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フラグメント・ノベルとは何か

作者: 守徳

もはや文学は断片(=フラグメント)においてしか成立しない。


今日の情況では長大なものを読む時間もなければ、書く時間もない。まして、ストーリーに頼りかかったら、そこには退屈と惰性がまちうけているだろう。

精神の緊張を続けていくことが困難なのだ。読み始めはいい、しかしすぐに厭きてくる。物語の進展が遅い。頭は先にストーリーを予測する。それに耐える覚悟なくして長編小説は読めないのだ。


それでも文学は存在する。

現実意識と深くかかわりあった散文はあるのだ。それは断片においてしかありあえない。しかし、それは韻文ではないのだ。


フラグメントノベルの近くに散文詩はあるが、そのダイナミックスさにおいて欠ける。剥きだしの現実意識に欠けるのである。その具体性に関して小説の右に出るものはないのだ。まさに、悪徳の独白を反倫理の叫びを描けるのは小説しかない。散文詩はそこに参加できない。


短歌にもあるだろう。俳句にもあるだろう。

しかし、同じ理由により小説には劣る。悪徳、反倫理をえがくことはできない。

唯一、小説だけが可能な形式なのだ。


また、近くにショートショートがあるだろう。しかし、そのストーリーへの依存性から逆にからめ捕られ通俗に陥りやすい。

掌編、超短編、豆短編、ポケット短編、何と呼んでもいいけれど既成の現実を切り取る斬新な表現を求めている。それはフラグメントでしかないのだろう。

長編小説における斬新な表現、それもフラグメントとしてしか現れ様がないのではないか。


小説を既成の概念でおおうな。

小説とはこういうものだと言うな。

それらは、これまでにあったひとつの形式に過ぎないのだから。


あえて提案しよう。フラグメントでいいのだと。


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