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9-15.助けられたのは西ヶ谷

 もうすぐ十二月だから、放課後となれば外は暗くなってくる。窓から入ってくる風も冷たいし、この部室にはストーブもない。十二月に入ったら、入れてくれるみたいだが。

「換気、もういいんじゃないか?」

「そうね。寒いし、これくらいでいいかしら」

 タン、と小窓を閉める久遠。冷たい空気の流れがなくなり、寒がりの俺はようやく落ち着ける。夏は暑がりで冬は寒がり、忙しい人間だ。

 久遠は視線を落とし、一人モノポリーを再開した。モノポリーは独占という意味だが、一人でやったら最初から独占状態なのだから、ゲームにならないと思う。だが俺がやったら負けは目に見えているので、二人でやろうとは言い出さない。

 ――意識を取り戻した加治木の証言により、地獄谷による生徒への暴行は明るみに出ることとなった。警察も学校にやってきたし、加治木の両親は訴訟も検討しているみたいだから、地獄谷の教師としての人生は終焉を迎えるだろう。

 ただ地獄谷の言い分もわからなくはない。生徒が問題を起こした時、その責任を取るのは教師だ。生徒を管理できる権利を持つ以上、問題発生時の責任を取る義務を負う、という意味では正しいのだろうけど。

「……彼もまた、被害者なのでしょうね」

 ふと、久遠がそう漏らした。

「先生が?」

「問題が起きた時にこの社会で最も重要視されるのは、その責任でしょう? 誰が責任を取るのか、どうやって責任を取るのか。……原因の究明や、再発防止策の策定よりもね」

 そう、責任なのだ。

 部下のミスは上司の責任、生徒のミスは教師の責任。責任、責任、また責任。過ちを犯した者には何もない一方、時には当事者ですらない別の人間が重い処分を受ける。上司だから、教師だから、自らの意思でなったわけでもない立場にいたという、ただそれだけで。

 社会での常識、そう言えば聞こえはいいが、本質は他人への押し付けでしかない。

「人生のレールから外れたら終わり、そんな恐怖心もあったんじゃねーかな」

「そうね。みんな、そういう風に教育されているものね」

 兄も、地獄谷も、もっと言えば牧本も、そういう責任重視の体質である社会の犠牲となったのだ。

 嫌いだった社会というものが、なおさら嫌になった。自分の関係のないことで責任を問われ、立場を失い、再起不能の沼底へと転落していく。他人に押し付ければ、それを回避することが出来る。

 善良な者が損をし、卑しい者が得をする世界……

「……西ヶ谷」

「ん?」

 手を止めて窓の方を向いたまま、久遠が呟いた。

 しばらく沈黙が下りた後、

「……幻滅、したよね」

 聞こえてきたのは寂しそうな声。

「幻滅?」

「私に。……自分でも、あんなことになるとは、思ってもいなかった」

 あれは――何だったのだろうか。

 感情を表に出すことなく、冷静な判断の下、必要最小限の行動のみを取る久遠。相手がどんな人物であろうとも、臆せず、怯まず、冷淡に制裁を科してきた。

 その久遠が、自分の怒りを抑え切れなかったのだ。

 初めて見たその姿に驚き、恐怖を感じた。殺されるかもしれないというオーラを発する久遠は、地獄谷など比較対象にもならないほど怖い。あれが殺気、というやつなのだろうか。

「どれだけ取り繕っても、やっぱり私は殺人鬼なのよ。……血は抗えないのね」

 久遠が自分の父親のことを言っているのだとわかった。

 最愛の母親を殺した人間の娘。殺人鬼にはなりたくないと思う一方、自分にはその父親と――殺人鬼と同じ血が流れている。気に入らなければ、妻ですら殺す血が。

 今の自分は、それに近づきつつあると感じているのだろう。そしてそれを、俺に見られてしまった。殺人鬼などと一緒にいたくない――そう思われ、俺が離れていくと思っているのか。

 そんなこと、ありえない。

「それでもいいんじゃねえの?」

「えっ」

 久遠が驚いた様子で振り向いてきた。

 殺人鬼だとか血だとか、俺にとってはどうでもいい。気に入らない者がいれば牙を向け、躊躇いなく殺す――久遠はそんな野蛮な人物ではないと、俺は知っているからだ。

 大切な人を嘲笑され、笑って受け流すような人間などいない。久遠にとって兄は、我を忘れて怒り狂うほど大切な人物だったとわかり、誇らしく思った。

「言っただろ、久遠は久遠だって。血なんか関係ない。……それに、俺は久遠に助けられたんだし」

 呆然としている久遠に向かって、俺はできるだけ陽気に言った。

 もし久遠がいなかったら? もし久遠が家に来てくれなければ? もし久遠が登校を手伝ってくれなければ?

 考えるだけでゾッとする。今頃、暗い部屋で果てているだろう。将来への夢も希望も失い、ただただ時間を潰すだけの日が訪れては去っていくだけ。誰にも気づかれないまま、ひっそりと死んでいたかもしれない。

 絶望の殻を破ってくれたのは、他でもない久遠だった。

 家まで来てくれて、殴られても一切の反撃をせず、慰めてくれて、勉強を教えてくれて、登校を手伝ってくれて、いじめの盾にまでなってくれて……。心理カウンセラーや相談員が霞むくらい、久遠の存在は大きかったのだ。

「そ、そう……」

 久遠は再び、窓の方へと視線を戻した。口元を隠し、照れくさそうにしているようにも見える。

 外はだいぶ暗くなっていた。街灯が道路や建物に光を落とし、車のヘッドライトが明るく見える。ヒュウウ……という木枯らしの音、空気もかなり冷たいだろう。カサカサと木の葉が揺れる耳に入ってきた。

 吹奏楽の演奏。野球部やサッカー部といった運動部の掛け声。教室にいる生徒の会話。

 正面には窓の外を見つめる久遠と、木目調の長机。上には広げられたボードゲーム。お互いの背後にあるのは、使い込まれ錆の入ったねずみ色の戸棚。それらを照らしている、あまり明るくない蛍光灯。

 俺の好きな日常が、また戻ってきた――

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