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Blood ROSE -新芽再演 緑薔薇生誕編-  作者: 鈴毬
第三幕 過ぎれば新芽只嘆く
10/12

1

 月日が過ぎるのは、雨垂れが地面に吸い込まれるより早い物だ。

 同じ時間をそれぞれの早さで歩き、それは日常となって世を回していく。

 ダン・ルーク・マージョラムのいない世が回りだして……もとい彼の葬儀が終わって半年程度月日が流れた。

 ダンのいない日常に残された終着の家の住人達は、心に傷を持ちながらも寄り添い合い、慰め合いながら同じ歩幅で人生を歩んでいた。

 暦は8月も下旬、夏も終わろうとしていた。

 ここ、シュヴィアーノは北にあるために夏はさほど熱くならず、シャツ1枚で快適に過ごせる気温だった。ただ、雨季終盤の為に常に湿度は高く、その湿度は時にフィルの肺を苦しめた。フィルの肺は湿度に合わせて悲鳴を上げるのだ。

 アルダートン医院の暮らしにすっかり慣れたフィルは、朝体調が良ければダーヴァスの手伝いをし、昼はアーサーやダーヴァスに教わりながらダンの遺した本を読んだ。

 元々学習の機会がなかっただけでフィルは賢い少年だった。教えれば教えるほどすぐに知恵を付けていった。

 その速さは目まぐるしく、何時しか彼の語学レベルは年相応の物になろうとしていた。

 或る日のフィルは朝食の片づけを手伝い終わり、昼までの時間を持て余した。

 老爺のアーサーは数日前に風邪を引き、それから今日まで大事をとるようにと部屋から出てこなかった。ダーヴァス医師曰く、高齢であるから僅かな風邪でも慎重になるのだという。弟分のヨエルはというとそのアーサーが心配で、入れもしない部屋の前にて扉越しにアーサーと会話しているのだった。

 フィルは大事ではないというダーヴァスの言葉を信じ、リビングでゆっくりとした時間を過ごしていた。

 隣を見れば週に一度程、ここにくるお手伝いのリナが茶を飲みながら難しそうな資料を読んでいた。

 フィルはここにきてリナと一対一で言葉をかわしたことがなかった。あまり頻繁に見かけないのも理由の一つだが、いつも忙しそうに雑務をこなす彼女の邪魔をしないようにしていたのだ。

 この時も邪魔をしてはいけないかと思ったが、あまりにも時間を持て余していたので初めて彼女に話しかけることにした。


「リナ、何をしているの?」


 リナは話しかけられたことに驚いたのか、びくりと肩を震わせ顔を上げた。しかし、硬直した顔はすぐに愛想のいい微笑みを浮かべた。小さな唇が魅力的だった。


「先生のカルテを読んでいたのよ。私も医学に興味があるから」


 そう言うとカルテを寄せてこちらを見る。どうやら話に付き合ってくれるようだ。


「あのね、僕ここにきてしばらく経つけどリナとそんなにお話しなかったから。……色々聞いてもいい?」


「ええ、どうぞ」


 控えめに言うフィルは今まで溜まっていた質問を浮かべて、それをひとつひとつ上げていった。


「もしかしてなんだけど、リナって北国の人じゃない?」


 リナの顔立ち、そして言葉の訛りが自分の国で使われているどの言語よりも違うことを疑問に思った。それに黒い髪もこのシュヴィアーノ国では珍しいのだ。


「ああ、そうね。私は少し遠い国から来たのよ。……南の方、かしらね。気になるかしら?」


「ううん、雰囲気が僕たちとは少し違ったからそう思っただけ」


「そう。フィルはとってもいい目を持っているのね。そうだ、聞いて! ヨエルってば私がダーヴァス先生の奥さんだと思っていたのよ」


 リナはクツクツと笑った。


「ええ? リナ、ダーヴァス先生と……そうなの?」


「まさか! 私はただのお手伝いさんよ。親子以上年差があるもの」


 リナは傍目から見ても成人になりたてくらいの歳に見えた。もしかしたらまだ成人の儀を迎えていないのかもしれない。それに引き替えダーヴァスは老医師という表現が正しい程の見た目だ。フィルはリナがダーヴァスの孫だと言われても違和感はないと思った。


「あとは? 私に質問があるんでしょう?」


 リナはティーポットからお茶を注いでフィルに出してくれる。もっと彼女は無口で大人しいと思っていたのでフィルは軽快に話をするリナに驚いていた。

 自分だけに向けられた笑顔に顔を赤らめながら次の質問を考える。


「え、えーっと……そうだ。前、ダンのお葬式のときに男の人来てたよね?」


「葬儀屋のジャロさんのこと?」


 フィルはそこで男の名を思い出した。全身黒ずくめの少し奇妙な雰囲気のある男だと感じた。言い知れない恐ろしさ、それはダンの死の現場にいたからついたイメージなのかもしれない。


「リナはジャロさんのことはよく知っているの?」


 その葬儀の直後アーサーやヨエルにジャロのことを聞いたが、二人とも首を横に振った。葬儀の時には必ずいるが彼がどこの国の出身で、はたまたハットの下にある顔がどういった顔なのかも分からなかった。


「知っていると言われれば知っているし、知らないと言われれば知らないわね」


「それってどういうこと?」


「私が知っていることと言えば彼がジャロっていう名前の葬儀屋ってことだけね。いつも葬儀の段取りは先生と彼が行うから」


 そう言った彼女はお茶を一口啜った後に冷めちゃうわよ、とカップを差し出した。

 飲んだそれは夏イチゴのジャムが落としてある紅茶で、口に含めば以前妹のメアリーに内緒でもらったジャムクッキーの味を思い出した。


「あと質問はあるかしら? これからも長いこと一緒にいる訳だしフィルの疑問が少しでも解ければいいわ」


 長い黒髪を撫でるように手櫛で整えるリナを見ながらフィルは考えた。質問は頭に出ているが、うまくそれを口に出せずただただ彼女に見とれるだけだった。


「あー! フィル、リナと二人っきりで何やってるんだ! ずるいぞ!」


 階段からヨエルの大きな声がしてふと我に返った。リナはあらあら、と駆け降りてきたヨエルの燃えるような赤髪を撫でてやった。


「アーサーの調子はどう?」


 フィルは恥ずかしさを誤魔化すようにヨエルに言葉を投げかける。

 彼は零れるような満面の笑みで言った。


「もうだいぶ良くなったって。明日には部屋から出てもいいんだってよ!」


 その笑みは心底嬉しそうだった。大きな口から覗くヨエルの歯は少し欠けていて、それを気にすることもなく大きな口を開けて笑う彼を見るとフィルまで何故か楽しい気持ちになった。


「さあ、私はお夕飯の準備をしなくちゃ」


 リナは時計を見て、てきぱきとカルテを片づけ始める。


「じゃあ俺も手伝う! ね、リナいいでしょう?」


「そうね、ヨエルにお手伝いをお願いしようかしら」


 はしゃぐヨエルをうまく窘めるリナはまるで姉のようだ。

 そのやり取りを微笑ましく眺めていると、リナはくるりと振り向く。


「フィル、あなたも来る?」


 その優しい言葉に頬を赤く染めながら頷く。

 彼女を見るたびに不思議な感情がフィルの中で渦巻いた。それが何故かはわからない。

 艶のある黒の髪なのか、はたまた薄く光る赤みのある瞳からなのか、シルクの様に滑らかな肌なのか、落ち着きのある言葉使いなのか。

 ヨエルに引かれた手も熱くほてりそうなほどに言い知れぬ感情は膨らみ、そして胸をときめかせた。

 ぐらり、ぐらり、彼女を追う視界が揺れ出す。


「あ、れ?」


 フィルの呟く声に振り向いたリナの驚く顔。そして叫びに近いヨエルの声。

 雨季最後の陰湿な強雨が知らずしてフィルの肺を締め上げていたのだった。


「ル! ……フィル!」


 叫び声に答えようとするも体は膝から折れ、呼吸器に伝う痛みに耐えきれずその意識を意図も容易く手放すのだった。

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