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Blood ROSE -新芽再演 緑薔薇生誕編-  作者: 鈴毬
第二幕 朽ちれば新芽静観する
7/12

2

 朝食を摂り終わると、ヨエルの機嫌はすっかり良くなっていた。

 食器を下げたフィルは階段を一段上る。


「フィル? 上に行くのか? 一緒に遊ぼうぜ!」


 昨日と変わらずアーサーの膝の上に座ったヨエルはフィルに気が付いて声を掛ける。


「あー……えっと、実は昨日うまく眠れなくて……ちょっと怠いから部屋に行くよ」


「そっか。あまり無理するなよ。辛くなったらすぐにダーヴァス先生の所に行くんだぞ」


「うん、ありがとう」


 ヨエルは大きく、アーサーは肘から先のない左腕を器用に振りながらフィルを見送った。フィルはまた嘘を吐いた。これから幾度嘘を吐くのだろうと、自分に嫌悪しながらも階段を上っていく。向かった先は自室より奥、明け方発作を起こしていたダンの部屋の前だった。


 ゆっくりと扉を開けると誰もいないのを確認して中に忍び込んだ。

 そろり、そろりと足音を立てずダンの顔が見える位置に向かう。

 彼は穏やかに、とは言えないが寝息を立てていて、起きる気配はなかった。穏やかな呼吸に安心したフィルが取った行動は少々奇妙な物だった。

 伸びきったセーターを捲るとその両手を目の前にかざす。左右の人差し指、それから親指を付けて歪な三角形を作り上げる。三角形を通してダンを覗けば、フィルの目には奇妙な記号と数字が浮かび上がっている。


「……下弦の半月と10…………」


 そこに浮かび上がった真っ赤な記号は半月だった。そして、そのすぐ右横には4という数字のみが記されている。

 この不思議なビジョンはフィルが物心ついた時には映っていた。

 自分の葬儀のあと、使用人室の物置小屋生活を余儀なくされたフィルは遊ぶものがなく病弱だったため、手を望遠鏡の様に丸めて遊ぶ天文学者ごっこ遊びが唯一の楽しみだった。

 その時に手で枠を作って人を覗くと左に数字、真ん中には月、右にも数字が浮かぶことに気が付いた。その数字と月の形は覗く人によっては様々で、それらの本当の意味を知ることになるのは随分先だった。


 或る日、妹メアリー3歳の誕生日の挨拶の時に祖父に謁見する機会があった。

 権力だ、格式だと貴族らしい祖父のことをフィルはあまり好きではなかったが、祖父もまた跡継ぎになれないフィルに対して同じ気持ちだった。

 たまたま癖で望遠鏡を作って覗いた時に祖父の姿が目に留まった。浮かび上がった記号と文字は気持ちが悪いくらい赤く、そしてでっぷり太った満月の左にはあるはずの数字がなく、月の右には1と記されてあった。

 メアリーの誕生日の次の日。満月の午前1時、祖父チャールズ・ベインは急死した。

 その後、フィルは何度も望遠鏡を作り、その謎を幼いなりに解き明かしたのだった。


 月の左の文字は月の周期、そして右は時間だ。


 中央の月のマークはフィルが確認したのは4種類だった。黒く塗りつぶされた新月、真っ白な満月、そして上限の半月、下弦の半月だった。

 つまり、左に1、中央が満月、右に3と記された場合、その日より2回目の満月の日、午前3時にその者が死ぬ、ということになる。

 そして、左の数字が消えた時にその文字たちが真っ赤に染まり、死のカウントダウンを禍々しく伝えるのだった。


「本当なんだ! パパ、信じて。早くしないとあの使用人さんは死んでしまうんだ」


「うるさい、私に話しかけるな。気味が悪いことを言うな!」


 フィルは、一度だけ父に自分の能力を話したことがあった。その時の父の冷たい目、振り払われた腕を思い出すだけで心がズキズキと痛む。

 思い出さないように記憶に蓋をしてフィルはまたダンを見つめた。

 そして、最近の月の周期を思い出す。父に拒絶されて以来、望遠鏡を作ることを封印していたので、思い出すのには時間がかかった。

 封印をした理由は簡単でその後、フィルの言うように使用人は事故で死に一層父に気味悪がられたためだった。


「半月……下弦の半月は明日じゃないか!」


 つまりは、明後日の午前10時にダンは死ぬ。避けられない、いわば運命だった。

 この様子だと、最後は発作で亡くなるのだろう。フィルは家族として受けいれ、目を細めたダンのことを思い出した。


「ダン……僕とあなたは会って間もないけれど、せめて楽に逝って」


 フィルは眠るダンの胸部に両手をあてる。何かを引っ張るように手を引くと赤いもやもやとした塊がフィルの手には納まっていた。

 この赤い塊をフィルは“痛みの霧”と呼んでいた。他人のそれを取ってやることで、苦しまずに安らかに死んでいくことを知ったのは、2年前にサマンサ意外に自分の生を知っていた庭師が疫病で死んだ時だった。

 痛みの霧を手のひらに乗せ擦り合わせると、音もなく消えていった。

 誰かの痛みの霧を取ってやると、不思議とフィルの体は軽く感じるのだった。

 再び手を合わせてダンを覗き込み、数字が変わっていないことを確認する。


「お大事に」


 小さい声で言うと、フィルは静かにその部屋から出て行った。眠り続けるダンの表情は先程よりも穏やかになったような気がした。

 自室に戻ると、ベッドになだれ込みその気怠さに従い瞼を閉じた。

 この不思議な力を使うと、体は軽くなるもののひどい眠気に襲われるのだった。

 遠くから聞こえるヨエルとアーサーの歌声に押されるように再びフィルは立ち上がった。部屋にある大きい鏡の前に立つとフィルは先程と同じく指で三角形を作る。


「減っている……」


 鏡に映しだされた自分の顔の上には鏡文字で記号と数字が映されていた。

 昨日まで左に24、月は新月、右は23と記されていたのだが、今は右の数字が22となっている。

  “痛みの霧”を吸うと右の数字が減っていくのだ。それは一回に1時間ずつ自らの寿命を差し出すことを意味している。


――コンコン


 ノックの音にハッとしてフィルは扉に目をやる。


「フィル、具合はどうですか?」


 そのしわがれた声はダーヴァスの物で、ヨエルかアーサーに聞いて心配してきたのだろう。


「少し怠いだけで、発作とかは大丈夫」


「そうですか……午後になったら念のために診察しましょう。それまではゆっくりと休んでいてくださいね」


「ありがとう、ダーヴァス先生」


 ダーヴァスの足音が遠ざかると、フィルは再びベッドに倒れ込んだ。

本当は診察も、この病院にいることさえも彼にとっては何の意味もなかった。否、ここにいる誰もが治療も、延命処置も意味がないことを知っていた。

フィル・ベイン、この貧相な少年が生きられるのはあと733日。

その短い時間に生きることの楽しさを知らない少年は、死という未知の恐ろしさに体を震わせたのだった。

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