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9-8.助けられたのは西ヶ谷

 言い残した通り、久遠は次の日も午後四時頃にやってきた。

 パラッ……

「……何これ?」

「見ればわかるでしょう?」

「そうじゃなくて、なぜこれを持ってきたのかと聞いてんの」

 直前に「机を用意しておいて」とメールで言われたため、足の短い円卓に座布団を並べて待っていたのだが……

 そこに置かれたのは、A3サイズのプリント二枚。小テストなんかに用いられるような、現代文の問題プリントだった。一枚はズラッと文章が続く問題用紙、もう一枚は空欄と選択肢の印刷されている解答用紙だ。

「学年成績ワースト三位に入る西ヶ谷が二週間も休んだら、授業から置いてけぼりにされることは目に見えているわ。だからここでやるの」

「ちょ、ちょっと待てよ! 今から勉強しろってのか!? てか、何で久遠が俺の成績を知ってんだよ!?」

 南城高校の二年生全員で二百十七名。最初の確認試験で百八十八位を取ったのが最後の栄光だった。後は階段を転がり落ちるようにして順位は後退していき、二年生最初のテストでワースト三位、少しの中間試験では数点差で危うく最下位の逃れたブービー賞。久遠の言葉は、悔しくも否定できない事実だった。

 英語のテストなんて、点数一ケタの常連だったし。

 そんな勉強嫌いな俺の叫びなど完全にスルーし、厚さ三センチはある問題集と参考書を何冊か取り出した久遠。

「私は私でやっているから、わからなくなったら聞きなさい」

「ちくしょう、わかったよ……」

 どうせ抵抗したところで徒労に終わるとわかっているので、ぶつぶつ文句を言いながらもシャープペンを握り問題へと向き合った。

 何を言っているのか理解できない古文や、そもそも言葉なのかすらわからない漢文などと違い、現代文は普通に読めるので気が楽ではある。ただあくまでも「古文や漢文と比較して」という意味であり、チンパンジーにも劣る俺の頭で提示された問題を解いていくことは不可能にも等しい。

 まず問題文を読むだけで、試験時間の半分以上を費やしてしまう。次に最初の問題は漢字の読み書きなので、気を抜くとスマホに手が届くレベルで書くことも読むこともできない。下線部の意味など理解不能。「前問において……」などと問題が続けられていれば、無条件でその設問を飛ばす。

 今は問題を解く上で最大の敵、睡魔に襲われないのが唯一の救いだろう。

「『誠也はその差し出された手を掴んだ』とあるが、この理由を文章中の言葉を使って四十文字以内で答えなさい。よ、四十文字以内……?」

「特定の一文の理由は、文章より少し前に書いてあるわ。文字数の上限がある場合、下限はその八割。つまり、三十二文字以上四十文字以内で答えとなる文章を探すのよ」

「えーと……つまり?」

「ここよ、ここ。最後の部分を少し変えて、『今まで溜まっていた疲労がどっと沸き上がってきて、強烈な吐き気に襲われたから』が模範解答ね。最後の部分は理由を聞かれているから、『から』『ので』『ため』のどれかにするの」

 この漢字の読み方を答えなさい。この時の主人公の気持ちを答えなさい。主人公の気持ちの変化として正しいものを、次のうちから選びなさい。

 見ているだけで「頭痛が痛く」なるような問題ばかりであったが、俺のしつこい質問攻めにイライラする様子もなく、久遠は解き方や模範解答を教えてくれた。同い年ということさえ考えなければ、まるで家庭教師のようだ。

 久遠の教え方は、やっぱりわかりやすかった。問題文の意味や聞かれている――答えるべき――こと、それを探す方法、答え方、模範解答とステップを踏んで教えてくれる。時には俺でもわかるような細かさまで噛み砕いて解説してくれ、解けた時には「そうね。よくわかったじゃない」と不器用ながらも褒めてくれた。

 勉強することに抵抗を感じなかったのは、もしかしたらこれが初めてではないだろうか? いつでもやる気が起きず、やったらやったで進まない。解けたところで親や教師から返ってくる返事は「それくらいは解けないと」。そんな上から目線の言葉を掛けてこなかったのは、久遠が最初だ。

 ふと気づけば、解答用紙の空欄は一つもなくなっていた。自宅でやった練習問題とはいえ、これも中学以来の快挙達成だ。

「ああーっ、疲れたぁ……」

 シャープペンを机上へと投げ出し、うーんと伸びをした。

「お疲れさま。成績の割には集中力あるじゃない」

「いつもなら五分で切れてるよ」

 正確には一分でやる気がなくなり、三分で手からペンが滑り落ち、五分後には寝落ちしている、といったところだ。

 こうしてさりげなく褒めてもらえたことに喜びを感じた。やって当然、できて当たり前――俺の苦労はそんな一言で片づけられることなく、正当に評価されたのだと嬉しくなる。オーバーに聞こえるかもしれないが、それほど自分の勉強する力への劣等感を覚えていた。

 久遠は自分の問題集を続けている。英文読解の問題集だから、俺の学力では全然読めない。冒頭の単語一つの意味すらわからなかった。

 それを迷う様子もなくひたすら解答している優秀さにも驚くことながら、さっきまで俺に教えていたのに、一体いつ自分の問題をやっていたのだろうか?

「久遠、ちょっと息抜きしよう」

 久遠のシャープペンがページ最後の解答欄を埋めたところで、声を掛けた。

「まあ、別にいいけど」

「おっけ。じゃ、ちょっと待ってて」

 俺は立ち上がると、壁際に置いてある液晶テレビのスイッチを入れた。そのまま横にある据え置きゲーム機本体もONにし、コントローラーを二つ、絡まっている線を解きながら机の近くへと伸ばしてくる。

 テレビもゲーム機も、今日の午前中に兄の部屋からこっそり持ち出してきたものだ。自分のゲームは携帯ゲーム機しかないから、複数人数でやるのには向いていない。どうせなら、久遠にもやらせてみようかと思った。

「これは昔から有名なソフトでさ、『大乱闘アタックヒーローズ』って名前の戦うゲームなんだ」

「だいらんとうあたっくひーろーず?」

「自分の好きなキャラを操作して、他のキャラを場外に吹っ飛ばしたり、落下させたりするんだ。最終的に生き残っていたら勝利になる」

「ふーん……」

 タイトルでボタンを押し、「マルチバトル」を選択。プレイヤー二人とコンピュータ二人をアクティブにして、人数を四人を設定。最初は難しいと思うから、「チームバトル」でいいか。

 ちらりと久遠の方を見ると、ゲームソフトのケースに入っていたのを見つけたのだろう、説明書を見つめていた。返事は素っ気なかったが、興味はあるようだ。

「俺はこのキャラにするか。久遠はどうする?」

「わかりやすい……キャラ? はあるかしら」

「そうだな、初心者向きのキャラはっと……」

 ジョウイは動きが鈍いし、カマロは攻撃力がないし……

「このキャラなら大丈夫だと思う」

「これ?」

 久遠はカーソルを、長い金髪で白いワンピースを着た女性に合わせる。

 大太刀使いのリィナを勧めた。癖がなくて扱いやすいし、攻撃範囲が広くて命中しやすい。何より女性キャラだから、抵抗感も少ないだろう。

 コンピューターのキャラクター二人分を適当な男性に設定し、メンバーは決定。ステージはシンプルな「終着点-ターミナル-」でいいか。これでバトルスタート。

 俺がコントローラーのAボタンを押すと、平坦で横に広い床が異空間に浮いているようなステージが現れた。少し上には乗れそうな浮き島らしきものが三つ。カウントダウンのボイスと共に、あまり離れていない間隔で四人分のキャラクターが決めポーズを取りながら登場した。

 このゲームではよく使われるステージだ。余計な障害物がないから初心者でも移動や攻撃がしやすいし、上級者なら実力をフルに発揮できる。――攻略サイトにはそう書いてあった。誘ってくれる友達などいないから、本当にそうなのか知らない。

 しかし改めて見ると、中二病っぽい名前だな。

「左パッドで移動して、上ボタンで二回までジャンプ。Aボタンで通常攻撃して、Bボタンは特殊攻撃が出せるから」

「え、Bボタンってどれ? こ……この緑色のボタン?」

「それはAボタン。Bボタンはその左下にある赤いやつだ」

「わ、私は何をすればいいの……?」

「んー、赤アイコンのキャラを攻撃して、場外に投げ出せばいいよ」

「な、投げ出すって……?」

「まあ落っことしてもぶっ飛ばしても、お好きな方で」

 もの凄く適当な説明をしながら、俺は視線を画面から逸らさずカチャカチャとコントローラーの操作を続けた。Aボタンで攻撃をしつつ、敵のアタックをZボタンで防御。間合いを詰めたらRボタンとパッドでローリングしながら背後に回り込み、Bボタンで大ダメージ……

 色々と詳しく教えてあげたいのはヤマヤマだったが、どうも上手い説明が思いつかない。何から何までしつこく言っても、説明を受ける側にとってはうるさいだけだし、自分で動かして慣れてもらうしかないと考えたからだ。

「……」

 何も聞こえなくなった。全然説明をしてくれない俺に、怒ってしまったのだろうか。

 ……と思いきや、チラリと目を向けて思わず噴出してしまいそうになった。

 身を乗り出し、画面を食い入るようにして見ている久遠。ボタンの位置がわからなくなるのか、時々視線がコントローラーと画面を忙しそうに往復している。ジャンプするとコントローラーも上に上げ、左に動けば身体ごと左へ。もはや自分がモーションコントローラーと化している。

 怒って投げ出すどころか、必死にやっていた。ただ身体の動きが、ザ・初心者……

「えーと久遠、自分は動かなくても大丈夫だから」

「わ、わかっているのだけど……」

 うん、理解できるよ、その気持ち。わかってるんだけど勝手に動くんだよね。特にレースゲームとか。「あいつ横Gでも再現してるのかよ」って笑われそうだが、自分の身体を傾けたら車が曲がるような気がするんだから仕方ない。

「そこにいる敵キャラを倒してみ。パッドを左に傾けて移動して、攻撃が飛んできたらジャンプでかわす。……そうそう」

 一人はすでに始末し終えたから、もう一人の敵キャラクターは経験を兼ねて久遠に倒させようと、自分のコントローラーを放り出す。

「そこでAボタン。長く押したらチャージこうげ……いや、別の技になっちゃうから、ポンッて短く押す感じで。……そろそろダメージが溜まってきたから、少し右に移動してからBボタンで特殊攻撃して」

 はぁっ!

 ズドーン!

 久遠の操るリィナが、大きな太刀を上から思い切り振り下ろす特殊攻撃を繰り出した。

 ……が、敵のキャラクターと反対方向。距離をとった直後に攻撃を繰り出したから、向きを変えるのを忘れたのだろう。そのままリィナ――久遠――は、敵キャラクターの反撃で場外へとホームランさせられてしまった。

「むうー」

「まあ仕方ない、惜しかったね」

 久遠が珍しく悔しそうな声を発する。それをフォローしながら、俺は再度コントローラーを手に取り敵キャラクターを場外へと押し出して試合を終わらせた。

「Aボタンの攻撃で弱らせて、Bボタンの攻撃で飛ばす感じなのかしら?」

「一応、ね。Aボタンの攻撃だけでも吹っ飛んでいくこともあるし、Bボタンの攻撃は難しいから」

「相手からの攻撃はジャンプでしか避けられないの?」

「Zボタン……右の奥にある紫色のボタンを押せば、バリアでどんな攻撃でも防げる。だけど時間制限があって、永遠には使えないんだ」

「ふうん。もう一回、やってもいい?」

「またやる? いいよ」

 設定で敵を弱いキャラクターに変更し、レベルも落とした。誰でも最初は初心者だ。特に久遠はテレビゲームの経験がないから、基本的なこともわからず辛いだろう。

 カウントダウンが終わり、バトルスタート。

 今度は「惑星カーネリアン」という、大きな飛行機の上で戦うステージだ。さっきと違って段差が存在し、特定のキャラクターでしか行けない場所もある。さらには突然襲ってくる小型の飛行機に攻撃される時もあるトリッキーな場所だ。

「ね、ねえ……西ヶ谷の使ってるそれ、どういうこと?」

 箱を壊し、出てきたビームソードで敵キャラクターを殴っていると、隣から不思議そうな声で聞かれた。そういえばさっきの試合では無視して戦っていたから、アイテムのことを説明していない。

「アイテムと言って、ランダムに出現する箱を攻撃して壊すと出てくるんだ。これはビームソードで、ちょっと強めに攻撃できる。他にもポーショ……回復薬とかバットなんかも出てくるんだ」

「バ、バットって……。あ、これがその箱ね」

 空中から落下してきた茶色の箱を、久遠がAボタンを押して攻撃する。バコッという効果音の後に続いて出現したのは……

「それはチャージガンと言って、Aボタンで拾った後にAボタンを押して発射できる銃。Aを長押し……ずっと押しっぱなしにしてから離すと強力なチャージ弾が撃てる」

「押しっぱなしって、こう?」

「そうそう。だけど注意しなくちゃならないことがあって……」

 俺が説明を終わらせる前に、久遠がAボタンを離す。

 バシュッ!

 その瞬間、拾ったアイテム――チャージガンの先端が白く光ったかと思うと、キャラクターの三倍はありそうな白い球体が現れた。それは避けることなど到底不可能な速さで横へと飛んでいく。

 パーン!

 先にいた俺の操作キャラクターは白く巨大な球体にクリティカルヒットし、派手な音を立てて画面外へホームランのごとく吹っ飛ばされていった。

 うわぁぁぁぁぁぁぁぁ……

 キラーン。

 だんだん遠くなっていく悲鳴を残し、効果音で星になった操作キャラクター。「プレイヤーワン、デッド」という撃破ボイスが無情に響いた。

「……障害物とかで妨害されないから、撃つ方向には注意して、な」

「ご、ごめんなさい……」

 味方撃ちとはいえ、まさか初心者のクリティカルで吹っ飛ばされるとは。

 その後も、久遠が「もう一回、いいかしら?」と聞いてきてはゲームを繰り返した。

 えっ、いきなり飛ばされちゃったのだけど……

 それは爆弾だ。触ると爆発するから。

 あ……画面が固まった……?

 ポーズボタン押したから。真ん中の小さいボタンを押せば戻れるよ。

 あの振り回してるのは何のアイテム?

 ハンマーだな。避けないと問答無用で吹っ飛ばされるから気をつけて。

 ――ガチャ。

『ただいまー』

 帰宅した母親の声がドア越しに玄関から聞こえてきた。

「ああ、もうそんな時間か」

 スマホの時計を見て気づく。もう午後六時だった。カーテンの引かれた窓から差し込んでくる光はオレンジに染め上げられていて、角度も浅く弱々しい。飛んでいくカラスの鳴き声からも、夕暮れの時間であるということが伝わってきた。

「ちょっと、夢中になりすぎてしまったようね。片づけを手伝うわ」

「いいよいいよ、まだ使うからそのままにしといて。久遠の方こそ、門限とか大丈夫なのか?」

 普通の高校生なら六時程度で門限には引っかからないだろうが、久遠が生活しているのは静清ホームという集団生活の場所だ。ああいうところは時間の管理や破った時の罰が厳しそうなイメージがあった。

「遅くなるのは、あまりいいことではないわ。でも……」

「それなら帰らないと。出してきたのは俺だし、気にするなって」

 笑顔を作ると、久遠はとても申し訳なさそうな顔をしながら立ち上がった。

「……また、明日も来るから」

「うん。待ってる」

 鞄を持ち上げ、久遠はドアを押し開けていった。ドアの閉まる音と、母親との短いやりとり。玄関を開閉する音。トン……トン……、と階段を下りていく音。

 楽しい時間が終わったようで、俺はちょっと寂しくなった。その前に友達を家に招き入れて一緒に遊んだことなど、記憶にないほど過去のことだ。だから会話しながらゲームができたのは時の流れを忘れるほど楽しかったし、同時にその反動で虚無感も覚えてしまった。

 まあ、明日も来るって言ってたし。

 ゲーム機のスイッチとテレビの電源を切り、コントローラーの配線を束ねた。まだ使う、と言ったのはでまかせだ。何でもかんでも久遠に手伝ってもらうのは申し訳ない気がしたし、これらを出してきたのは俺だったから。

 ゲームを簡単に片付け終えると、ベッドへ仰向けに倒れこんだ。心地よい疲れだ。やっぱり人間、孤独よりも他人と接することを好むのだなと考えてしまうほどに。

「……ふう」

 別れてから五分と経っていないのに、急に久遠が恋しくなった。なぜだろう?

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