末章 2016年、天玄山
午前中に降っていた雨は止み、周囲は光がさしていた。
元海原テレビ放送記者だった戸田は雨の止んだ山道を車で走っていた。
ラジオのニュース番組は昨日の大統領選挙の結果を喋っている。
戸田はラジオのボリュームを絞ると、目的地を指すカーナビの画面をちらりと見た。
何度も走った道なのにカーナビの到着時間が気になる。体が覚えている癖なのだ。
だが今日は昔ほど急ぐ必要はなかった。
戸田は天玄山の登山道の入り口に到着した。戸田は車のトランクを開けた。中には丁寧に整えられた花束があった。戸田はその花を片手に持つと、車を置いて歩き始めた。
――変わっていないな。
登山道を歩きながらふと思う。この山は高さはあるもののなだらかな山で、ハイキングコースとしても人気があった。今は道も静かになっている。平日だったことも理由の一つになるが、人気のわりにといった感じだ。登山道から離れて少し歩くと、開けた場所に出た。平場ではあるがうっそうとした場所である。その広場のくぼみがあった。
戸田は花をそのくぼみに置くと手を合わせた。
「やはり戸田さんも来てましたか。」
背後で声がして振り返ると、戸田と同じく花束を持っていた懐かしい顔があった。
「おお榊君、来たか」
「ご無沙汰しています」
榊守は軽く礼をすると、戸田の置いた花束の隣に持ってきた花束を置いて手を合わせる。
「ここに来れたということは、記憶が戻ったってことか」
「……ええ、色々ありまして。あれから十年ですか」
「判明するまで時間が掛かり過ぎてるな。まぁ、俺たちには『今更か』としか思えないが。」
「また吸い始めたんですか?」
戸田がたばこを取り出す所を、榊はじっと見ていた。
「ああ、昨日からな」
「事件が終わったらよく吸ってましたよね」
「でもこいつの件以来ぱったり吸わなくなった」
「禁煙していたのですか?」
「いや何も。」
「珍しいですね」
「そうだろうかね?煙草を吸うことを10年近く忘れさせるほど、この事件は強烈だったのかもしれないな。」
戸田が煙草に火をつける。ゆっくり吸い込み煙を吐きだす。山の寒さで煙が強調されていた。
「一本いいですか?」
「お前煙草嫌いじゃないのか」
「そうですけどね、今日は特別です」
榊は煙草を一本もらうと火をつけてもらう。静かに吸ってそのまま吐く。
「慣れてるもんじゃないか」
戸田と榊はそのまま煙草を吸っていた。
「そういえば海原辞めたんだって?」
「ええ、いろいろありまして」
榊は吸い終わったタバコの火を戸田から借りた携帯灰皿で消した。
「あれからも報道にはいたのかい?」
「ええ、あの震災までは、以降は別部署に行っていましたが、それも続きませんでした。」
「その『力』に関わることか」
榊は左腕をさすった。
「そうですね。震災で色々と支障を来したので」
「そんなにひどくなったのか?」
「ええ、あの時、眼をいじったでしょう?あの世界が一気に恐怖になるような衝撃でした。」
榊のトーンが落ちて静かになる。
「あれは怖かったな……」
「私のほかにも、精神をやられて廃業に追い込まれた同業者がたくさんいました。だいぶ昔よりはマシになったので落ち着きました。」
榊は静かに手を合わせる。それは遺体のあったところよりも離れていた。
「なぁ、榊」戸田が語りかける。
「はい」榊が返事する。
「あの時、俺たちのやったことは正しかったのかな?」
戸田は榊に訊いた。
「結果は正しかったですね。でも……」
榊は振りむいた。
「でも、やり方は間違ってる。」
榊は答えると、戸田はニヤリと笑った。
――『事件記者Aの後悔』 完――
作者あとがき
事件記者Aの後悔を書き始めたのは2017年、そこから2年の歳月で一つのスピンオフ作品を書き上げたことになります。当初は5・6編程度で終わる予定だったのが、いろいろ要素を入れすぎたり、ほかのストーリーと仕分けた結果、長丁場になったわけです。似たようなことを本編でもやってるわけですから、お互いに長い時間掛かったわけです。はい。
今回のストーリーのキーになっている天玄山の事件は題材となる実在の事件がありました。09年に発生した事件がその後16年になって解決した事件で犯人と思われた人物は事故で亡くなり、捜査線上に浮かぶまで時間が掛かりました。
榊たちはすべてを誰よりも長く見続けていた土地神の証言から気になる人物を探そうとしますが、事故により人物は死亡し、亡霊だけが成仏できずにさまようというものでした。
その横で、榊守を取り巻く人物たちは2010年の神還師本編へと引き継がれますが、肝心の榊守は記憶を消されてしまいます。その記憶を消した理由なども今後の本編などでわかるようになればと願いつつ、次は本編で会いましょう。