表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/21

8-2.追い込まれたのは真壁

 残暑に汗をぬぐう九月が終わり、この地にも秋がやってきた。夏休みから引きずっていた倦怠けんたい感もようやくなくなり、学校生活の感覚が戻ってきている。

 秋と言えば「食欲の秋」「運動の秋」「読書の秋」……。そんな言葉が浮かんでくるだろう。

 しかし俺はこれに異を唱えたい。なぜ秋だからという理由で新しいことを始めようとするのだろうか。そんなやる気があるのならば、夏でも冬でも好きな時に始めればいいのだから。

 どうせ「食欲の秋」は、食べたいものを食べるための口実なのである。「運動の秋」は、夏に脱力したゆえの危機感からである。「読書の秋」は、履歴書や面接用のステータス作りに過ぎないのである。

 だから俺――西ヶ谷 一樹は何もやらない。春夏秋冬、特別なことにチャレンジする必要はないのだから。

 ということで、今日の勉強はここまでにしておこう。

 右手に持っていたシャープペンをころりと問題集の上へ転がし、俺は左側にある窓から外を見つめた。

 十月の空の半分を占めているのは、大きくて白い雲。秋雨前線が北上したり南下したりと忙しいみたいだから、これもその雲ではないだろうか。実際、昨日までは弱い雨がうんざりするくらい降り続いていた。

 低く差し込んでくるオレンジ色の光。右から左へ流れていくカラスの影……

 吹奏楽部の演奏も耳へと入ってくる。珍しくアニメの楽曲であるあたり、文化祭で流す曲の練習でもしているのか。

 そういえば、いつしかセミの鳴き声も聞こえなくなっているな――

『いつまで休憩するつもりかしら?』

 聞きなれた女子の声。気持ち低く、そして皮肉たっぷりの声色こわいろが聞こえた方向――正面へと向き直った。

「人間ていうのはさ、やる気で動く生き物だと思うわけ」

「その理屈だと、西ヶ谷が勉強するのは遠い未来になりそうね」

 長く伸ばされている黒髪。端正たんせいな顔立ち。背筋の伸ばされた綺麗きれいな姿勢からも、美少女という印象を真っ先に受ける。

 そんな雑務部ここの部長――久遠 葵が、あきれたような目で俺の方を見ていた。

 衣替えの時期にも忠実らしく、濃い藍色である制服の上着を着ている。この姿を見たのも久しぶりだ。

「まるで俺が、遠い未来までやる気を出さないような言い方じゃないか。……それよりも、そんなことやってよく飽きないよな」

 久遠は今、俺の正面で将棋を指していた。とは言っても誰か相手がいるわけでもないし、俺が相手をしているわけでもない。薄い木製の将棋版を横に広げ、左右の駒を順番に動かしている。――つまり一人将棋だ。

 複数人でやるボードゲームを一人でやる姿は見慣れたものだが、それで面白いのかと疑問に思う。

「こういう時、相手はこういった考えで動いている。……そういった相手の思考回路がわかるから、つまらなくはないわ」

 盤上に目を落とし、駒の一つを動かした久遠。

「でも指しているのは結局のところ自分なんだろ? 人それぞれで思考回路なんか違うんだし、俺なんか本能のままに指しているからな」

「そうね。相手の思考を読んでいく戦術は、西ヶ谷には難しすぎるものね」

「なんだかさらっとバカにされた気がするなー」

 棒読みの台詞で可能な限り皮肉った後、俺は上体を背もたれに倒した。ギィッというパイプ椅子のきしむ音がついてくる。

 だけど人間の思考回路なんて、本当に人それぞれなんだよな。将棋ですら最初の一手で数パターンあるだろうし、囲碁やチェス、麻雀なんて何通りあるか見当すらつかない。

 他人の考えている思考を読んで行動するというのは、かなり高度なことだ。

 ところが不幸というか、この日本社会はそういったスキルが要求される場所でもある。

 相手の何気ない行動からして欲しいこと、して欲しくないことを読みとらなければならない。あるいは相手の言動から、考えていることを読みとらなければならないのだ。

 失礼がないように――と言えば聞こえはいいが、それだけ精神的に追い詰められる環境というわけでもあるし、またそれらは相手に対して大きな影響力を持っている。他人も同じことをしている以上、自分の振る舞い一つで相手の行動を決定してしまうのだから。

 お互いに精神力を削りあって、一体何がしたいのだろうか? 日本社会とやらの風潮ふうちょうは、疑問が尽きない。

 無神経な人間、自己中心的な人間が特をするというのは、こういった精神力の削りあいに参加しないからだろうな――

 コンコンコン。

 乾いたノックの音が聞こえた。二人同時にドアの方を見つめ、お互いに目を合わせた。

「来客を呼んだ覚えはあるかしら?」

「いや、誰かを招待した記憶はない」

 雑務部――それは「いじめ撲滅ぼくめつ」という目的の下、学校側から大きな権力を与えられ、いじめを行った者に対して鉄拳制裁を与える「部活」である。

 しかしひっそりと行動し、目立つことのない活動内容上、その存在を南城高校の生徒全員が知っているわけではない。

 部室がフロアの端なのもあり、日常的にここへ来る人物など顧問の佐々木先生くらいのものなのだが……

「どうぞ」

 少し声の大きさを上げ、久遠がドアの向こうにいるであろう人間へと入室をうながす。

 ちょっとした沈黙の後、スライドしたドアから見えてきたのは――

 色白な顔に大きな瞳とやわらかそうな唇。肩よりも少し伸ばされ、横はサイドテールでまとめられているブラウンヘアー。

 清楚ながちょっとおしゃれをしてみた。そんな感じの女子高生の姿だった。

「ここが雑務部……だよね」

 彼女は部室を見渡し、おどおどした様子で問いかけてくる。

 上靴を見ながら、どうやら二年生――同級生らしいということだけは理解した。

「……久遠さんに話というか、相談があって」

「理数科でいじめがあったなんて、私は知らないのだけど?」

 俺が返事をするよりも早く、やや鋭さのある声を久遠が投げかける。

 いつもの相談者を気づかうような声色こわいろではない。素っ気ないというか、身構えているようにも感じられる反応だった。

「知り合いなのか?」

 思わず問いかける。

「ええ。理数科の真壁まかべさん」

 視線をそのままに表情も崩さず、久遠は彼女の紹介をした。

 なるほど、クラスメートだったのか。

 久遠の反応も理解できる気がする。俺みたいにクラス内で交友関係のない人間は、自分のテリトリーにクラスメートのような中途半端につながりを持つ人物に対し、警戒感のようなものを抱いてしまうのだ。

 それは自分は利用されているのではないかという、寂しい者特有の考え方から。友達が集まってくる人望の厚い人間には到底理解できないことだろうが、どうしても突然話しかけてくる人物は怪しく見えてしまうのである。

 こんな時ほど、他人の思考を読めたらな、と思う時はない。

「あ、いじめられているのは私じゃないの。それにちょっと特殊な場所でのことだから、久遠さんは知らないと思う」

 特殊な場所?

 俺と久遠はお互いの目を合わせた。

 理数科でのいじめを知らない――つまり理数科というクラスでのいじめではないとしたならば、真っ先に思い当たるのは部活動であるが……

 それならば部活でのいじめがあったと言えばいいのだし、そもそも特殊な場所の意味が読みとれない。

 他校からいじめを受けたとか?

「……まあいいわ。話を聞きたいから、ここに座ってもらえるかしら」

 そう言うと久遠は、目の前の駒を素早く片し、将棋版をパタンと閉じると急いでいるかのように椅子から立ち上がった。

「久遠?」

「今回は西ヶ谷が聞いて。私は後ろにいるから」

 将棋版と駒をねずみ色の戸棚へ仕舞い込むと、通学用の鞄を持ち上げ俺の座っているパイプ椅子の背後へとつく。そのまま寄りかかったのか、キィッという後ろからきしむ音がくぐもって聞こえた。

 首を傾げながら、問題集とシャープペンを鞄に放り込む。久遠の行動に違和感を覚えたからだ。

 どんな時でも、自ら相談者の話を聞いてきた久遠。メモを広げ、気づかうような言葉をかけつつ、諸悪の根源を叩き潰す作戦を頭の中で練ってきた。

 それが今日は――俺に相談へ乗るように指示をし、自分は傍観者へ。今までとは、もはや間逆とも言える行動をとっている。

 何か意図があるのだろうか? あるいは理数科の面々とは話もしたくない、と?

 久遠のことだ、自分からは必要以上に話しかけない性格。近寄り難い雰囲気。知らない生徒から「校内指折りの美少女」と言われているのを考えれば、同じクラスの女子からはよく思われていなくてもおかしくはない。

 やむを得ない場合を除き、自分を嫌っている人間となど話したくもないからな。

 あまり話したくない人物。それが相談者としてやってきたと解釈し、正面に座った女子生徒――真壁に向き合った。

「とりあえず、真壁さんがいじめられているわけではない、と?」

「うん。いじめられているのは、同じ理数科の女子、鳴海さん」

 ポケットから引っ張り出したメモ帳。見開きの真っ白なページに「被害者:なるみさん」と書いた。漢字がわからなかったし。

 ちなみにこのメモ帳は、俺の三日坊主を具体的に説明しているようなものだ。最初の三ページには「新学期オリエンテーション」とか「持ち物は筆記用具」などと書いてあるくせに、そこから先はペンの跡すらついていない。

「誰にいじめられているの?」

「詳しくはわからないけど……理数科の女子たちだと思う」

「クラスメートから、か。いつ頃から?」

「それも詳しくは……。二週間くらい前だったと思うけど……」

 それぞれを「理数科の女子たち?」「二週間ほど前?」と疑問形でメモ帳へと書き込んだ後、一番のポイントとなるであろう情報を聞き出そうとした。

「それで、『特殊な場所』とは?」

 理数科、それも女子の間での出来事であるならば、クラス事情にうとい久遠でも把握しているはずだ。

 にも関わらず、久遠は知らないと答えた。同じクラスの生徒ですらいじめが起こっていることを感知できない場所。一体、どこなのだろうか。

 わずかな沈黙を挟み、真壁は口を開いた。

「主にネット、……掲示板上なの」

 掲示板――

 彼女が言っているのは、学校の通達事項を確認するような真面目なものではない。ネット上に存在し、共通の話題について、あるいは特定のつながりの中で他人と会話チャットするインターネットコミュニティのことだ。

 ゲームや時事ネタなど、自分が興味を持っている情報をリアルタイムに得ることができたり、特定のつながり内だけのものであるならば、面と向かって言えないことを発信することができる。

 基本的に匿名とくめいでの書き込みができるため、誹謗中傷ひぼうちゅうしょうが絶えない場所でもあるのだが……

「鳴海さん、そこで悪口を言われているらしくって。あまり詳しくは話してくれなくって……」

 真壁の言葉がさらに続いた。

 考えてみれば、そういったSNS関連のいじめ相談が今日に至るまでこなかったのは珍しいことなのかもしれない。今や同世代のコミュニケーションと言えば、掲示板や会話アプリを利用したネット上でのやりとりがメインであるのだ。

 雑務部と言えど、ネットでのいじめには手が出せないと踏まれているから? それともいじめを受けていると気づけないから?

 実際のところ、ネット上のいじめにはどうやって対処していけばいいのだろうか。

 それがいじめであることの証明はともかく、匿名が当たり前とも言えるネット世界で特定の人物を探し出す、あるいは識別することは難しいだろう。本名で検索しても引っかからないと思うし、アカウントやらIDやらを変えられたらお手上げなわけで……

「掲示板……か」

 依頼として受けていいのかの判断ができず、かといって時間稼ぎのための質問も浮かばない俺。

 それを悟ったのか、ガタンと背後から戸棚の動く音がした。

「鳴海さんのところへ、行きましょうか」

「えっ?」

 思わず後ろを振り向く。腕組みをしつつ、真っ直ぐに真壁を見つめる久遠の姿があった。

「これだけ情報が少なく、かつ不明瞭。それを理由に放置すれば、どうなるかなんて西ヶ谷ならわかりきっているでしょう?」

「だけど自宅訪問するのか!? 場所もわからないし時間だって……」

「場所は三沢先生に――理数科の担任に頼んで教えて頂きましょう。時間が遅いのは言い訳にしかならないわ」

 そう言うと、足下に置いてあった通学用の鞄を持ち上げた。

 真壁も目を丸くしている。まさか生徒で家庭訪問することになるなんて、誰が予想したことか。

「職員室に行って、三沢先生に交渉ね。配布物があっただろうから、それも持って行きましょう。……真壁さん、あなたもついてきて」

「私も?」

「ほとんど面識のない私や西ヶ谷では、余計な警戒を生むだけでしょう? 多少なりともつながりがあるあなたがいた方がいいと思うわ」

 さらりと説明し、いつもと変わらぬ速さで部室を出て行く久遠。

 反論できるような要素もなく、また反論する気力も生まれず、俺も鞄を持ち真壁と一緒に部室のドアをくぐった。

 言っていることは合ってる。でもいじめを受け、人間不信になりかけているかもしれない被害者の自宅へといきなり訪問はまずいんのではないだろうか。対処が遅れればそれだけ深刻化するというリスクを考えたとしても。

 それ以上に、今から女子の家に行くというのが恥ずかしい。

 女のそのというか、女子が生活している空間に行くというのは思春期の男子にとって非常に緊張する場面なのである。

 部屋のおもむきだとか匂いだとか環境的なことはもちろんのこと、女子という性別の違う人間を相手にするのは考えるだけでも神経をすり減らす。ちょっとした言動や異なった行動で受けとり方にズレが生じて余計な沈黙を生み出してしまいそうだし……

 静清せいしんホームの久遠の部屋? あれはノーカウントだ。

 カチャリ――久遠が部室に鍵をかける音が、四階の廊下に小さく響いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ