あと七話。
あと七話。
繁忙期が終わった。
後処理をして、一息ついて。
退職してきた。
大学を卒業してから、新卒で採用してくれて、今まで長くお世話になってきた、会社を出なければならないのは、はっきり言って辛かった。
ずっとここに居たかった。
あたしはこの会社で働くことが好きだった。もちろん、辛いこともたくさんあった。失敗もたくさんした。忙しくて、辞めたいと思うことも多々あった。人間関係に悩んだこともあった。けれども、あたしはこの会社が好きだった。働いて、自分で自分のお金を稼いで。あたしはここに、この社会に、生きているんだと、実感できた。仕事は、あたしが生きているひとつの理由だった。生き甲斐とも言える仕事だとも思っていた。
「先輩。どうして辞めてしまうのですか?」
お酒の席であるというのに、珍しく酔っていない後輩が、似合わない真面目な顔で言ってくる。
「実家に帰らなくちゃ行けなくて、ね」
会社の上のほうには正しく理由を言ったが、それ以外の人には、言わなかった。
こうして、あたしの退職のお別れ会を開いてもらっているのに、あたしは不誠実だ。
一緒に、一生懸命に働いてきた、この人たちには、あたしがもうすぐ死ぬことを、伝えたくない。と思った。
あたしの会社の人たちはいい人が多い。きっと、この人たちは、あたしが死ぬとわかったら、心を痛めるだろう。
それよりは、ただのあたしの事情で退職すると思われたほうが良い。そう思ったから、伝えない。
「ほら、飲みましょう。新谷さんにはたくさん、お世話になりましたからねぇ。ありがとう」
「う、うううううう〜〜先輩!先輩先輩先輩!行かないでくださいよ〜〜」
まだ飲んでいないのに、泣き出した。
あはは、面白い顔になっちゃってるよ。
そんなこと言わないで。
「ほらほら、ね、みなさん、本当に今までお世話になりました。今日も集まってくださり、ありがとうございます」
お別れ会に参加してくれたひとりひとりと言葉を交わす。目を見て、ありがとうを言い合って。あんなことやこんなことがあった。あのときは助かった。面白かった。ありがとう。ありがとう。
最初から最後まで泣きっぱなしの後輩を腰に巻きつけながら、楽しくて愛おしくて濃い時間を過ごす。もう一生、この空間は味わえないだろうから。
「新谷さん。あたしは新谷さんに会えて、良かったです。新谷さんには、あたしを忘れないでいてくださると嬉しいです」
泣き腫らした目からまた、ひとつ涙が落ちた。
「どうして、先輩はそんなこと言うんですか?今日は特にひどいですよ。まるで、もう会えないかのように」
もう会えないのですよ。そんな面白い顔しても、変わらない事実だ。
後輩は、コロコロと変わるはっきりとした表情が、魅力的だ。
「あたしのために、泣いてくれてありがとう」
この、泣き虫な後輩には、病気のことは言えない。知られたら、今度こそ大泣きされてしまう。
「先輩のいない会社なんて! 考えられません!」
「ふふふ」
「笑っている場合じゃないですよ! 私には退職理由を言ってくれないですし」
「そのうちわかりますから。気長に待っていてください」
「えええええ本当ですか〜?」
「はい。本当です。だから、ね? 泣き止んで、新谷さんのひまわりのような笑顔で見送ってください」
泣きながら、無理して笑顔を作ってくれた、後輩の顔は、忘れられない。
ああ、あたしまで泣きそうだ。
泣かないように、我慢していたのに。
泣いてしまったら、涙で、皆の顔を見ることができない。
本気で、これが、最期の、お別れになる。
あたしには、あと七ヶ月。
あと七ヶ月。
それが多いのか、少ないのか。
あたしには、少なく感じる。
体が、少しずつ、ダメになっていく。
あと少しで、入院しなくてはならなくなるだろう。自分のことを自分でできなくなるだろう。
それまで、それまでは、あたしがあたしとして生きたいように、生きたい。
今すぐにでも入院しましょうと言ってくるお医者さまには、そんなわがままを聞いてもらっているところだ。
あと、七ヶ月だと言ったが、入院してきちんとした処置を受けて、安静にしていたときの目安であって、今みたいに無理を通している限りは、春を迎えられるかもわからないと、言われた。
それでも、あたしは、やりたいことがある。
やらなければいけないことが、残っている。
退職して、細々とした手続きを済ませた。
退職金がありがたい。入院費は高いから。