変貌させたってのは興奮ポイントではあるけれど、予想以上にギャルに馴染みすぎてびっくりだよ。
「それは、その……申し訳ありません。頭に血が上ってしまったというか、なんというか……」
一気に険悪な雰囲気が場を包む。
「ま、ルナ助けてもらったし。別にいいけど」
かと思えば、空気を悪くした張本人があっけらかんと引き下がった。そのおかげで事なきを得てほっと一安心。
「とはいえ助けたといっても、さっきのこともありますし、何よりルナさんのライフがそのままなのでまだ安静にして回復に努めた方がいいかもしれません」
視界の端に目を向けてみると確かに私のライフゲージは残量数ミリといったところだ。とはいえ回復アイテム持ってないしなぁ。
でもクロちゃんに膝枕してもらっているとなんだか元気が沸きだしてくるような感覚がする。かてて加えて、心なしかライフも微増している。
とすると……このゲーム、心地いいとか気持ちいいって感じられれば回復するのでは? 【性癖】の隠し効果や、裏仕様的な感じで!
それならいいこと思いついた! 思いついたけど、まずはちゃんと相手の意思も確認しなきゃ。人の嫌がることはしない、それは当たり前のことだからね。
「ねえ、クロちゃん?」
「どうしたの……?」
「あのね……クロちゃんのお胸に顔をむぎゅーって埋めてもいいかな? そしたら私、すっごく元気になれる気がするんだ!」
「……いいよ! お姉ちゃんが、元気になれるなら……!」
「えっ……? ええ!?」
マジですか!?
ダメもともいいとこのサイテーなお願いだったけど、クロちゃんはにこやかに受け入れてくれましたよ!
そ、それじゃあ早速……!
むくりと膝枕から起きて、正座でクロちゃんに相対する。
視界を埋め尽くすクロちゃんの胸。まじまじと見つめていると、徐々に胸の奥がかぁっと熱くなり自然と唾が口の中に溢れだしてくる。
ゴクリ。顔を埋めた感触を想像しながら音を立てて唾を飲み込めば、お腹の下の方がほのかにムズムズと疼きだしてしまう。
「ど、どうぞ……!」
クロちゃんは無邪気な笑みで私を誘う。それを見ていると得も知れぬ背徳感が心に生じ、ゾクゾクとした刺激となって背中を這いずりまわり、この身体を小刻みに震わせる。
もう耐えられない……! それでは、いざ!!
「いただきま――」
「ハラスメント警告キーック!!!!!」
クロちゃんの胸に顔を埋めようとした瞬間、陽彩の飛び蹴りが私の身体に突き刺さる。
「ぶべらっ!!!!!」
「お姉ちゃん……!」
そのマジ蹴りを受けた私は情けない声を上げ、ぶっ飛ばされる。
「痛い!! なにすんの!!!!」
「え? ハラスメント警告」
陽彩はさも当然といった感じで言い切る。
「いや、クロちゃんはいいって言ったもん!!」
「ダメに決まってんでしょ。クロちゃんが汚れる」
「なんじゃそりゃ!!!」
「あの……! か、回復アイテムになるものを探して……きますから、皆さんはちょっと待っててください……!」
私たちを見かねたのか龍子さんが声をかけてくれるも、彼女は口元を左手で隠し俯き気味で身体をプルプルと震わせていた。
そして呼吸が落ち着いた頃、
「皆さん、楽しそうですね。見ていて……羨ましくなってしまうほど」
彼女はそうポツリと言い残し、こっちに視線を合わせることなく足早に山へと向かっていったのだった。
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