現実《リアル》におかえりなさい
フェチフロからログアウトして現実に戻った私は、ヘッドギアを外したくなかった。この機械に包まれながら延々とプレイの余韻に浸っていたい。だけど、このギアの内側の無機質なデザインが早く現実に戻れと急かしてくる。
渋々ギアを外すと、機械の内側と蛍光灯の下の明るさの差で目が眩む。初のログインからの怒涛の出来事を思い返し、ふぅっと一息。
いや、マジにヤバいなこのゲーム。性癖を具現化させた存在が隣にいる、そういう存在になれる、そういう存在に会える、それがどれだけ衝撃的なものか。
私の隣には推しキャラの抱き枕が添い寝してくれている。ベッド脇は推しのポスターが壁を埋めつくし、加えてベッドの枕元にある金属ラックには胸の大きな推したちのフィギュアたち――健全だけどたまにちょっとえっちっち――が、私を常に見下ろしてくれている。
今まではそれで満足できた。抱き枕に抱き着きながら、推しに愛を囁かれるASMRを聞き、二次元の推しキャラ見つめられる生活がなにより幸せだと思っていた。
でも、フェチフロでは『好きな性癖の子』と一緒に過ごせるのだ。私の性癖が陽彩というドンピシャな形に具現化して、並んで歩け、話ができて、手も繋げる。おまけに、あのガンマンのおねーさんにも合えたし、その崇高なるおっぱいを拝ませてもらえた。それらのことが何よりも幸せで、いまだに思い返すと胸の奥が熱くなる。
そんな体験をしたら推しに囲まれているこの状況も、なんだか味気なくなったような気がしてしまう。まさにプレイ前とプレイ後では世界がガラッと一変してしまった。
しかも、幸せなのはそれだけではない。なんたって夢が叶ったんだから。
『誰かに憑依してめちゃくちゃしたい』、女児向けアニメで歪んだ私の願い。今までは胸の中に抱えて悶々とするだけで、誰かに話すことさえ出来なかった。だって誰からも理解されないし、話せば異常者扱いされるだけだし。
『そいつわるものだよ? なのにすきだなんていけないんだー!』
――いけなくないもん。
『ねぇ、やっぱりこっちがいいんじゃないかしら。みんなと違うのもいいとは思うけど、お友達みんなと同じのがいいとお母さん思うの』
――みんなとちがうのがいいんじゃないもん。この子がすきなんだもん。
『私もあのアニメ好きだった! で、誰好きだった? は? アイツ好きなの? そんなんいるなんて思わなかったわ』
――別に誰を好きになったってよくない?
そんなこんなで癖を晒した結果、幼稚園から中学まで他人から避けられ、友達も出来ず、イジメられていた。でもこんな私のことを理解してくれた友達が唯一、一人だけいた。その子は私が幼稚園生のときからの幼馴染で、何かあるたびに私を守ってくれて、そんな性格からやがてクラスの全員に手を差し伸べてくれる清楚系委員長ちゃんへと成長した。
その幼馴染だけが私の癖や趣味の話を嫌な顔一つせず楽しそうだねって言ってくれた。彼女といるときが私の学校生活で唯一の楽しみだった。でも、彼女は中二のときに転校しちゃって、今は音沙汰なし。そこからその子のいない楽しくない中学生活を右から左へ流れるように送り、誰にも理解されることのない薄暗い高校生活へといたってしまった。
今の高校生活が虚しいだとか、寂しいだとかは別に思わない。別に私の持っている性癖は恥ずかしいものではないし、周りがどう思おうとも私には関係ない。それにこの生活には――悲しいことに既に慣れてしまっている。
とはいえ、何も感じない訳ではない。他人からあからさまに拒絶されるとその度に心がすり減ってゆくのを実感していた。このまま誰にも理解されないでいるといつか『私』が摩耗して消えてしまうと時々寝る前に頭を過るほどには。
いつもだから、慣れっこだからと強がってはいるものの、心のどこかでは私を理解してくれる人が欲しかった。私の歪んだ欲望をも全肯定してくれた幼馴染のあの子のような存在が。そして、それをこのフェティシズム・フロンティア・オンラインに求めていた。
聞くだけでドン引きものの世間からすれば危ない思想をありのまま受け入れて欲しい、なんて普通は無理な要求なのは分かっている。でも、フェチフロはそういう無茶苦茶な『私』でさえも受け入れてくれた。
キャラメイクは私の理想と寸分違わぬ姿で陽彩を仕上げてくれたし、【憑依】のスキルは陽彩を思い通りに乗っ取ることができたし、なによりキバさんに私の性癖を素敵だと言ってもらえたのだ。
ユーザーサポートAIである彼がそう言ってくれるのなら、「ここにいてもいいんだよ」とゲームの側から言われているような気がして、フェチフロが私のことを受け入れてくれているってそう思えた。
そんな世界で他人の目を気にせず自分の好きなことをするのは本当に楽しかった。日頃心の奥底に秘めたものを全開にしても誰からも咎められず、嫌な顔されず、【憑依】という夢を叶えられて最高な気分になれた。
やっぱいいなぁ、憑依って。
今、自分の身体を見ても貧相なまな板しか無いが、胸がたわわな重量感を覚えている。陽彩の身体に憑依したときに感じた感触がまだ残っているのだ。
憑依した側に残る興奮の記憶がさらに憑依しようと思い起こさせる。それもまた憑依の醍醐味であり、どんな性癖も再現するという文句に嘘偽りなしだ。
個人的にはまぁまぁ『クラスの隅にいるような清楚系隠れ巨乳委員長ちゃんに憑依してとんでもないことしたい』欲求を叶えられた満足感はある。でも、サポートAIのキバさんは次回はもっと性癖を深められることを紹介してくれるらしい。果たして一体どんなことなんだろうか。もしや、あんなことや、こんなこと、果てはちょっとイケナイことだろうか。
まあ、この先フェチフロで何ができるかは分からない。でも、もっと楽しいことになりそうなのは確かだ。なぜかは分からないけど、このゲームなら絶対そうなるだろうなって予感がする。
次のログインが待ち遠しい。個人的には世間で言われているVRプレイ時の休憩インターバルなんか別に気にしないが、もし破ろうものならゲーム内でキバさんに怒られる。絶対めんどくさい。だから、私はおとなしく二時間以上の休憩を取ることに。
頭を休めるためベッドの上で何も考えずボケっとする。しかし、気分の昂りはどうしようなく収まらない。身体の方もソワソワしてしまい、堪らず部屋の壁掛け時計を見ると時刻は既に午後の十時を回っていた。
その事実に私はちょっとだけ驚く。ゲームを始めたのがだいたい昼過ぎくらいだから、結構な時間やってたことになる。そりゃ、キバさんに怒られるわけだ。VRの特有の没入感があるとはいえ、我ながら飯も食わずによくやるわ。
そう冷静に自分を振り返ると思い出したかのように急にお腹が空いてきて、同時にドッと疲れも身体にのしかかってきた。でも、疲れは疲れでも嫌な疲れではない。ゲームをぶっ続けでプレイして、初見クリアしたときのような心地よい疲労感だ。
適度な疲労感もいいフルダイブVRゲームの条件。久しぶりにそれを味わえて、まさにこのゲームを買ってよかったとプレイ初日にして実感している。
それにフェチフロをプレイするために明日の学校も頑張って乗り切るぞ、とも思っている。
こんな前向きな気持ちになれたのはいつ振りだろうか。それはきっと、中学のとき、幼馴染のあの子が転校して以来な感じ。明日が来なければいい。あの日から、そう何度思ったかは数えきれない。でも、明日が待ち遠しいと思ったのはすんごく久しぶりだ。
フェチフロが待っているから、陽彩と会えるから。それだけで私はそう思えた。
「よし、飯喰って寝るか」
明日の準備が終わり、私は冷めた夕飯をレンチンして食べ、風呂に入って、またベッドに横になる。いつものような億劫さも全くなく、寝る前のタスクを全てこなした私はそのまま、スッと心地よく眠りについた。まどろみの中に身体が溶けていくような、心地のよい眠りに。




