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Blood ROSE -新芽再演 緑薔薇生誕編-  作者: 鈴毬
第二幕 朽ちれば新芽静観する
8/12

3

2月7日、午前10時。ダン・ルーク・マージョラムは静かに息を引き取った。享年は32歳、健康ならば働き盛りの青年だったろう。早すぎる死だった。

ダンに姓名があることを知ったのは彼が息を引き取った後で、アーサー曰くダンはフィルと同じ貴族の出身だったが病人の為厄介払いされ、ここに来てからは姓名を名乗ることはなかったのだという。

どうりで、彼の部屋には難しそうな本が並んでいるわけだ。彼は脳の病を発病する成人までに上質な教育を受けてきたのだろう。

彼の死に顔は眠っているようで、フィルは痛みの霧を取ってやったことに自信をもった。


「ダン……なんでだよ。ずっと元気だったじゃんかぁ」


 ヨエルはダンが息を引き取ってから1時間ずっと泣き通しだった。

 しゃっくりをしながら泣く様子が妹のメアリーを思い出させる。彼女も泣き虫で些細なことで傷ついては自分のところに来たのだ。そう、家で過ごした最後の夜もメアリーは泣き疲れて眠ってしまったのだ。


「ヨエル、男なんだからそう泣くんじゃあない」


「アーサーは寂しくないのかよ。一昨日まであんなに元気で本を読んでいたじゃないか!」


 アーサーは片腕で、ヨエルの小さな体を包み込むと落ち着かせるようにぽんぽんと背中を撫ぜた。


「脳の疾患はもともと長生きせんとダーヴァス先生も行っておっただろう? それにこんなに穏やかに眠っているんだ。ダンの邪魔をしないであげなさい」


「だって、だって! みんないなくなっちゃうんだ。いやだ! 寂しい! アーサーはおじいさんだからショックじゃないかもしれないけど、なんでフィルはそんなに平気なんだよ」


 駄々をこねる子供のようだった。ダンとは会話はできないが、ヨエルにとってはかけがえのない家族の1人だったのだろう。

 あてつけの様にフィルを睨むヨエルに余命が分かっていたから、とは言えずに言い訳を考える。フィルはこの能力のせいで人を欺くことが常になってしまっていた。


「ダンはこんなに綺麗に眠っているんだもん。僕はまだ、彼がいなくなってしまったと理解できていないのかもしれないね」


「そっか、悪ィ……」


 ヨエルはバツが悪そうに下を向く。

 後方ではお手伝いのリナが花を用意し忙しそうに葬儀の準備を進めていた。


「さあ、フィル。スーツは持っているかい?」


 アーサーがフィルの顔を覗き込んだ。

 少し考えてフィルは首を横に振る。フィルは伸びきったセーター数枚と大きめのズボンしかこの病院に持ってきていなかったのだ。


「そうかい、そうかい。それじゃあ昔ここにいたスミーの物を出そう。……お古はいやかね?」


「ううん、でも僕スーツなんて着たことないよ」


「それじゃあ、このアーサーが手伝おう」


 ダンの眠る部屋を出て、アーサーの部屋に連れられる。ヨエルはまだ泣いていてそこから動こうとしなかった為、時間までそっとしておくことにした。

 アーサーは自分のクローゼットの奥の方に右手を入れると中からトランクを取り出す。


「アーサー、さっき言ったスミーって……」


「ああ、ここの患者だった。私がまだ若い時に連れられてきた子だったからな。今いればダンくらいの年齢になるだろうか」


 アーサーはここに長いこといるのだろう。それはフィルが生まれるよりずっと前からなのだろう。アーサーの部屋をよく観察してみれば、女の子が持つようなオルゴールやぬいぐるみから、着られそうにないサイズのジャケットや服がかかっている。以前いた“家族”の物なのだろう。


「僕がスミーのスーツを着ちゃっていいのかな……」


 不安から呟くように言うとアーサーは振り向き、少しくすんだ黒のスーツをフィルに宛がった。


「いいともさ。スミーはずっと弟を欲しがっていた。きっと向こうで喜んでいるとも」


 その穏やかな表情に安心すると、フィルはシャツに袖を通し、慣れないボタンを留める。まるで自分にあつらえたようにスーツはぴったりだった。


「わあ、すごいや」


「フィルは本当に貴族出の子だな。セーターよりもスーツの方がよく似合うよ」


 くしゃくしゃと頭を撫でられる。フィルはくすぐったさと恥ずかしさで身を捩った。

 アーサーもスーツに着替える。広い肩幅もあってか老人であるのに逞しく、とても似合っていた。フィルはその気品とアーサーがここ、終着の家にいる違和感に頭を捻る。


「さあ、ダンにお別れを言いに行こう」


 何度も人の死を見届けたはずのアーサーの目は少し赤らんでいた。

 家族の死は例え元軍人でも悲しいに決まっているのだ。


「うん、そうだね」


 フィルはアーサーと共に部屋を出る。下の階からヨエルのぐずる声がして、葬儀の準備ができたのだと分かる。

 フィルは目を擦るアーサーを見ないふりをして右手を取り、ゆっくりと階段を下っていくのだった。




* * *




ダンはダーヴァスとリナの手によって裏庭に運ばれていた。

木の箱に入ったダンはとても穏やかな顔をしていて、揺らせば瞼が開かれるのではないかと思うくらいだ。

リナはたくさんの花をダンの周りに敷き詰めてやっていて、花の香りでいっぱいになった。

フィルは葬儀に出るのは初めてだった。祖父、チャールズが死んだ時もずっとその身を隠す為に狭い部屋にいたからだ。

作法もなにも分からないフィルはただそこに立ち、ダンが眠る姿をぼうっと眺めていた。もっと彼を知りたかった、話したかった。もっと別れが辛くなるくらい彼と生きてみたかった。フィルは今更叶わない願いを心の中で叫びながら下を向いた。


「ダン、いままでありがとうございました。ゆっくりお眠りなさい」


 ダーヴァスは深く頭を下げ、リナともう一人見たことのない男がダンの入っている棺桶の蓋を締めていった。

 その男は黒いスーツとマントを着ており、深く帽子を被っている。


「彼は葬儀屋のジャロだ」


 不思議そうに眺めていたことに気が付いたアーサーがこっそり耳打ちする。

 ジャロの顔はほとんど見えないが、まだ成人したばかりくらいの歳だろう。テキパキと棺桶を移動させ、スコップで土を持っていく。

 この間、不思議とヨエルは静かだった。何かに耐えるように唇をかみしめてジャロを睨みつけるように見つめている。


「ダン・ルーク・マージョラムはここに眠りました」


 ジャロはハットを押さえながら機械的に深くお辞儀をするとその場を去っていった。

 ジャロが去った後に残ったのは、彼の名が刻んである墓石と盛り上がった土だけだった。


「さあ、フィル。ダンにお花を」


 リナが花束を差し出す。おずおずとその墓石に近づく。

 一歩、一歩と近づくたびに目頭が不思議と熱くなる。


「ダン、さようなら」


 気が付くと頬には涙が伝っていた。


「あ、あれ……?なんで……」


「っ! フィル……!」


それに気が付いたヨエルが寄ってきてフィルを強く抱きしめた。

 別れは分かっていた筈なのだ。それでも人の死というものは計り知れず悲しいものだ。

 その瞬間、空がフィルにつられるように泣き始める。

 こうしてダン・ルーク・マージョラムの葬儀は静かに終わったのだった。

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