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8-3.追い込まれたのは真壁

 俺と久遠、真壁や鳴海が通うのは「静岡南城高校」という高校。小学校や中学校とは違い学区によってではなく、志望動機や学力によって入学を選択する。

 つまり、自宅が市外などの遠距離にある人もいるのだ。

 ゆえに自転車で蒲原かんばらだの焼津やいづだのという、片道一時間コースに付き合わされるのではないかと心配したが……

 意外にも鳴海の自宅は市内、それも俺の家からそう遠くない場所にあった。ある意味一番の不安は杞憂きゆうに終わったようである。

 夕日の暮れた住宅街は、手元が見えるか見えないかくらいの明るさだった。パチパチという音と共に点灯し始める街灯。あちこちの窓から照明が漏れ出ている時間帯だ。

「市営のアパート……ここね」

 合流した久遠が、薄茶色の壁と白い柵のある八階建ての建物を見上げた。

 生活道路をくねくね進んで行くと突然現れる市営アパートは、小学校時代のクラスメートが住んでいた場所でもあったため多少の見覚えがある。保育園の運動会に至っては、ここの広場を借りてやっていたような記憶があるほどだ。

 それにしても、ここ来たのは何年振りだろうか?

「西ヶ谷、自転車は?」

「駐輪場に置いてきた」

「邪魔にならないといいけど。……まあ気にしている暇もないし、行きましょう」

 そう言うと、久遠は城の入り口みたいなアパートの玄関をくぐった。次に真壁、俺もそれに続いてアパート内に入っていく。

 ちなみに久遠の右手には、いつもの鞄と一緒に茶封筒の入った袋が下げられている。これは久遠が理数科の担任、三沢先生に自宅訪問することを報告し、ついでに届けるように頼まれたものだ。おそらくクラスの配布物あたりだろう。

 生徒のことなど全く考えないA組の担任とは違い、三沢先生は鳴海のことをとても心配していたらしい。このまま不登校が続くと進路にも響くこともあり、先生自ら家庭訪問を考えていたとか。

 ただ『鳴海ちゃん、死にたいとか言ってないかしら……』は考えすぎだと思います。

 ……考えすぎだよ、ね?

 エレベーターの場所がわからず、カンカンと鉄製の丈夫な階段を上がっていく三人。

 すき間から見える眼下のベンチが小さくなり、足下にわずかながらすくみを覚え始めた、その時――

「……ここね」

 七階、階段踊り場のすぐ前にある片開きのドア。横にある白地のプレートには、あまり太くないマジックで「鳴海」と書かれている。

 市営アパートの七〇二号室。そこが鳴海 由紀ゆきの自宅だった。

 ピンポーン――

 躊躇ためらうことなく、久遠が呼び鈴を鳴らす。

「……」

「……」

「……出ないな」

 反応が返ってこない。

 留守かと思ったが、ふと見つけた電気メーターはゆっくりと回っている。セールスか何かと思われ、居留守を使われているのだろうか。

 いや、仮に反応できない状態――だとしたら?

 ギィ……

 三沢先生の心配そうな声が頭をよぎった時、重そうにドアが開いた。

 そしてわずかに開いた数センチのすき間から、おそるおそる女の子が顔をのぞかせている。身長は……久遠や真壁と同じくらい?

「あっ……」

 その瞬間、女の子は驚いたように目を見開いた。声にならない声と同時に身を引き、分厚いドアを閉めようとする。

 考える間もなく、俺の手が動いた。

「ぐあっ!」

「西ヶ谷っ!」

 やってしまった。思わず悲鳴を上げる。

 女の子が閉めようとしたドアに俺が手を突っ込み、そのまま挟まれてしまったのだ。神経を押しつぶされるような痛みの波がどっと押し寄せる。反射的に引きたくなったが、肝心の手は挟まれていて逃げるに逃げられない。

「ドアっ! 開けて開けてっ!」

「鳴海っ、開けてっ!」

 さすがに慌てる久遠。俺の手首をつかんで引っ張るが、所詮は女子の力、分厚く重いドアの重量には勝てないようだった。

 女の子と言えば、何が起こっているのかわからないのか、それとも混乱しているのか。内側のノブに手をかけたまま、口を歪めてたじろいでいる。真壁も何をすればいいのか、判断できていない様子だ。

「んっ!」

 このままではらちが明かないと悟ったのか、久遠がドアの下部のすき間へと左足を捻じ込む。力を加え、ギギィ……と開いていくドアの音。

「ぐうっ! はぁ……はぁ……」

 すぽん、と右手がドアから抜けた。解放された勢いで俺の身体は後方にすっ飛んでいき、綺麗きれいに尻もちをつく。ショックを和らげた自分の臀部でんぶをいたわることもできないまま、ようやく触れることができるようになった右手を本能的に押さえ込んだ。

「はっ……はっ……はっ……」

 息が上がっている。心臓も早鐘のように打ち続けていた。神経が途切れたように感覚が鈍くなっているくせに、発熱したような痛みが右手を取り巻いているようだ。

 とりあえず……助かった。

 少しの落ちつきを取り戻してから右手を見てみると、真っ赤に腫れ上がっている。これが自分の手なのか、と疑えるくらいだ。動かすこともできないし、折れていないといいのだが……


 傘の立てかけられた狭い玄関。シンクに使用済みの食器が置かれた縦長のキッチン。洗濯物が積まれている水回り――

 生活感のあるアパートの一室は、狭いながらも整とんが行き届いているという印象を受けた。家電や家具も古いものこそあれ掃除されているみたいだし、ベランダには数枚のタオルが物干し竿へと綺麗きれいに並べられている。

 ここが姿を見せた女の子――鳴海の自宅だ。

 外が暗いせいだろう、天井の蛍光灯がやけに明るく感じる。こんな時間にお邪魔して申し訳ないという気持ちを抱きながら、俺たち三人は入ってすぐのリビングルーム、その机に正座でついていた。

 鳴海曰く、パートに出ている母親は遅くまで帰ってこない。母子家庭で他に来る人もいないから、大丈夫だと言ってはいたが。

「あの……、すいません……でした……」

 ちょうど俺の正面に座る鳴海が、蚊の鳴くような小さな声を震わせながら発した。どうやら引きこもり気味になっているらしく、頭の髪の毛はボサボサ、上下の服装は白い寝間着のままだ。

 ちなみに座っている場所は、俺の隣に久遠、正面右側――鳴海の隣に真壁、といった感じになっている。

「あ、いや……俺が勝手に自爆しただけだし……」

「ええ。あの状況で手を突っ込むなんて、良し悪しの判断のできる高校生とは思えないから」

「普通、そこまで言うか?」

 さらりと出てきた久遠の毒舌に突っ込みつつ、挟まれた――もとい、挟んでしまった右手を軽くさすった。

 流水でしばらく冷やしていたらいくらか動くようにはなったので、骨折までは至っていないみたいだ。ただ握ることも完全に広げることもできないので、勉強する時に鉛筆や消しゴムを持つのには苦労するだろう。

 まあ勉強なんてロクにしないから、さほど影響はないと思いますけどね。

「……本題に入らせていただくわ。鳴海さん、あなたはいじめられて学校を休んでいる、と聞いたのだけれど」

 少し話してもらってもいいかしら?

 いつも相談に乗る時のやさしい声で、久遠が慎重に切り出す。

「……」

 唇を噛みしめ、ぐっと寝間着の裾を握る鳴海。顔をうつむかせたせいで、整っていない前髪に目が隠れてしまった。

 思い出したからだろうか? その時のことを。

 自分が過ちを犯した時、自分が恥ずかしい思いをした時、それを話すことを躊躇ためらうのは人間として当然のことだ。恥じるべき思い出を誇るかのように堂々と語るやからなど、ごく一部の例外でしかない。

 いじめもまた然り、である。

 クラスメートとの接触を避ける段階では留まらず、鳴海は学校そのものに行かないというオプションを選択した。勉強や進路と言った、学校を休むことによる影響を覚悟した上で――

 どのくらいの時間だっただろうか。

「……はい」

 息苦しさすら感じ始めた沈黙の後、再び蚊の鳴くような小さく、そして薄い声の返事が耳に届いてきた。

 ゆっくりと疲れ切った表情をした顔を上げる。

「……クラスの、ネットの掲示板……、見て……、私のこと……、書かれていて……」

 途切れ途切れ、息継ぎをするようにして語り始めた。

「……ムカつく、とか……、死ね……、泥棒……ね……こ……」

 かすれるような声。搾り出すような声。

 自分に向けられた罵倒ばとうの言葉を思い出し、自らの口で発するというのは、一体どれほどの苦痛なのだろうか。

 つばすら飲み込めない緊張感に、俺は逃げ出したくなった。いくら他のクラスで面識のない女子生徒とはいえ、苦しそうに言葉を吐き出す彼女の姿を見るのは面白いことではない。

 声はもう少しだけ続いた。

「……クラスの、目が……、怖く……、なって……、苦しく……、なって……」

「……」

 久遠は黙って聞いていた。

 いつものように積極的な質問を避け、鳴海の言葉を一つ一つ覚えているかのように。彼女の胸中に溜まっているものを、全て吐き出させようとしているかのように。

 それが最善策だと知っているからだろう。

 こういう時、久遠に温かみを感じる。ただただ現状把握のために質問を繰り返すのではなく、鳴海という人間の気持ちを考えて行動する、その意思から伝わってくる温かみを。

「……学校、行けないって……、行きたくないって……」

 そこで、鳴海の声は途切れた。

「な、鳴海、大丈夫?」

 上体が静かに前傾し、細かに震えだした背中。湧き上がってくる感情に耐え切れなくなったのか、嗚咽おえつが漏れ出してきた。

 真壁が「大丈夫? 大丈夫?」と声をかけながら背中をさする。

 キシッ――

 久遠が椅子の背もたれに寄りかかり、木製の椅子がきしむ音が聞こえた。

 視線を下げ、考え込むようにして両腕を組んでいる。

「西ヶ谷」

「ひっ?」

 急に声をかけられ、悲鳴のような返事をしてしまった。

「どうしたのよ、変な声出して」

「いや、唐突に聞かれたからさ。……それよりも、何かわかったのか?」

「いいえ。ネットの掲示板について、教えてくれないかしら」

 ネットの掲示板について? ああそうか。

 生活環境ゆえ、久遠はパソコンだとかスマートホンだとか、いわゆる電子機器に弱いのだ。携帯のメールだって、俺が教えてやっと使えるようになったのだから。

 何でもできる久遠の弱点である、数少ないジャンルだった。

「ネットの掲示板っていうのは、会員制の会話部屋みたいなものだ。チャットして――文字で言いたいことを発信して、他の人からも文字で返事が返ってくるわけ。それを何人かでやる仮想空間、かな」

「それはつまり――メールのやりとりを複数人で同時にやる、と言ったところかしら?」

「そうそう」

 自分の説明能力のなさにげんなりしつつ、久遠の理解能力の高さに感謝した。

 普段、無意識のうちに使っている用語が出てきてしまうので、その詳細を伝えるとなると正確な意味を知らないために苦労してしまう。「チャットって何?」と聞かれることは、日常で「会話って何?」と聞かれていると同じことなのだ。

 わかりきっている――と思っている――ものを説明するのは、意外と難しい。

「それって……個人特定はできるのかしら? その……文字を打っている人が誰なのか」

「うーん……。掲示板にもよるが、相当難しいんじゃないかな」

 俺はくすんだ白色の天井を仰いだ。

 掲示板はIDと言って、数ケタの番号で投稿者を区別している。でもそれは識別上の番号であるから素人には「この投稿とあの投稿は同じ人のもの」くらいしかわからないし、知識がある人ならばIDなんてすぐに変えてしまうだろう。

 そんなことを言うと、久遠は右手を口元へと当てた。考える時の癖だ。

「そうなると、誰がいじめたのかがわからないわね」

「ああ、そうか……」

 いじめをしている人物――加害者に関する情報は、「南城高校の理数科女子」「理数科の掲示板に参加している」くらいだ。さらに、二つとも完璧に正確、というわけではない。人数すらわかっていないのだ。

 加害者がわからないとなれば、制裁もできないのが事実である。

 理数科の女子を片っ端から調べていく――という方法が無きにしも非ずだが、現実味に欠けるだろう。

「少なくとも、それを調べる必要があるけれど――」

 久遠はそこで言葉を切り、椅子から立ち上がった。フローリングの床を脚が滑る音が響く。

「今日は遅いから、おいとまさせてもらうわ。鳴海さん、私たち雑務部に依頼を出す――と言うことでいいのかしら?」

「……」

 声はなかったが、うつむいている顔がわずかに上下したように見えた。

 とりあえず、これで正式に依頼を受けたことになる。お仕事の始まりだ。

 正直、受けないかもしれないとも思った。久遠が関わりたくないであろう理数科女子からの相談であるし、加害者が誰なのか不透明なままだ。しかも、それを特定するための手段も現時点では存在しない。

 これだけやっかいな相談。それでも受けたのは、眼前にいる鳴海の姿を放っておけなくなったからだろうか。

 まあ、そんなことはどうでもいい。俺は久遠に従うだけ。決定権は久遠にあるし、その判断が間違っているとも、また嫌だと思っているわけでもないから。

「真壁さん、またあなたに連絡させてもらうから」

 そういい残し、久遠は俺と共に鳴海の自宅を後にした。

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