教科書
いけない、次の授業古文じゃん。
教科書忘れてきちゃった。
うん、これはやばいぞ…。
別に教科書を忘れた事自体が大変な訳ではない。
(いや、確かにそれは問題ではあるが…)
ちらっと視線をずらすと窓際の席の一也くんと目が合う。
ニコッと陽の光を受けてイケメンスマイルで手を振ってくれる一也くんはやっぱり格好いいー。
一日中見続けていても飽きる事なんて無くて、見惚れてしまう。
…。…。…。ってそんな場合じゃ無かった。
私が教科書を忘れた事、一也くんにばれる訳にはいかない。
教科書を忘れたと言う事は、必然的に隣の人に見せてもらう事になる。
これはやばい。
え?何がやばいのかって?
ごく一般的な授業風景ではないか!
そう…。普通に考えれば何の問題も無い。
だけど、美優の場合…。
もう一度視線を一也くんに向けると一也くんは美優の異変に気付いたらしく、『何かあった?』と言う表情をして席を立とうとしたけど、予鈴の邪魔を受けて渋々席に座っていた。
以前一度、今日のように教科書を忘れてしまった事があって、隣の席の中国人留学生王くんに見せてもらった事があったんだけど、その時の刺すような一也くんの視線を忘れる事が出来なかった。
その視線に気付き、振り返ると一也くんは何事も無かったように笑顔で美優を見てくれたけど。
それから美優に教科書を見せてくれた王くんは人に優しくしたのにも関わらず、一方的に一也くんに嫌われる事となってしまったのだ。
あれから席替えしていないから隣の席は相変わらず王くんだし…。
またしても彼が親切心から一也くんに嫌われてしまうのではないかと…。
でも…。
分かって、一也くん。美優は教科書を忘れたせいで授業に遅れたくないの。
授業に遅れてしまったら一也くんと同じ大学に行く事ができなくなってしまうかもしれない。
教科書を見せてもらう事は、大きく言って一也くんと美優のためでもあるの。
「あの、ごめん、今日…」
すっと息を吸ってから、隣の席の男子へ言葉を一気に放とうと思ったその声は簡単にイケメンボイスによってかき消されてしまった。
「先生、上村さんが調子悪そうなので保健室に連れて行ってもいいですか?」
一也くんが、古文の教師が教卓に行くのを見計らってから、日直の号令を待たずにさっと挙手した。
「え?上村さんどうしたの?大丈夫?」
「あ、えっと…その…」
今年大学を卒業したばかりの新任古文の教師は戸惑ったような表情で私を見ていたが、戸惑っているのは先生だけではない。
え?一也くん、何言ってるの?
美優具合悪くないよ?
「行くよ、美優」
いつの間にかすぐ隣に立っていた一也くんが美優の手を取り立たせた。
「では、失礼します」
優等生の一也くんが、そう言うのだから本当なのだろう、と誰もが信じてしまった。
「えっと一也くん?」
「しっ。話は後で」
まだ整理のつかない美優の手を取り、廊下に出るなり、一也くんはくすっと笑った。
「良かったー」
「え?どうして?」
一也くんの安堵の微笑みが理解できずに、聞き返してしまう。
「美優、また教科書忘れたでしょう?」
「え?どうして?」
「美優の顔見れば分かるよ。また王とかに見せてもらったら…と思うと嫉妬でおかしくなりそうだったから。あー、早く席替えならないかな?美優の隣になりたい」
か、一也くんってすごすぎる…。
「このまま授業さぼっちゃおうか?」
「え?」
「だって、美優1人保健室なんて置いておけないから、うん、一時間二人でどこかでサボろう!」
優等生のくせに、こんなことをさらっと言ってしまう一也くんも大好き。
差し出された一也くんの手を取り二人だけの廊下を心の高鳴りとは対照的に静かに歩いた。




